谷。




『チョッパー……………頼む…………!!』

結局俺は、手伝った。
もう、知っていたからかも知れない。

傍観者でいる自分が、許せなくなっていたんだって。



+++ +++ +++



いつもこの男は飄々とした口調だ。
それ以外は、あまり記憶にない。

「―――南軍が次に狙うのは、十中八九この街だ。一番近いし、まだ枯れてもいないからな………そしてその為には、このルートを通る」

エースの人差し指が地図をなぞって線を描く。その道は、砂漠の中でも険しい岩山地帯を通る道だった。
ゾロが不審げに首をひねる。

「何故だ?ここを進む利点がなにかあるのか?」

地図に疎いゾロから見ても、違う道を通った方が早いことがわかる。
直進と、迂回。わざわざ体力を消耗する必要性が見いだせない。

「もしこの街に行きたいなら………こっちから行った方が近道じゃないのか」
「確かに、普通はそうだ。わざわざ遠回りをする必要はないからな」

エースは一度、言葉を切る。
ゾロの言う、近道の方を指さす。

「だがこの道で…………北の精鋭第二番隊が、奇襲しようと待ち伏せているという、信頼できる情報が入ったら?…………なおかつ具体的な方法、正確な場所はわからないとしたら?」

エースの指は岩山地帯をぐるりと辿って、街をこつこつと叩いた。

「俺が指揮官なら、違うルートで回り込み、その間手薄になっている筈の目標を先に落とすな。ひ弱な兵士はそこにおいておき、即戦力だけを送り込む………これまでの行動から見て、南の兵士の大半は、戦闘用じゃない。街の占領の為だけに連れてきてるんだろう。一般人を追い出して居座る役だな」

くるくると指先を振り回す。
妙に似合う仕草だ、とゾロは思った。

「ぶっちゃけた話、緋陽は一人でも戦えるんだろうしよ」

お前の戦い方に似てるな、とエースは付け足して、頭の後ろで腕を組んだ。

「そしてその即戦力ってのだが………南には、少数だが戦闘用の駒もいるんだと思う。そうじゃなけりゃ、緋陽が指揮してる以外の軍を、単独行動させる筈がない。現に、戦が始まってから今までにオレ達が倒してきた南軍の分隊には、たまに不自然に手応えがある奴が何人か混じってたろ?お前みたいなのが相手じゃない限り、一人で五十人は斬り殺せるような奴らだよ。アレ、戦闘用だと思うんだよな」

エースはぼんやりと中空を見つめながら、ここまでに組み立てた自分の考えを言葉にしていく。ゾロはなんとなく頷いた。

「クイーン兼キングが緋陽で………今更だけど、王様自らが特攻隊長ってホント変だ………後は戦闘用やら諜報用やらがいくつか。他の、役に立たない大半は、ありゃ全部普通の民だからだろう。駒の割合が、異常に偏ってんだな………ま、結局は緋陽をつぶせってコトなんだけどよ」

ゾロは今度は確信を持って頷いた。
それが、戦を終わらせるに一番早い手段。
エースは瞬きを二、三度した。砂が入ったらしい。

「既に、ここと………ここの街で、南軍を確認した。ここはもう取られてるかも知れねぇな。この街にはあんまり戦力を割けてなかったから」

ゾロは、エースの言葉が途切れた隙に棚上げされていた疑問を提出した。

「どうやって、南に偽の情報を流したんだ?」
「偽っつーかね………王も大臣も、俺がこの、近道の方で罠を張るって思ってるぜ?俺の部下にだって、今から作戦変更を通達するくらいだしよ」
「ああ?何だソレ。だからどうやって―――」
「スパイに情報を届けて貰うんだよ。その為にわざわざ王に自分から『出陣要請』したんだし」

当然のようにエースは言ったが、ゾロにとっては初耳である。

「スパイ………?王宮に南のスパイがいたのか!?」
「ああ、いたぜ。でも捕まえるんじゃなくて泳がせて利用してる」
「王には報告してないのか」
「ボン・クレーにだけは誰がスパイか知らせてあるケドな。この作戦が成功したら捕らえてもらうつもりだし」

エースの目が軽く伏せられる。
ゾロはそれには気付かなかった。

「だから、何らかの事故でも起こらない限り、南は俺が張ってるという情報を手にする。奴らの執念を考えれば何か不測の事態があっても、死んでも知らせてくれるだろうけどな………皮肉なコトによ」

脳裏によぎる不確かな影を、ゾロは無視した。
南の、目的達成の為の強い精神力は、身を持って知っている。

「…………それで、この岩山地帯で本物の罠を張るって?」
「ああ、そうだ」

紙の上には黒っぽく、岩山の記号が記されている。
地図に記されるほどに大規模な岩山地帯。

「この、谷でだ。明日には到着する」

エースは頭の後ろで組んでいた手をほどいて、伸ばした。

「魅縛の術にかかって同士討ちってのも避けてぇから、ウチの隊しかつれてきてねぇし身軽だぜ。ウチのなら………気配くらいは消せるしな?」



+++ +++ +++



コーザはこみ上げる何度目かの溜息を無理矢理押さえる。
懸命に岩山を昇るトナカイを振り返った。

「いつまでついて来るつもりだ」
「俺が………しなきゃいけないことが、出来るところまでさ」

ごつごつした岩に蹄を滑らせながら、チョッパーは必死にコーザの後を追った。
普通に歩いているように見えるのに、コーザの足どりの速さは並大抵のものではない。岩山育ちのチョッパーでさえ、ついていくのがやっとだ。
舗装されたレンガの道の上を歩いているような気軽さである。

「お前の役目は終わった筈だろう」
「アンタには………関係ないっ」

ふうふういいながら、チョッパーは前足をくぼみに引っかけて体を持ち上げる。
それを後目に、コーザは一段高いところから前方を見渡した。

その目は、赤い衣を捕らえて動かない。

驚異的な視力をもって、コーザは緋陽を見守っていた。
険しい岩山が連なる道だが、もともとそこをテリトリーとするコーザには苦にならない。
一瞬の確認の後、またさくさく進み始める。

――――まさかこちらに合わせてくれるはずもないスピードに、チョッパーの肩が重くなった。

次の瞬間。

「!?」

チョッパーの足が、凍り付いて止まった。

ざあっ、と自分の血の気の引く音が聞こえる。
おそるおそる、眼球だけ動かして、目の前の砂色を確認した。

圧倒的な気迫が、そこに漂っている。
一呼吸前とは全く違う、とぎすまされた気配。

その背が、瞬きの残像を残して、ぶれる。

次の呼吸には、もうその背はひとつ上の岩まで移動していた。
その次には、その上。

「な」

と口に出した頃には、もうコートの裾は見えなくなっていた。



がっ、がっ、と岩を蹴りながら、コーザは眉根を寄せる。

丁度南軍が通り過ぎようとしている谷の両側の崖。
その上で、何かが光を反射していた。
よぎる不穏な気配。

ぐんぐん近づく光景を。

その目が、はっきりとした人影を捕らえた瞬間。
コーザの移動スピードは爆発的に増加した。

その影が風のように滑る。
しゃん、と涼やかな音を立てて、長刀が鞘から引き抜かれた。



+++ +++ +++



ひゅうんっ

風を切る鋭い音。

「―――――――っっ!!」

どすっ

突然視界に飛び込んだ、砂に突き刺さる矢。

見開かれる瞳。
サンジが顔をあげる前に。
数十を越す風切り音が降ってきた。

「っ!」

サンジの行動は早かった。
緋陽の馬の手綱を放し、腰の小太刀を抜いた動作で当たりかけていた矢を叩き落とす。その目が動かされ注がれる矢を捕らえたときに、次にとるべき最善の動きはもう頭の中で整理されていた。

そしてそのサンジより、誰より早く行動したのは、黒いフードの小柄な影。

影が馬上の緋陽にとりつき、引き倒す。
現状把握も出来ずに、ナミは馬から砂の上にその身を移した。突き倒された、という表現が正しいか。

ここまでで、一秒。

ひぃんっ!!

馬の鳴き声。
降り注ぐ矢の嵐に、隊列の至るところから悲鳴が上がった。

最初の矢が地面に突き立ってから、二秒。
二秒でサンジは、全ての呼吸を整えていた。
くるくると小太刀を回して、一声。

黒い影に覆い隠された赤い衣。
その細い指先に向かって、叫ぶ。

要請。鋭い声。

「――――主!風を!!!」

突然視界をふさがれて後頭部を打ったナミは何もわかっていなかったが、その声を聞いて反射的に術を思い浮かべた。

砂漠を渡る風を。その熱さ、冷たさ、激しさ―――
猛り狂う、その脅威。

風!

発動にかかる全てのタイムラグを、無理矢理にキャンセル。
凄まじい負荷にサンジの内臓が、ぎしりとたわんだ。

ひゅん!

小太刀が美しい軌跡を空に描く。
くるり、と切り替えされてもう一筋。

途端、

びゅおううううぅぅぅうううううううううっっっっ!!!!

突風が、何十という矢を巻き込んで吹き上がった。

流された矢は、岩壁に当たって自ら折れる。

真昼の日差し。

緋陽の衣に、血の染みが広がっていく。鮮やかに。
その上に覆い被さった体には、深々とつきささった、二本の矢。

血の臭いをまとって荒れ狂う風。



+++ +++ +++



「ぐわっぅ!!」

耳元で重なる悲鳴。
コーザは血飛沫をあげて倒れ込む体を避け、もう一度長刀を振るった。

弓をつかえたままの体勢で事切れる体、応戦しようと剣を抜きかけてそのまま切り倒される体、一度剣を振るうことは出来たが二度目はなかった体。

「ぎゃっ」
「ぐぅ」

返す刀でもう一度。もう一度。
吹き上がる血で視界が染まる。

赤、赤、赤。

驚くべき速さで、コーザの体が血に染まる。
なりふりを構う場合ではない。そんなものに構ったことはないが。

吐き気のする、錆の臭気。

岩山の上に張り込んでいた北軍第二番隊。
エースに鍛えられた彼等はけして弱くはなく、むしろ兵士としては第一級だが、怒り狂った狼の牙を避けられるものではない。

岩の上に簡易な血の池が出来るほど。
その長刀は、舞った。
飛び散る、肉片。

だんっっ

コーザは強く岩を蹴って、跳んだ。
恐るべき跳躍力。助走ゼロから五メートルは跳び上がった。移動距離はその三倍程か。

「………………」

着地地点には、オレンジのテンガロンハット。
鋭い眼光が、それを射抜く。

必殺の気合いを込めて、突き通されるそれ。


「うおおおおぉぉおおおっっ!!」


――――――がきぃんんっっっ!!


耳をつんざく金属音。
鉄と鉄の間に、蒼い火花が散った。

ぎりぎりぎり、と刃先が擦れあった。

コーザが、激しい感情を込めて呻く。

「ロロノア・ゾロ…………!!」

突き出された二本の刀がコーザの長刀を受け止めていた。
体重の乗った一撃に、ゾロの膝が一瞬沈みかけたが、なんとか持ちこたえる。

長刀にまとわりついていた血が、一滴ぽとりと落ちた。

それを合図にしたように、魔獣は刀を振り上げて。
自分から軽く地面を蹴り、受け流すコーザ。

ばちっ、と空気が凍った。
ぎりぎりと食いしばられる、互いの歯の根。

その隙をついて。
エースの声が、響く。

「………第二撃!!」

その言葉に、訓練された兵士は行動を開始した。
仲間を半ば斬り殺されたにも関わらず、むやみにおろおろする者はひとりとしていない。
厳しく表情を引き締め、与えられた任務を確認する。

「やれっ!」

合図と共に、第二番隊隊員は用意してあったものを谷底へ落とし始めた。

それを見たコーザの唇から、獰猛な唸り声が漏れた。
発達した犬歯が、覗く。



+++ +++ +++



「ルフィっ!!」

サンジは緋陽の盾になった狼の名を呼ぶ。

「……………う、ぐ」

その手が動き、背中に突き立った矢を抜こうとした。
脇腹と、肩口。
その血の色は、鮮明だった。
動脈血!
脇腹……内臓が傷ついたのか。

「抜くなっ!血が溢れるっ!!」

ルフィの手を掴んで止める。
そんな状態でもサンジは、頭上の気配を敏感に察知した。

「っ………………!!」

仰ぎ見る。

その視界に入ったのは、矢の代わりに落ちてくる数十の岩群。



崖の高度、約五十メートル。





                   罠。 縋。 NOVEL