風。




「捕虜を、開放しろだと………?血迷ったか、ロロノアよ」

玉座のまわりに居並ぶ高官が、声を張り上げた。
一段低い場所に跪く男に非難の視線を浴びせる。
そう進言された王自身は、深い皺を額に刻んでいる。
ゾロは頭を下げたまま、少しも動かない。

「あまりに出過ぎた意見だ」
「いくら南が突然退いていったからとて、戦が本当に終わったという保証はないのだぞ」
「敵のスパイを逃がせと言うのか」

謁見の間に集まった人間の大半は、ゾロの発言をまともに受け取りはしなかった。

武勲を立てて帰還したロロノア・ゾロ。
報告の後の第一声は、人々の神経を逆撫でした。

「ロロノア隊長は、何か勘違いしているのではないか?」

誰かがそう言った。



「―――――戦はまだ、終わっていないのだ」



まわりの人間が、次々に頷く。

「南が退いたのは、もうこれ以上の国力がないからであろう」
「南の戦力が尽きた今………追撃をかけて徹底的に叩きつぶすのが最善ではないか。今後、このような事が起こらぬとはいえまい」

王の隣に控える大臣の、決定的な一言。

「……………………」

ゾロの額に、青筋が浮いた。
殺気を込めた低い声で唸る。


「…………そんなに戦がしたいのか?」


しん、と一瞬、広間に静寂が落ちた。
暴言とも取れる発言に、文官達が喚き出す。

「なんということを――――!」
「疲弊した国民の救済よりも、領土獲得の方が大事かと言ったんだ」

それを気にした風もなく、ゾロは顔をあげてそう続けた。
王を見上げ、視線を合わせる。
少しの間を取ってから、北の王は静かに言った。
眉間のしわに手を当てて、ゾロを見下ろす。

「……………もう南が攻めてこないという確信は、どうやったら持てるのだ?」

ゾロは溜息をついた。
絶対に、そんなことはないと………理解できる者はこの場にはいないだろう。

反論できないと見て取ったのか、また反対意見の嵐がゾロを襲った。

「それでなくとも………家族や親しい人を殺された国民が、それを納得すると思うか?」
「何もせずに捕虜を離して見ろ!怒りは王宮にまで向くに違いない!」

ある意味で、彼等の言うことは正しい。

ゾロはそれも認めた。


「貴殿と親しかったポートガス隊長も………南の奴らに、殺されたのではないか………!」


どくり、とゾロの心臓が鳴った。
黒い血液が、全身を駆けめぐるような感覚。

だが、しかし。

「…………それが、どうした」

ゾロはそう言った。
跪くのを止め、すっと立ち上がる。

何も知らない奴らに、言われたくはない。


「戦は…………終わったんです」


ゾロは王の目を真っ直ぐに見て、そう言った。
わかってもらいたかった。

「捕虜を解放してください………!」


――――アイツが、守りたかったもの。

何をしても、守りたかったもの。


エースがここに、いたら。
もうちょっとは上手くやるに違いないけれど。


丁寧に、膝を折る。
皆が息を呑んだ。

ゾロは両手を床に着けた。

ゆっくりと、その間に額をこすりつける。


「代わりに………俺を処刑してください」


しん、と今度こそ、一瞬とは言えない沈黙が満ちた。
長い長い静寂の後、王は口を開いた。

「やはり、将軍には向いていなかったようだな…………」

苦い口調で、そう断言する。


「三十九番隊ももはや存在しない。ロロノア・ゾロ………そちを隊長から除名する」


淡々と、王は告げた。
空気が凍り付く。

ゾロはゆっくりと顔をあげた。
王は一度大きく息を吐くと、その場にいる全ての者を見渡して宣言した。


「…………追撃はせぬ。これからは街の復興に全力を注ぐこととする」





+++ +++ +++





数日後。

ゾロは故郷の街に来ていた。
北の最外郭を形成するこの街は廃墟に過ぎなかったが………

それでも、この街にやってくる人間がいる。
戦の終了は瞬く間に国内全土に広がり、枯れた街を捨てた人々が、戻ってきているのだ。なぜなら。

この街にはまた、泉が湧いたのだから。
ゾロが子供の頃見たものと同じ、蒼い蒼い……水。

小さいがそこには活気があった。
再生への、希望。

ゾロは遠巻きにそれを見ていた。
動いて、生活しようとしている人々。

風が、走り抜けてゾロの髪を軽く揺らした。


生きて。
生きて。

「オマエら…………酷ェよ」

ゾロは掠れた声でそう言った。
溶けて消えていくだけの、呼びかけ。

触れた指先の。
揺れた笑顔の。

感触が。
残っている。


「生きて……いてくれたら」
「いくらでも」
「責めて」
「殴って」
「…………許して」


もう二度と会えなくても。
生きて、いたなら。

―――――それだけで。


「なあ」

「…………聞こえてるか?」


それだけで。

俺は。


「酷ェ…………」


全部、持っていきやがった。


たった、半年。
そんなに短い間だったと、今更。

その体すら残さないで。


届かない。

まだ言いたいことは、あった気がするのに。





岩山地帯を覆うように現れた巨大な湖は、今まで「何らかの理由で」せき止められていた地下水脈が、「何かの弾みで」一度に噴出してできたものだと。

そういうことになった。

戦が起きる以前に、みんな一生懸命戻ろうとしている。
日々を重ねて、遅々とした進みだけれども。

傷は砂の底に埋めて。
記憶は風に吹き散らされ。

忘れ去り、過去になる。

ならばこの痛みも、いずれ風化していくのだろう。





「兄ちゃん、負傷兵かい?」


ふいに背後からかかった声に、ゾロは振り向いた。
ゾロの体には、服には隠せないほど大量の包帯が巻かれている。それを見て判断したのだろう。

ゾロに声をかけたのは、がっしりした体つきの若い男だった。
補修工事の途中なのだろう、荷車をひいている。
無愛想なゾロの態度は気にならないようで、気安く笑いかけてきた。

「そんならさ、そこの小屋に行ってみな?」

示された方を向く。
簡易テントらしきものが、そこにはあった。
男はそれだけ言うとさっさと立ち去ってしまった。

ゾロは少し逡巡してから………その小屋へと歩いていった。




「いらっしゃい」

入り口をくぐった途端、明るい声がゾロを迎えた。
木箱をいくつか重ねて作った簡易テーブルがいくつか見える。
掃いても掃いても入ってくるだろう砂は、部屋の隅に寄せられている。
なんだか………とても懐かしいような、落ち着く空間。

挨拶をした茶色の髪の娘は、ぼうっと突っ立ったままのゾロをいぶかしげに見た。その薄汚れた包帯を見て、納得したような表情になる。

「こちらへどうぞ?」

娘に手を引かれて、ゾロははっとしたように意識を取り戻した。
椅子を退いてテーブルに座らせられる。

「?」

そして娘は身を翻し、小屋の外へ出ていった。
ゾロは何となくそのまま落ち着くことにした。
直射日光が遮られるだけで、体感温度はずいぶんと変わる。
ゾロは体内の空気を、残らず吐き出してみた。

もうずっと触れていなかった気がする。
生活の、におい。

娘はすぐに帰ってきた。
皿を載せた盆を持っている。

片手で支えているのだが………酷く危なっかしい。
それを眺めて、ゾロは初めて気付いた。全く、どうにかしていたとしか思えない。

その娘には、右手がなかった。

ゾロの前まで来ると、娘は非常な苦労をして、なんとか皿の中身をこぼさずに盆をテーブルに置いた。
ゾロは手出しをせず大人しく待っていたが、その間じっと、娘の腕を見ていた。
視線に気付いたのか、娘が顔をあげる。

「あ………悪ィ。不躾に見たりして」
「いえ」

気にした風もない。

「貴方も………それ、戦で負った傷でしょう?」

ゾロは頷いた。
視線をテーブルの上に落とし、それからまた娘を見上げる。

「コレ……喰っていいのか?」
「勿論」

色々な物の切れ端を入れて煮ただけのスープ。

それは。
彼の料理とは比べるべくもなかったけれど。

「これ………美味ェな」

一口食べて、ゾロはそう言った。
愛想のない口調だったが、娘は充分幸せそうに笑った。こちらが気後れするくらいに。

「包丁とか………使えないから、火、起こしたりとか」
「運べるもの………運んだりとか、笑って挨拶したりとか」

「それだけのことなんですけど」

「たった…………それだけなんですけど」


綺麗に綺麗に、娘は笑った。










―――――お前と。

逢ってはいけなかった。
エースはそう言ったけど。

俺は。


お前に……逢わなきゃ良かったなんて事は、なかった。


お前と生きて。

感じたその全てが。



この世界を、まわしている。




ここで憎んだ。

ここで、愛したんだ。


お前は、ここにいたんだから。












ゾロは黙って、スープを飲み続けた。

「なんか…………嬉しいんです」

茶色の髪が、さらりと音を立てた。
右手を抱え込んで、抱きしめて。

愛しそうに。



「ここで生きてるって、気がするんです」







        涙。 焉。 NOVEL