夜。




「声が、聞こえるんだ………」

 サンジは、怪我をしていない方の足を抱え込んだ。
 うつむいた、その表情はコーザからは見えない。

「泣き声が」

 そっと、耳に手を当てる。

 こびりついて、離れない。
 責める声、ではないのだ。
 自分が勝手に追いつめられるだけ。

 その声は。
 特別何を恨んでいるわけでもなく、ただ純粋に。
 悪意がないのが余計に………辛くて。

 『ドウシテ?』

 問いかけてくる。
 追いかけてくる。
 答えることは、出来ない。

 サンジは、抱えた片膝に額をつけた。

 悪いことをしたならば。
 必ず報いが返ってくると。

 誰でも、一度は聞かされる。
 盲目的に信じ込む、その法則。

 因果応報。
 …………それが、信じられれば良かった。

 信じ、られたら。


 自分が、殺した人、物、街。
 その光景。

 …………全て知っている。
 巨大な墓。
 砂の底。

 水の代わりに、大量に流れた血。
 それは。


 『ドウシテ?』


 それは。何故こうなったか、ではなく。
 何故、自分がこうなったか、を。


「……………悪い、こと」


 何も。していないよ。


 殴りかかったわけではないのに。
 殴りかかられるその理不尽さ。


 ………もうわかっている。

 この世界は、何か間違ってる。



 どうして。
 私が。

 誰でも、そう言って。一瞬で。
 …………終わって。



 泣き声だ。
 求める、声。
 その、理由を。

 何故、永久不変の真理がここにはないのか。
 突然、わけもなく訪れる悲劇。



「………見たくねぇよ」
「みんな乾いて……飢えて」

 この砂と風に吹き散らされる。
 目だけを光らせ、倒れて。

 手を差し伸べて。
 助け起こして………それすら何の役にも立たない。

 この手は。
 何も。


「死んでいく」


 『………ドウシテ?』


「泣きながら」


 この国で。
 その声がする。

 あの国でも。
 その………声はした。


 誰が悪いんだ。
 誰を憎めばいいんだ。

 悪いこと、してないだろう?


 ここに、生きているだけで。
 ただ、いるだけで。

 知っている。

 誰もが、同じ事を思っている。
 悪いこと、してない。



 けれど自分は。
 そんな、思いを抱く人を踏みにじる。


 ―――誰を恨む?憎むんだ。
 そんなの、自分以外にいない。





 罰を。
 これ程切望することはない。

 喉が裂けるほど、慟哭しても。
 この身には、何も起こらなかった。


 必ず幸せな結末を運んできてくれる英雄が。

 どこにも、いないと。
 知りたくなかった。


 ここにあるのは、砂と風。人と戦。
 それだけだ。

 ただ、それだけ。


「………みんな、誰だって生きていたいんだ」


 爪が、皮膚に食い込む。
 滲み出る血が、寝台の布に模様を描いた。

 がり、とそれを擦る。
 消し去ろうとするかのように。


「わかんだよ」
「わかってるんだよ」
「みんな大事な人がいて、必死に生きてて」
「藻掻いてそれでも死にたくなくて」

 叫んで。
 罵りすらしながら。
 こいねがう。

「俺の国と同じだ」
「……俺の民と同じだ!」
「悪いこと、ちっとも、して、ない………」
「そんな人を、俺、殺してきてる」
「憎くないのに」
「憎くないんだ」

「俺が悪いんだわかってる!」


 苦しいんだ………


 暗闇に満たされた狭い部屋。
 血と油と、焼けた肉の臭い。
 これ程、救いようのない場所はない。


「どうして」

「鴉に、心が必要なんだ………?」


 機械人形に憧れる。
 オイルをさして、それだけで。

 何も、考えず。
 感じずに。

 この『俺』なんて捨ててしまっても良かった。

 それで願いが叶うなら。


「全員が喰ったら」

「みんな、飢え死ぬんだ」


 願いが、叶うなら。

 本当に。
 なんにでも、なれる。



 心臓の上を、おさえた。



 そう。
 何でも、出来るんだ。

 狂うくらいに。


「……………………俺は」


 サンジは、呼吸を整えた。
 ――――自分の奥深くを、見つめる。

 どうしても、変わらないそれをまた確認して。
 その事に、絶望を覚えたのかも知れない。

 そう。

 結局―――――


「ふ……………」

 サンジは細く、息を吐いた。
 嗚咽とは、違う。

 コーザは、微動だにしなかった。
 表情も、変えない。

 見下ろしたまま、静かに。


「あ…………は、はは」


 サンジは、わらった。
 小さな金色の頭が揺れる。

 突然、その顔があげられた。
 きらりと目が光り、コーザを見上げる。

 うっすらと笑みを含んだ表情は、酷く滑稽に見えた。
 その目が湛えているのは、激情ではないのだ。

 その身を縛るのは、侮蔑や呪詛の声ではない。

 サンジは、唇を震わせた。


「はは…………わかるか」
「俺の、救えなさが」


 コーザは、動かしかけた指先を、意志の力で止めた。
 今、それを伸ばすことが。

 最大の、裏切り。


「……みっともねぇくらいこうやって足掻いてなんも出来なくて」
「ちっとも意味がないのに口先だけで嘆いて見せて」

 その虚しさを理解して、そのくせ。
 それでもまた繰り返す……愚かで愚かで仕方がない。
 反吐が出るくらい。

 醜い。


「何人も何人も殺して奪って自分は生きてるくせに…………なァ?」


 嘲笑う。
 どうしようもなく嘲笑う、その声。

 まるで、箱庭の中の人形劇を見下ろしている観客のように。
 のたうつ自分を、侮蔑する。


「どうしようもねぇんだよ、俺」


 サンジは低く喉を鳴らした。

「なあ、信じられるか?」

 真っ直ぐ前を見て。




「俺、後悔してねぇんだ」




 どれだけ非道なことをしても。
 どれ程の罪を犯しても。

 誰を傷つけ誰を殺しても。
 死ぬほどの罵倒を浴びせられても。

 なにが。
 どうなって、も。


「もし………もしな」
「もし何も知らないときに………どこまでも」
「奴を斬る前に、奴らに出会う前に」
「戦が始まる前に………俺が生まれる前まで」

 ずっと………昔。
 まだ、泣き声が聞こえていなかった頃。

「どこまでも、どこまでも戻れたとしてもよ…………なあ」

 どの選択をも、やり直せるとしても。
 何もかも、わかっているとしても。

「俺は同じ事を繰り返す」

 なんて、救いようのない。
 滑稽すぎる、話。

「繰り返さない筈が、ねぇんだ…………」

 選べない、などとは死んでも言わない。
 この道しか、選ばない。

「はは………罵れよ、なあ」

 サンジの顔が、歪んだ。

「どうしても、どうしても………」

 どれほど望んだとしても。



「後悔は、出来ない………」



 もしも立ち止まったりすることがあれば。

 自分を、殴り殺してしまうだろう。


「………なんで情とか、くだらねぇもんがあんだろな」

「みんながみんな、自分のことだけ心配するように出来てれば」


 もっと、楽だった。

 俺だけが、苦しむのなら。
 ちっとも、辛くなんてなかった。

 わかっている。
 わかっているんだ。
 いっそ、わからなければいいのに。

 わかっているんだ。





 してくれ……………


 言ってはいけない言葉。
 願ってはいけない望み。





 なあ。


 お前は、信じるかな。

 エリカの、あのカウンターで。
 戦に出ると、言った。

「…………あの時、死ねと言ってくれたら」


 俺は。


 なあ、今更こんな事、言えた義理じゃないんだ。
 けど。

 信じるか…………?

 あの時。
 あんな簡単な、時が。



 俺の、最後の希望、だったんだって。





+++ +++ +++




 暗闇の中で。


 目を閉じて横たわった、サンジを。
 頑ななまでに変わらないままで、コーザは見守る。

 影の中で、密やかに。
 もうすぐ、日が登る。それまでは。

「どこまでも、ついていくから」

 罪深いのは、自分も同じだと。
 どれほどの我が儘だとしても。

 叶えたい、事がある。


「……………生きろ」




+++ +++ +++




貴方を愛してはいけなかった。
貴方を愛さなければよかった。





            哀。 罠。 NOVEL