反。




 考え事をしていた。
 だから、目の前を進む男の異変に気付くのが遅れたのだ。
 どさりと音がして。
 ゾロは驚愕し、馬を止めた。

「ウソップ?」

 ゾロはこの一週間の間に教えて貰った名を呼んだ。突然落馬した男の側に駆け寄る。
 うつぶせになった体をひっくり返せば、熱と荒い呼吸が伝わった。

「どうした」

 二、三度揺さぶる。

「………………いや」

 ウソップはぼんやりと目を開けた。
 ひどく痙攣している腕を上げる。
 ゾロには訳がわからず、問いかけた。

「調子が悪かったのか?熱がある、何故言わなかった?」
「…………そうじゃねーんだ」

 なんだか自嘲が混じっているような笑いが気に食わなくて、ゾロは顔をしかめた。ウソップは少し咳き込んで、言葉を続ける。

「病気じゃない。これは………報い、だ」
「報い………?」

 ウソップはゾロの腕を押しのけると、ふらふらと立ち上がった。

「裏切りの、結果だ」
「何を言ってる?」

 困惑するゾロにかまわず、ウソップは手を胸に当てた。実はそんなことをする必要もないほど、頭の中で大きく鼓動が鳴っている。

 これはゾロを連れ出す前から。
 この計画を立てたときから続いていた痛み。

 とうとう、限界に達したのか。
 裏切りに耐えられなくなるのは、体が先だ。

「……………すまねぇな、ゾロ。俺はもうダメみたいだ」
「ああ?」

 怪訝そうにうなるゾロ。
 ウソップは脂汗を垂らしながら、言い訳を口にした。

「もう、体力がもたねぇんだ。ホラ俺様ってば繊細だから、こんな強行軍だと、すぐ体調崩すんだよ………」

 違う。そんな単純なことではなかった。
 これは、裏切りの痛み。使い魔としての本能。

 罰だ。

「オイ………やっぱりなんか、病気なのか?」
「―――この方向に真っ直ぐ行けば………真夜中までには南軍にかち合う。今は野営をしてるはずで………」
「おい!?お前おかしいぞ―――」

 ゾロはぶつぶつと呟くウソップの肩を掴み、振り向かせた。
 その目が再び驚愕に見開かれる。

「!?」

 ウソップの唇から、多量の血が垂れていた。
 顔は青白く、がちがちにこわばっている。

「お前…………!」
「ゾロ。真っ直ぐ行け………野営地が見えたら、影に隠れながらだ………『狼』が見張ってる………」
「何を」

 ゾロは焦点のあっていないウソップを、無理矢理横たわらせた。
 その間にまた血を吐く。
 体の痙攣も止まらない。

「ウソップ!」
「…………悪いなあ、ゾロ。ここからは一人で行ってくれ」
「いきなり何だっていうんだ?これは持病、なのか?」
「持病っちゃ、持病かもナァ…………」

 頭をぶち割られるような吐き気。
 肉が引き裂かれるような痛み。

 でも、自分だからこれくらいで済むのだ。
 他の使い魔なら、こんな事……企んだだけで消滅は免れまい。

 中途半端に本能が薄いのは何故なのか。
 『蝙蝠』と言う立場のせいか。

 ここまでくるのに、何度もくじけそうになった。
 あるべき姿に反する為に、使った精神力。自分でも感心するくらい。

 ただ、ひとつの目的のために。
 自分が、やるべき事。

 サンジのかわりに。ルフィの、コーザのかわりに。
 自分が出来ること。

「『使い魔』ってのは………精神生命体に近いモンがあるから………それでこそ出来る事とか、出来ねぇ事、とか………」

 多分、サンジに死ねと言われればそうなる。
 意志が、物理的に作用する………体。

「?」
「わからなくても、いい………とにかく、俺はもう進めないんだ」
「いいから黙れ。医者に行こう。チョッパーが住んでるのはどっちだ」
「チョッパーでも治せねぇんだ………俺が、諦めない限り」

 アイツを救う計画を、諦めない限り。

 ウソップはへらりと笑った。
 視線をあげて、ゾロを見る。

 わかってくれ。

「俺は命を賭けて、ここまでお前を連れてきた」
「……………………チョッパーのトコに行くには、どっちへ進めばいい」
「そうじゃない」

 ウソップは視線を険しくした。

「お前は、余所見をしすぎるよ………それじゃダメなんだ」
「余所見だと」
「真っ直ぐ進めよ………!」

 ウソップはぺっと血を砂の上に吐き捨てると、下腹に力を込めた。
 この情報をしゃべることですら、体が傷ついていく。

「よく聞けよ、一度しか言えない………『狼』は緋陽を見てるから………サンジが一人でいれば、アイツに近づくのはそれほど難しくない………夜は野営地から外れたトコで、月を見てることが多いんだ…………」

 胃が腹の中で荒れ狂っている。
 言葉を紡ぐのに、多大な精神力を消費する。

「俺はここに置いて、お前は進め。『狼』は岩山にいることが多いから、死角を突いて………」
「…………………ウソップ」
「お前にしかできないことだ……!俺は、命を賭けたって言っただろ……」

 ゾロの目が細められる。
 ウソップは顔面の筋肉を総動員して笑ってみせた。

「だからお願いだ………お願いだから」

 ごめんな。
 俺は、全てを裏切っている。

 こんな事を言って。
 無関係なお前すら、利用している。

 ごめんな。
 ごめんな。

 痛いよ。

「サンジを殺してくれ…………」

 ウソップは喉を絞り上げた。
 声がつかえて、苦しい。

 俺には。
 アイツの叫びが聞こえている。

「殺して………」

 この戦の行く先なんてどうでもいい。
 それが、どんな裏切りかなんてわかっている。

 アイツには助けが呼べないんだ。
 祈ることもできないんだ。

 それくらい、わからない筈がない。
 アイツのことは、俺が一番わかってる。

 だから本当は、俺が。

 俺が。やらなきゃ。

 ……………でも、俺には出来ない。
 こんな、間接的な方法しか。

 俺が。俺が。

 やらなきゃいけなかったのに。





「わかった」





 ゾロは、静かに呟いた。

「そこまで奴が憎いのか」

 ウソップを馬に乗せると、風が避けられるように大きな岩の影まで連れていく。
 がちゃりがちゃりと、刀のぶつかる音。

「俺と同じなんだな」

 ウソップは答えない。
 迷いを振り切り、ゾロは馬に飛び乗った。
 そしてくるりと振り返る。

「死ぬなよ?」
「馬鹿、死なねぇよ」

 ウソップはゆらりと手を振った。
 ゾロは、安心したように馬の首を前に向ける。

 馬を駆って走っていく後ろ姿を、ウソップはぼんやりと見つめた。
 締め付けられる喉。停止しない痛み。
 手の震えが収まらない。

 べっとりと血の付いた胸を擦る。

「怖い、よ…………」

 俺の中には、きっと俺が二人がいて。
 どっちも俺で。

「俺は今更、迷ってる…………?」

 今、ゾロを呼び止めれば。
 まだ、間に合うなんて考えている。

「ダメだダメだダメだダメだダメだダメだ…………ダメだ」

 俺が、二人いる。

 アイツの生を願う俺も。(昔の夢を見てしがみついて)
 あいつの死を願う俺も。(叫びが聞こえて耳をふさげない)

 どちらも選べないんだ。
 中途半端な、蝙蝠。


 でも、選んでしまったんだ。


 後戻りは出来ない。
 してはいけない。

「もう、決めた事だろ…………!」

 ウソップは額を膝にこすりつけた。
 がちがちと歯が鳴る。

 報いが怖いのではない。

 逆流する血が。破裂する心臓が。
 怖いのではない。

「…………………俺は」

 アイツが、居なくなるのが怖いんだ…………

「情けねぇよ………」

 最後まで見ているって、決めた筈だろ!
 アイツを救ってやるって、決めた筈だろ!

 叫びが聞こえている!!
 願いはわかっている!!

 だから俺は。
 こうすると、決めた………

 何も知らないゾロまで利用して。
 この体では出来ないことを、代わりに。

「迷わない………んだ」

 もう、決めたんだから。








 けど、本当は。
 本当はアイツが。

 飯を食ってくれただけで、潰れるくらいに胸が苦しかった、んだ。





         況。 蔑。 NOVEL