罠。




「まるで馬鹿みてぇじゃねぇか?」
「ほんの、こんなちっぽけな栄養だって」

「自分じゃ作り出せねぇ、なんてのは」



+++ +++ +++



『蝙蝠』であるウソップは、いくつか中継点というものを持っている。
連絡用の鳥が立ち寄る場所だ。ウソップは、定時にその中のひとつで連絡を待つのだ。

北の城内や、都内。南の様子などは、そこに散らばらせた『鼠』や『蜥蜴』類を使って容易に知ることが出来る。
定期連絡を含めて、一日に数十の情報を運ぶ鳥達は、訓練された物だ。百数十羽の鳥が、ローテーションを組んで一日に何度も中継点を飛び回る。
さらに、中継点ではなくともウソップの持つ特殊な笛で呼び寄せることもできる。もちろん、鳥達がそれを聞きつけるのは運に寄るため、効率は悪い。しかし中継点の近くであるなら、ほとんど一度吹けば飛んでくる。

鳥以外にも、連絡の方法はある。例えば砂漠に棲む早足鼠。細かい匂いをかぎ分ける性能のいい鼻を持ち、一度覚えさせた匂いの相手なら、砂漠にさえいれば必ずその元に辿り着く。犬や馬を使う場合もある。

ウソップは、その全ての元締めだった。
情報を選別して鴉に伝え、必要ならば直接敵地に潜入してまでそれを得る。

しかし、戦がなければ、ほとんど機能しない使い魔のはずだった。
革命を予防する国内諜報機関ですらない。緋陽に謀反を企む者など南には現れたことがなかった。そのような事態を想像することすら、南に棲む者にとっては狂気の沙汰である。
つまり、『蝙蝠』系統の使い魔は、いわゆる国民の生活や風土調査程度の機能であった。

今は違う。『蝙蝠』は戦には欠かせない使い魔だ。
それは、大半の者にも言える台詞だが。

戦になれば、使い魔達はその性格を変える。
飾りから、武器へ。
それは、それらの存在意義である緋陽にも言えることであり、そして緋陽のそれは国のためだ。

それはもう、信仰だった。
いや、そういう認識はないのかもしれない。南にとってはそれは、当たり前の出来事であり、そして事実だ。怪しげな思いこみではない。なぜなら。

緋陽は、実際に砂と風を操ることが出来た。
使い魔は、その意志によって強くなることが出来た。そして死ぬことすら出来た。

願い。
そして祈るだけで。

疑うべくもない。
それは、事実だった。
そうなっているのだ。すべてが。

そういう、世界なのだ。



ウソップは、寝台に寝そべりながら紙の束をどさりと膝の上にあけた。
色々あって間があいたため、その量はかなりのものになる。

険しい目つきで、その中のひとつを手に取る。
その紙は赤色。最重要、可及的速やかに目を通さねばならないものだ。
視線で上から下まで一度撫でる。
直後ウソップの顔がしかめられた。

「まずいな…………罠だ」

ウソップは紙をぐしゃぐしゃと丸めると、チョッパーを呼んだ。
チョッパーのすみかも、ウソップの中継点のうちのひとつである。
ゾロと別れた後、ウソップはチョッパーの元で手当を受けたのだ。

「どうする…………」

頭痛をこらえて、頭を巡らせる。
ウソップの容態は、良好とは言えなかった。裏切りの代償は、そう安い物ではない。断続的な吐血は、チョッパーが治療することの出来るようなものが原因ではなかった。
馬を駆って、いつものように直接サンジにこの情報を届ける事は出来そうにない。
しかし…………サンジと言葉を交わすことが出来る使い魔は、自分の他には狼くらいしかいない。
狼が持ち場を離れてこの辺りをうろついているなどということは、天地がひっくり返ろうがあり得ないだろう。もし仮にそんな狼がいたとしても………コーザ以外とはコンタクトなど取れまい。掟破りだからだ。そして『蝙蝠』でもだめなのに、ましてや自分の部下などどうして狼が相手にしてくれようか。

「やっぱ……………頼むしかねぇか」

ウソップは頭を抱えた。
こちらへやってくる蹄の音が聞こえる。
戦を嫌う獣に戦の片棒を担がせようとは、自分の厚顔さに涙が出そうだ。

南軍のところへ、走って貰うしかない。
『使い魔』でないチョッパーなら、掟など関係ない筈。

「畜生」

ぼすり、とウソップの拳が寝台へと埋まった。



      +++ +++ +++



「………………ぃよう、帰ったか」

エースは軽く手をあげた。
何気ない様子で、声をかける。

酷く疲れた様子のゾロは、その場にどさりと座り込んだ。
片膝を立て、額をのせる。
その全身から立ち上る言い表せない疲労に、エースの目が細められた。

北の領土の最外郭辺りに位置する、街の残骸にエースの指揮する第二番隊は野営している。
王に出陣を要請したにも関わらず、数を半分以下に減らした自分の隊しかエースは連れてきていない。理由はいくつかある。

その街に、馬を走らせて駆け込んできたゾロ。
二番隊と鉢合わせて少し驚いてはいたようだったが、それ以上の心の動きはないに違いない。

「会えたのか、サンジには」
「……………………」

聞かれたくないだろう事を、ずばっと口にするエース。
しかしゾロの体はピクリとも動かない。膝に頭を預けたままだ。

エースは口調を変えずに言った。

「敵には、会えただろ?」
「…………………」
「決心は、ついたか」

顔を伏せて動かないまま、ゾロはうなった。
エースはそれに耳を傾ける。

「…………………『鴉』に、会った」
「鴉?」

いぶかしげに聞き返す。
ゾロは吐き出すように続けた。

「そう、言った」
「へぇ…………」
「……………………わかんねぇよ、もう」

掠れた声。
エースは、崩れかけた石壁に預けた背を、少し起こした。
擦れた壁が、ざらりと音を立てる。

「なんもわかんねぇ…………」

ゾロは砂の感触を振り払うように、地面に爪をついた。
がりがり、と少し大地が削れる。

「ここなんだよ」

その声は独り言のように、響いた。

「この街で…………」

ただの穴、が存在するこの街。
幼い頃、世界の全てだったこの街。

丁度、この壁の上の背中に、声をかけた。
夕日が、あかくあかく落ちていて。
髪がその光を反射して。

「………………あいつに刀、渡して。そしたらよ?」

思い、出す。

…………泣いているように、見えたんだ。

「あいつは」

あの時、気付けたなら。
何かが変わっていただろうか。


「戦……………」

「早く、終わるといい、って…………言った」


指先から力が抜ける。
ゾロは、息を飲み込んだ。

「そう、言ったんだ」

エースは、帽子のつばを少し、引き下げた。
日差しが強すぎる。

そして、唇を開いて紡ぎ出す。
その言葉。

「なあ、ゾロ」

もう戻れない。
こうなると、知っていた。
辛い決断を、しなければならないと。


「修羅道に堕ちた奴にゃ………殺してやるしか、救いがねぇんだ」


………そういう自分も、そうなのだと。
皮肉げに笑ってみせる。

黒い瞳は、帽子に隠れて見えない。
声は、柔らかだった。

「もう、ケリつけなきゃなんねぇんだ。みんな」
「わかってる…………」

ゾロは、顔をあげた。
石のようにこわばっているという自覚はある。

「もう、わかってる」
「そ、か」

エースはのそりと立ち上がった。
影が石壁に落ちかかる。

「……………そんじゃ、作戦説明だ。来いよ」

振り返らずに、歩き出した。
左右で、砂の上に残る足跡が少し違う。

ゾロは顔を歪めて、その背を追った。
足下で、砂が鳴いた。



+++ +++ +++



薄暗い、テントの中。
細い指先が、地図の上を滑った。

「この、街に」

確認するように頷く。
サンジは言葉を繋げた。

「まだ枯れていないオアシスがあります」
「規模は?」
「大きくはない………ですが、ここが一番近い。このルートで行くのがいいと思いますが。ここを制圧したなら、この街へ。ここならば中規模のものがある」
「そうね………じゃあその後この街をしばらく拠点にする」

赤い衣が、ざらりと擦れて音を立てた。会議とも言えない会議は終わりだ。
サンジは机の上に広げた地図を片付ける。
その表情や立ち居振る舞いはいつもと全く変わらない。
地図を仕舞うと、ナミに向かって微笑みかける。

「戦に向けて、体を休ませていてください」
「…………余計な、お世話よ」

尖った視線。
サンジは一礼すると、緋陽のテントの布をくぐった。
ナミはそれを見送り。

さらりと布が落ちると、音を立てて寝台に腰を落とした。
額に手を当て、うつむく。

「……………………」

また、街を襲う。
追い出して、踏みにじって手に入れる。

血を流して。
この衣もまた紅く染まるだろう。

深く深呼吸した。
そして誓う。



「奪い取る」




布を一枚隔てた向こう側。
その呟きを聞いてから、サンジはひっそりとテントから離れた。

「我が主」

声には出さず、唇を動かす。

「貴女とこの国の為なら、俺は何にでもなります」

重ねられる、誓い。
砂を踏みしめる。

「……………………ふ」

サンジは、左手で唇を押さえた。
吐き気。

――――――喉の奥から、血が溢れ。
錆の臭いが、風に混じる。

砂の上に、ぼたぼたと落ちる。
その模様を、サンジは無感動に眺めた。
やっぱり、赤いのかと。

そしてその目は、すぐに前を向いた。
険しく細められる青灰色。

「…………………」

唇を拭う。
コーザは、それには感心のない風で言った。

「『蝙蝠』からの緊急連絡だ」
「………………何故お前がそれを言う」

そのきつい視線に臆することなく、コーザは先を続ける。
目は逸らされない。

「この先で、北軍第二番隊が罠を張っているらしい」
「………………………」

サンジの口元が、引き結ばれた。

「それは、何処だ?」





            夜。 谷。 NOVEL