蔑。




 やけに大きく赤く薄っぺらい、縦に割れた月。
 別に、そんな物に興味などなかった。

 ただそこに、在ればいい。
 無限の時代を重ねるものを、羨ましいとは思わない。
 そんな物が見たいわけではない。
 そんな物を見せつけられたいわけではない。
 夜の間の暇つぶし。
 眠るなどという拷問に、飽きただけだ。

 サンジは、ゆるりゆるりと振り向いた。

 そう、だからこれも。

「……………………なんだ、お前か」

 ただの暇つぶしなんだ。
 許された範囲のお遊びにしか過ぎない。

 復讐にぎらついた、不協和音を奏でる眼がこちらを見ている。
 ぎしりと音がしそうなくらい。
 視線に力があったなら。
 呪い殺されても不思議ではない。

 でもその刀の輝きは。
 月よりは、確かに綺麗だと思った。



+++ +++ +++



 どうでも良いようなその声音に。
 がん、と打たれたように頭が弾ける。

「『なんだ』だと………………?」

 自分の呼吸音が、やけに大きく聞こえる。
 神経の一本一本が、焼けこげてちりちりしている。
 鬼鉄の刃がきしりと鳴った気がした。
 自分と同調しているのだろうか。

 誰か教えてくれるといい。
 この男は、今何と言ったんだ?

 なんだ、だと……?

「それだけか」

 俺を騙して裏切っておいて。
 俺の国をめちゃくちゃにしておいて。

 平気な顔で、俺の胸を割り。
 当然のように、エースの足を突き刺し。

 そして。

 俺の部下を。
 俺の仲間を。

 皆殺しにしたのはお前だろ?


 俺のやった刀で。
 ―――――薄笑いさえ浮かべながら!


 したのはお前だろうが!!!!


「許さねぇぞ。許さねぇぞ…………」

 激情に、頭の奧が痛みを訴える。
 刀を握る手の色が、白く変わる。

 この岩影は南軍の野営地からは、ほんの少しだけ離れていた。
 邪魔も入らない。

 復讐を遂げるには、おあつらえ向きの舞台。
 とんとん拍子に事が進んで、あっけないくらい。

 なら、さっさと終わらせるのがいい。
 だれも、ドラマチックな展開など期待していない。

 ゾロは、凄惨な笑いを浮かべた。
 ちらりとサンジの右腕を見遣る。
 ひきつれる呼吸を無理矢理押さえ込み、嘲笑うような声音で話しかけた。

「………何で腕、まだついてねぇんだ?」
「……………………」
「お得意の妖術で、腕くらいくっつけて見せればいいじゃねぇか?」

 濁った重い物が胃の辺りで渦巻いている。
 憎くて憎くて仕方ない。

「そしたらもっぺん切り落としてやるからよ」

 サンジは黙ってこちらを見ている。
 その目が、諦めているように見えて、ゾロは笑いを収めた。
 ぬめるようにうっすらと月光を跳ね返す刀を、握り直す。

「抜けよ」

 あごをしゃくってみせる。
 サンジとの距離は、既に詰めてあった。
 10メートルほど。
 ゾロなら一瞬で斬り込める距離だ。

「抜けよ、さっさと。俺はテメェを斬り捨てたくてたまらねぇんだよ」
「そうか………………」

 サンジは、ゆっくりと左手をあげ、刀の鞘をくわえた。
 そのままするすると、刀身だけを抜き取る。

「……………そら」

 そして、こちらに向かってそれを構えた。
 視線を細くして。

 ゾロは、唸りをあげて飛びかかった。刀は、勿論鬼徹しか抜かなかった。



+++ +++ +++



 じっっっっ!!

 金属同士が擦れる耳障りな音が響きわたる。

 がっ!ぎっ!

 続けざまに、連続して。
 二振りの刀の軌跡は、繊細かつ美麗。
 それ自身煌めいて、そして火花を散らす。

「………………く」

 ぎしぎしと、骨が鳴る。
 明らかに、押されているのはサンジだった。
 僅かに眉をひそめ、どうにか重い一撃を受け流す。
 まともに受ければ、手の方が砕けるだろう。

 汗で手が滑る。
 冷たい視線が交差する。

 ぎぃんっっ!!

 一際甲高い音。

 みしり、と。
 サンジの腕が戦慄いた。

 魔獣の眼が、ふと光る。

「………………………!」

 小太刀が、跳ね飛ばされた。
 ゾロの唇が、ぐんにゃりと曲がった。

 くるくると回って空だけを切る小太刀。
 恐ろしく冷たい声が、静かに紡がれる。

「死ね」
「…………………」

 サンジは微笑んだ。

 うっとりと微笑んで―――腕を開いた。

 待ち望むもののように。
 まるでその刃を。愛しい者のように。

 避けも、止めもせず。









 何で。
 今更。

 こんな事を思い出させる?









 『早く…………終わるといいな。こんなのは…………』








 ハヤク

 オワルト

 イイ












 う。
 う。

 あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!











 どす、と刀が突き刺さった。
 ただの、砂の上に。

――――何故、避けないィっ!!!」

 魂の引き裂かれるような、ゾロの慟哭に。
サンジはぽつりと呟いた。

 凍った瞳で。
 腕を、広げたまま。
 置いていかれた、子供のように。

「…………そうだな」

 ゆっくりと、頷いた。

「俺は、避けるべきだった」



 そうしなければ、ならなかった。



「卑怯な手だな、こんなのは………」

 サンジの腕が、静かに垂れる。
 ゾロは、どさりと膝をついた。

 青灰色の瞳が、伏せられる。

 一瞬だけ。
 その刹那だけ。

 そしてまた、開かれた。



「だが、それでいい」



 それでいいんだ。
 こんなものは、ただの余興だから。

 それだけ。
 たったそれだけ。

 つまらない、ものだ。



「所詮、お前は本気じゃないんだ」

 くすり、と忍び笑いが漏れる。
 眼の上に手を当て、喉を鳴らす。

 お前に期待した奴は、全く無駄な足掻きだったわけだ。
 違う奴を、選べば良かったのに。

 結局、お前は何も選んじゃいない。


「お遊びに付き合う暇はない」

 ゾロの頭が揺れた。

「――――――わかるか、この現実が」

 サンジは、緩慢な動作で太刀を拾った。

「剣で、お前に勝てる奴はそういない………」

 月の光と青白い眼差しが、ゾロを串刺しにする。

「だが、俺が勝つ」

 俺が、勝つんだ。

「何故だかわかるだろう?」

 わかるだろう。
 お前の弱さが。

 綺麗な綺麗なその弱さが。

 お前から何もかも、奪っていくんだ。
 見ているだけなら。

 そこに、いるがいい。いつまでも。
 全てが終わっても、ぼんやりと見ているがいい。

「いくらでも蔑め」
「どんな卑怯な事だってしてやる」

 腐肉をついばむ鴉よりも、俺の方が卑しいんだから。

 酷く苛々する。
 夢を見ている暇など、誰にもないというのに。





         反。 盲。 NOVEL