盲。
サンジは、拾い上げた小太刀をゾロの喉元に突きつけた。
「立てよ、『魔獣』。もう一度だ」
棘すらない、声音。
ゾロの喉がごくりと上下する。
サンジは、無感動な眼で見下ろした。
「責任を果たせ」
……………責任とは、何だ?
小太刀の切っ先は、震えもしない。
冷たい、細かいガラスの破片のような砂が、それより冷たい風に吹かれて舞い上がる。
サンジは、むずがる子供に言い含めるように、言葉を並べて。
もし、こんな場面でなかったら柔らかく聞こえたのだろう。
「お前の爪は、牙は何の為にあるんだ?」
「お前の敵を、引き裂くためだろう」
サンジは大げさに両腕を広げた。
先程とは、全くニュアンスの違うそれ。
小太刀が、腕につられてふらふらと空気を斬りさいた。
「ここにいるじゃないか」
これ以上ないほどに、決定的に明確な滅ぼすべきモノが。
お前の全てを奪って踏みにじろうとするモノが。
その上何が必要だ?
お前が殺さねばならないものが、今ここにいる。
「………………………」
そのまま数秒。
ゾロは、動かない。
膝をついたまま。
まだわからないのか。
「………………………………腑抜けが」
「!!」
サンジは小太刀を突き出した。
思わずゾロは地を蹴って転がる。
ざっ
飛び散る砂。
瞬時にサンジはそれを追って跳んだ。
月を背にして、転がるゾロの真上から落ちてくる。
下向きに構えた小太刀。ゾロの位置からは短い線に見えた。
「っ!」
ざくっっっ!!
小太刀が半ばまで砂に埋まる。
ゾロは危うく体をひねって避けた。
それでも服と、薄皮一枚が斬られて。
腹の横に、ひたりと冷たい刃が当たっている。
ぞっとする、その感覚。
そのまま、サンジはゾロに上からのしかかった。
その耳元に唇を近づけ。
膝で、ごりっ、と胸の傷口を圧迫する。
ゾロの眉間にしわが寄った。その手が刀を握り直す。
かまわず、低く優しく囁く。
「―――――知っているだろう」
背筋に悪寒が走る。
反射的に、ゾロはサンジを蹴り飛ばそうとした。
どっ
インパクトの瞬間、サンジは自分から地を蹴って飛び離れる。
そして柔らかく頬の筋肉を歪ませた。
「お前の足下に」
「俺の足下に」
この砂の上に。
夥しいまでに、染み込んだのは。
なんだ?
俺もお前も、全ての命が。
啜り喰らっているものは、なんだ。
「何があるのか」
「何を踏みつけているのか」
見たくないなら、それでもいい。どうせすぐ埋めてしまうのだから。
ただ、底に埋まっているだけだから。
この地の、砂の底の底に。
誰も、特別扱いなど受けられない。
誰も、自分が他とは違うなどと。
見ろ、これ程浅ましい。
「お前、そんなざまでいいのか………?」
全てを抱え込めるものなら。
本当に全てを抱え込めるものなら。
「甘過ぎる」
地を蹴って。
ざあっ
サンジは、影のように低い姿勢で突進した。
高速で繰り出される突きを、ゾロは何とか刀で弾き、軌道を逸らす。
返す刀で、もう一度防いだ。
「背負うものが、あるだろ」
触れあった刀を支点にして、サンジはくるりと体を回転させた。
ゾロの脇に、死角に滑り込む。
逆手に小太刀の角度を変えて、突き出す。
それを防ぐために、ゾロは手首を回転させた。
「お前の守るべきものを、見ろ」
ぎぃんんっっっ!!
小太刀の切っ先が、鬼徹の側面に突き立った。
青白い火花が一瞬散る。
勢いは殺せずに切っ先が滑る。鬼徹の刀紋に、似合わない白い細い筋が走った。
細い幅をそのまま滑りきった小太刀は、鬼徹と峰を十字に擦りあわせながらゾロの脇腹を目指す。
がっ
直前、ゾロはサンジの腰を蹴り飛ばし、切っ先は離れていった。
「……………………は」
跳ね返るように、サンジは着地と同時に再び砂を蹴る。
一メートルほど開いた距離をまたゼロに戻しながら、サンジはまたゾロをなぶり始めた。刀より鋭い、言葉を投げつけて。
「無駄だよ」
本気が出せないのは、お前の咎だ。
それは結局、終末を決めてしまう。
「……………お前がお前である限り、お前は俺には勝てはしない」
ぃいぃんっっ!
がぎんっ!
力の限り打ち合わせられる、鉄。
しかしゾロの太刀筋には戸惑いがあった。
サンジはそれを揶揄するように、続ける。
「ちゃんと自分が見えているのか」
閃く銀光。
「ぶちきれただけで怒りで我を忘れて俺を殺せると?」
「復讐というありふれた大義名分だけで一度馴れ合った相手を殺せると?」
侮辱。嘲笑。
「そう、自分で思っていたのか?分不相応にも?」
「とんだ脳天気だよ」
「お前がそんな奴だったらとっくに」
お前を殺していた。
「お前は何も見ていない」
先程とは逆に、ゾロの刀は完全に受けに回っていた。
食いしばる歯。血の気の失せた唇。
サンジは、斬りつける手を休めない。
その間に、ひとつずつ言葉を落とし込む。
「――――さっき、面白いことを言っていたな」
下段の大振り。
ゾロは跳び上がってかわす。
着地するまでの牽制に振り回した鬼徹を、サンジは低く身を沈めて避けた。
続ける。
「俺が何をしたと?」
お前を騙して、俺が何をしたと?
見えているのか。
「お前には本当にそれがわかっているのか?」
その意味を。
その罪を。
何がしたいんだ。
それすらわかっていないくせに。
「胸を切り裂けばいいのか。足を落とせば償えるか?」
例えばお前に殺されてやれば?
サンジは大きく足を振り上げた。
体を軸に回転させるように、真横からゾロに叩きつける。
「ならやるよ」
こんなものくらい。
それでお前の気が済むというなら。
それで俺の目的が果たせるというなら。
「!!」
ぎゅちぃっっ!
その軌跡の上には、鬼徹の刃があった。そんなことはサンジには解っていた。
わざわざ、そこを狙ったのだから。
線の細い肩に力がこもる。
「な」
そしてゾロは目を見張った。
止まらない。
刃に、足を。
ぶちあてて。
そのまま。
黒い布地の繊維が、切れ、裂ける。一瞬だけ露出する肌。
紅く染まる。
足の肉をすりつぶす感触。骨が当たるごつりとした感触。
「う」
思わずゾロは鬼鉄の刃を寝かせた。その一瞬には、それしか出来ることはなかった。
それでも、皮を剥ぐように薄くサンジの足は削れた。
まだ、止まらない!
「――――――――――ァ!!」
ごきり。
骨がこすれ合う音。
ゾロの肋骨が鳴り、肺から残らず空気が吐き出された。
一瞬かかとが浮き、そのまま砂の上を滑るように平行移動する。
岩場に叩きつけられるまで。
ごがぁんっっ!
こめかみを岩に打ち付ける。
血がだらだらと流れた。岩には亀裂が放射状に走る。
肩を岩に擦られながら、ずるずるともたれかかった。
サンジは、刃ごとゾロを蹴り飛ばした。
肉に食い込んだ鉄は、骨を切断するには至らず。
しかし、すねの肉と皮が人参でも剥いたかのように、細長く一枚削られた。
破れた黒い布の奧から覗く、赤、白、ピンク。
「…………………………ふざけるなよ」
サンジはゆっくりと足を降ろした。
その影に重なるように、血が砂の上に広がる。
色だけ残してすぐに染み込む。
「ぅ………」
こめかみを押さえて、ゾロがフラフラと立ち上がった。
血が入ったらしい目を擦りながら、こちらを確認しようと。
それに追い打ちをかける。
「お前が言ったんだろう?何故ひとおもいに斬り落とさない」
刃を立てたままにしていれば。
足は切断されていた。
お前にやると言ったのに。
足くらい。
だから、ふざけているというんだ。
奪う覚悟が、ないんだ。
俺を、突き落とす覚悟がない。
それで何が出来ると?
「お前は、斬るべきだったのに」
濃く香る血の臭いを、青白い風が洗い流していく。
サンジは、きっぱりと言い放った。ちっとも変わらない、無表情なままで。
「お前は、将軍失格だ」
自分の全てを捨てる覚悟と。
他人の全てを捨てる覚悟と。
どちらか片方でいいなんて、綺麗なことを考えてはいけない。
汚れて腐り果てる、その様を。知れ。
底はないのだ。どこまでも。
「それじゃ何も、守れやしない」
つ、と走る視線。
サンジは、ゆっくりと歩いていった。
落としたままだった鞘を拾い上げる。
小太刀を、静かにそれに収めた。
ゾロがいぶかしげに眼を眇める。
「斬る価値も、ない」
断言。
「お前には、何も出来ない」
結局、まだ夢を見るのなら。
全く無意味に純粋な夢を見るのなら。
こんな場所に出て来るべきではない。
まだこの世界に、都合のいい何かを求めようとするのなら。
情に対しての報酬が、罰だなどと認めたくないなら。
わざわざ蓋を開けるなんて悪趣味、しなければいいんだ。
善悪という幻想に、逃げ込めばいい。
サンジは、興味を失ったようにくるりと身を返した。
ゾロに背を向ける。
後ろから斬りかかられる可能性など、微塵も考えていない。
傲慢とすら言える背中。
吹き付けるガラスの砂。
赤い不完全な月。
哀しい喜劇の舞台。
観客はお互いだけで。
「待て……………」
刃の代わりに小さな声が、サンジを追った。
歩みは少しも、変わらない。
ゾロは目を限界まで見開いた。
ゆっくり、遠ざかっていく、憎い………敵。
「……………………待て、よ」
遠ざかる。いなくなる。
そんなのは間違ってる。
「待、て…………」
張り裂けんばかりに。
全ての願いと想いを込めて、ゾロは叫んだ。
ほとばしり出る、その震え。
鬼徹は既に、その手のひらからは離れて。
代わりに何かを掴むように、腕が伸ばされた。
縋るように。
引き留めるように。
引き、あげるように。
「サンジっ…………!!」
空を裂く。
その名を。
呼んで。
サンジの足が、止まった。
数秒。
コマ送りのように見える、速さで。
ゆるりと、振り返って。
そして。
…………………そして。
訴えるその呼び声に。
まるで台本通りの、答えが。
「―――誰を視て、いるんだ?」
虚像。
幻。影。
嘘。
仮面。
「俺は、鴉だ」
だめ押しのように、吐き捨てた。
青灰色の眼は、逸らされはしなかった。
何度も何度も、教える。
事実を。伝えて。
「だから、甘いと、何度も言ったな?」
凄まじく愚かなんだな、お前は。
何度傷つけられれば気が済む?
「俺に情を、期待するなよ」
サンジは。
ゾロに笑顔を見せた。
これ以上ないほど、残酷な笑顔を。
当然のように歩みは再会される。
突き落とされた者だけを後に残して。
足跡だけがどんどん生産されて。
独り言のような、その小さな言葉は、何故だか酷く明瞭で。
風に乗って、ゾロの耳まで運ばれる。
聴きたくない。
ききたく、ないのに。
あまりにも。
はっきりと。
胸をうつ。
「お前が俺に刃を向けたのは、これで二度目」
一度目は、ゾロが緋陽を斬ろうとしたとき。
二度目は、今。
「二度あることは、三度あると言うから」
「だから三度目は―――」
その弱さが。
わかったのなら。
するべき事もわかる筈だと。
「―――――外さないことだ」
なんて、硬質な。
存在、声、空気。その全て。
ゾロは立ち上がろうとしたが、くじけてどさりと座り込んだ。
それは命令、なのか?
そんなはずはないけれど。
サンジは、血の滴る足にかまいもせず。
それとわかる徴は、足跡に混じる血だけで。
消えて。
しまったのは、何なのだろう。
夜が、明けようとしていた。
まっぷたつの月を追いやって。
ああ。今。
勝手に世界がリセットされる。
何も終わりはしないのに。何億回も繰り返される無意味なけじめ。
ゾロは、がくりと頭を後ろに落とした。
自然、空のまだ夜の部分が目に入る。
今し方、言いたいことだけ勝手に言い終えて去っていった男に。
面と向かって言ってやりたかった。
お前は、間違っていると。
だって。
俺が。
俺が。
「俺が守りたかったモンの中に……」
お前も、入っていた。
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