縋。




降り注ぐ岩。
激突まで、数秒。

「………………っ!」

サンジは振り返った。

ルフィの下から這い出ようとしている、赤い豹。
その仮面の奧の瞳と、視線が合った気がした。
金茶色の、真っ直ぐな。

―――――自分のしたいことを理解してくれている。

何故だかそんな確信があった。
繋がる、感覚。

思い浮かべるものは、きっと同じ。

サンジは、ナミを信じた。
自分を信じてくれているということを、信じた。

深く息を吸って、再度集中。
ぶつん、ぶつんと何かが切れる音。神経か、血管か?きっぱりと無視する。

思い浮かべるものは。

砂漠の基本。
この世界の根源である、荒れ狂う無機質な化け物。

その強大さ。
そのしなやかさ。
無慈悲さ、傲慢さ―――

リアルに脳裏に描き出す。
寸分違わず結ぶ映像。具現化される望み。

―――――我が意に、従え。

そしてあとひとつ、必要なのは。

強い意志と精神。
それを支える、欠くべからざるもの。つまり。

自分の、守るべき、ものだ。

強くなれる。
それさえあれば。

なにも不可能では、ない。


「ーーーーーーーーっ!!」


全身を巡る、負荷。
無音の叫び声と共に、小太刀が煌めいた。

――――ざんっっっ!!

真っ直ぐ、砂の上に突き立つそれ。
ばちっ、と電流が走ったようにまわりが一瞬弾ける。

地面が、生き物のようにうねった。



+++ +++ +++



「な――――」

訓練された北軍兵が、思わずそう口に出す。
見下ろす谷底から、立ち上がったのは。

砂だ。

砂がまとまった形を取り、南軍を覆い隠すようにそそり立ち――――岩を、受け止めた。
傘のように広がり、南軍の姿は完璧に見えない。
しかし、傘と違って受け止めたのは雨粒ではない。岩だ。

「砂が………!?馬鹿な、不可能だ!」

隊の一人がそう叫ぶ。砂嵐とはわけが違う。
一様に、困惑の表情が浮かぶ。

直後。

「――――もう一度だ」

静かな、しかし聞き逃しようのない声が響いた。
二番隊の動揺を鎮めるのは、この声以外にない。

崖の下を見遣り、腕を組んでいるポートガス・D・エース。
その姿を見た途端、隊員たちは素早く立ち直り、違う岩に手を掛けた。

「落とせ」

その手に力が込められる。



+++ +++ +++



「………………」

ナミは、ようやく上半身を起こした。

薄暗い。
砂のカーテンが、日差しを遮っている。

――――こんな、ことが可能なのか。

ナミは、ひざまずいた細い背中に目をやった。
確かにナミも、こうなることを願い術を発動させた。

しかしそれを実行したのは。
砂を、岩にも耐えられる強度にまとめ今もそれを維持しているのは。

彼女の、身代わり人形。

すぐに止なくてはならない。
そうでなくては、これ以上術の反動に耐えきれるはずもない。

自分ではなく、この男が。

「――――――鴉!」

ナミは思わず、その唇を開いた。
からからに枯れた声が、絞り出されようとする。

それにかぶさるように。

「!!」

追い打ち。

鈍い音が、連続して響いた。
砂にぶつかる岩の音。

さらり、髪が揺れて。
男の首が、がくりと垂れる。
肩が、震えて。

ずざあ……………

砂の天井が――――少し落ちた。

ぱらぱらと、欠片が降ってくる。
ナミは、目を見開いて硬直した。

どんっ。

どんっ。

どんっ。

重い、振動。
飛び散るのは、命の欠片だ。

知っている。身をもって。
こんな、風に。

……………先代も。

「やめて」

震える声。
ナミは、強引に術を打ち切ろうとした。

「………やめ」
「続けてください」

途端、響く硬い声。
背を向けうつむいた、その顔は見えない。

「イヤよ………だって」

びしゃり、と何かがこぼれ落ちる音。
赤い染みが、広がった。

血の臭い。嗅ぎ慣れすぎている。
吐き気。目眩。

……………イヤだ。

どんっ。

「アナタ」

どんっ。

「耐えられる、わけないっ………!」

どんっ。

びづっ、と生理的に嫌悪感をもよおす音。
男の肩の辺りが裂け、血が吹き出した。

「止めてよっ!」
「…………信じて」

穏やかな声が、耳を射る。
膝をつき、サンジは小太刀を握りしめ続けた。

「俺は、出来ます」

どんっ。

砂が、また下がる。

「―――止めるって、言ってる!!」

ナミは、叫んだ。
この声が誰に聞こえようと、かまいはしない。
今、大切なのは。

どんっ。

サンジの背中が痙攣した。
もう一度、びしゃり、と血を吐く。

ぐぐ、とその肩に力が入った。
聞こえる声。
その声だけは、震えずに。

「―――俺にはこれしかないんです」

どんっ。

「しがみつく物がこれしかないんです」

心を殺して。
血を吐いて。
傷ついて、傷ついて、傷ついて。

それでも。

「無様に爪を立てて、守る」

「全てを放り捨てて、これだけを守る!」

砂の上に赤いまだら模様を広げて。
その背は、折れなかった。

ナミは、呻いた。
泣くわけではなかった。

「もう―――――」

ボロボロなその声に、重なる。
彼女のしもべの、硬い決意。


「止められないんです………とっくに」


そして振動が、止んだ。
砂が、岩をゆっくりと抱え込んで、埋めていく。

差し込む日差し。

ある直感に、彼女は跳び上がった。
ルフィの体を脇にのけて、サンジの服の裾を掴もうと腕を伸ばす。
そうしなくては、と瞬時に悟ったのだ。

が。

するり、とそれは去った。
サンジは、小太刀を引き抜き、立ち上がる。

ぺっ、と口中の血の残りを、吐き捨て。
裂けた肩も気にせず。

するすると砂が退いていく――――ひらける頭上、それを睨んだ。

まずい。
これは。

ナミは身震いした。

「待――――」

彼女の呼びかけが終わらないうちに。
黒い影は、砂を蹴って。

険しい崖を、蹴飛ばし。

二度、三度――――ぐんぐんと、それを飛び昇っていった。

「え…………」

ナミは呆然と、それを見送り。
直後激しい怒りに顔を真っ赤にした。

何故自分を、おいていく。

「ふざけるんじゃ、ないわよ………!?」

立ち上がる、赤い衣。
ひらひらと舞姫のように風にたゆたう。

「っ」

崖に向かって進もうとしたその裾が、強い力で引き留められる。

振り返った金茶色の瞳は、黒髪の少年が、その裾を握って離さないことに気付いた。
血が流れ出て………意識すら、ないのに。

どうして。
そんなに。

―――――どうにもならないことがおおすぎる。



+++ +++ +++



ぎぢゃんっ!

聞き苦しい、不快な音。
金属同士の摩擦。

長刀が滑り、ゾロの肩口を浅く切り裂いた。
入れ替わりに、立ち位置を変えて雪走がその影を追う。

コートの背中が、皮膚一枚と一緒に切れた。

きぃんっ

その雪走を跳ね上げ、コーザは身を低くしてゾロの懐に突進する。

「ちぃっ!」

跳ね上げられた雪走の刀を方向転換………するかと思えたゾロは、そのまま柄の方を下に向けて殴りつけるように振り下ろした。もう片方の手は、鬼徹を握ってすくい上げるようにコーザの首を狙う。

ふたつの凶器に挟まれた場所に首を突っ込む体勢になったコーザは、避けるのは無理と判断し、首を少し横に動かして、柄をこめかみにかすらせた。
下から来る鬼徹には、長刀をぶつけ、その勢いで少しからだを浮き上がらせ鳩尾を狙って足を繰り出す。

ずんっ!

ゾロは膝をあげて、その一撃をガードした。完全には殺しきれず、骨が軋む。
が、コーザはこめかみを柄が擦った衝撃で、めまいを起こしていた。
お返しとばかりに繰り出された、鬼徹の鋭い切っ先がその脇腹を擦る。血糊と裂き傷で、コーザのコートはもう雑巾同然だ。

「く」

岩を落とし終えた二番隊だが、2人のめまぐるしい攻防にどうにも手が出せず、見守るしかない。

数秒、もしくは数分続いたその戦い………互いの実力は、拮抗しているかに見えた。
が、どちらのものかは知らないが、その戦いで出来た小さな血溜まり……そこに踏み込んだ、ゾロ。
後足がずるりと滑る。

丁度コーザと押し合っていたゾロは後ろに倒れ込んだ。
コーザも突然のことにそのまま前につんのめる。

長刀の切っ先が、そのままゾロの胸にむいた。

ゾロの目に重なる、ついこの前の光景。
あの時は、半月を背に、金色の髪が上から落ちてきて、その刀が一番短く見えた

「―――――――っ」

ゾロはとっさに、横に転がった。

ぎぃんっっっ!!

硬い音。
本人の意図なしに体重の載せられてしまったその一撃は―――ふかぶかと、岩の隙間に食い込んだ。

「!?」

その隙を逃さずに、ゾロは鬼徹を砂色に向かって突き出し。

ずっ

ぶしゅう、と血がしぶいてその場にいた全員の視界を染める。



――――――コーザは胸と腕を切り裂かれ、沈んだ。








「ぎゃあっ!」

その背後から悲鳴が上がる。
二番隊の隊員が一人、うつぶせに倒れ込む。

その後ろに、煌めく髪が見える。

ごきり。

鈍い音。
またもう一人、首を変な方向に曲げて吹き飛んだ。


ごくり、と誰かが喉を鳴らした。





            谷。 死。 NOVEL