況。




 密通者が、居る筈だ。

 エースは廊下の柱の影に身を預けながらそう考えた。
 軽く眉間にしわを寄せ、何度か繰り返した思考を張り巡らせる。

 北に帰還してきてから、いくばくかの時が過ぎていた。
 頭の痛い問題ばかりがエースの心にのしかかっている。

 密通者が居る筈だ。エースはまたそう思った。
 ルフィも、サンジも、北にいたときに王宮内で何か活動していたとは考えられない。一般人が立ち入れるような場所ではない。しかし、放って置くとも考えられない。将軍、高官の動向、出陣予定、作戦内容などは、王宮内でしか手に入らないだろう。外に家を持つ隊長や高官以外、王宮内の者はほとんど外に出ないから、情報がばらまかれる事はない筈だ。機密に近づける距離に、侵入されている筈だ。
 そして情報に近づけるのは王か、大臣か、隊長か、高官か、地位の高い侍従…………までだろう。
 流石に王は除外していい。大臣は、生まれたときから身分が証明されている。ほとんどの高官もそうだ。隊長に関しては、最後に任命されたのがゾロだ。それだって一年半以上前の事である、まさかそれ以前から………? 除外はされないが、可能性は低い。
 一番身元が怪しいのは、侍従。それも一年から半年前くらいに王宮に現れた奴だ。…………該当する者は、そんなに多くはない筈だ。隊長や高官が直接抱き込まれている可能性もあるが、流石にそれは一番後回しにするしかない。

 スパイの存在は前々から勘付いていたことだ。だが、サンジとルフィのことは色々と勉強になった。
 奴らは、非常に仮面を付けるのが上手い。怪しい行動など、いくら待っても見せることはあるまい。そして目的遂行のためには何でもするだろう。

 まさか疑うことなど考えなかった者を、疑わなくてはならない。

 エースは溜息をつきかけると、それを飲み込んだ。考えなければならないことは他にもある。
 ゾロ。
 ほとんどの時間を寝て過ごしていたためか、傷の方はもうほとんど心配ないようだ。いっそのこと、半年くらい寝込んでくれれば余計な心配をしなくていいのだが。寝ている間にちょっとだけ傷を深くしてやろうか。
 鬼畜な事を考えつつ、しかしエースは真剣だった。
 ゾロは隙さえあれば王宮を抜けだそうとする。どうせ一人で砂漠に出たって迷子になるくせに、それでも行こうとする。たとえエースが足一本くらいを折ったところで、諦めるような様子ではない。自前の体力で、這いずってでも行くだろう。
 今のところは………ようやく頭を使い始めたのだろうか、南の位置、道のりの情報を手に入れるために躍起になっているようだ。都の中で迷子になった後、目撃者によってエースに引き取られるのは五回も繰り返せばこりごりだろう。
 地図なんか入手したところでゾロに扱えるはずもないのはわかっている(そもそも正確な地図は貴重だ)し、そもそもゾロを外に出す手伝いをするような人物は居ない。全て自分の指図だ。

 ゾロはもう、きっとサンジに会うべきではない。

 エースにはわかっていた。
 ゾロのためにも………サンジのためにも、会うべきではない。
 ゾロという大きな戦力がなくなるのは痛いが、エースはもうゾロを戦に出すべきではないと思っていた。最悪の結果を引き起こすのがせいぜいだ。

 エースにはわかっている。
 エースには結果がわかっている。

 ゾロはもう、サンジにあってはいけない。

「………………………」

 ふと、耳をそばだてる。
 こつこつと軽快な足音が響いてきた。

 彼女の足音だ。

 エースは呼吸を細くすると、足音が通り過ぎるのを待った。
 そして、そっと柱の影から廊下を覗き込むと、ゆっくりと足音の後を追った。

 うまく動かない足の扱いにも、もう、慣れた。



+++ +++ +++



 目を開ける。

 深夜。窓からは月の光すら入って来ない。
 あなぐら深くから見上げる獣のように、ゾロは微かにうなった。
 ぎしり、とベッドを軋ませ、のっそりと起きあがる。

 部屋の隅の、一番影の濃いところ。
 薄い気配が存在した。

「…………………………斬るぞ」

 誰だ、とも何の用だ、とも訊かずにゾロはさっさと鬼徹を手にした。
 勿論本気である。ゾロは気が立っていた。
 すると慌てたように、するりと影が移動する。

「まままま、待て待て待て」

 わたわたと手を振り回している様子に、ゾロは取り合えず殺気を消してやった。
 知り合いの声ではない。そんなことは気配から分かっていたのだが。

 普通の、人間のような気配だ。

 ただ、それがフェイクだということは推察できる。
 普通の人間が、王宮内の、しかもゾロのベッドの側まで気付かれずに忍び寄ることなど出来ない。これもこの影の手のひとつなのだろう。
 油断なく、ゾロは刀を手放さなかった。
 殺気が消えたことを確認すると、影は唐突に話を切りだした。

「南に行きたいんだろ?」
「!!」

 すらり、とゾロは刀を抜いて影に斬りつけた。
 それを予測していたように、影は横に滑る。

「南はもう、進軍を開始してるぜ」
「!」

 重要な情報を、さらりともらす。
 信用して良いものか、ゾロは警戒を強めた。

「俺はそのルートを知ってる」
「……………………」
「俺が連れていってやる」
「……………………」

 動きをとめる。
 不審人物からの急な申し出に、ゾロは戸惑った。
 それはたしかにゾロの望みだが、それがこの男に何の関係があるのだろうか。

「お前は―――」
「俺様の事はキャプテンと呼べ」
「………………俺は今冗談につき合えるような気分じゃネェぞ」

 怒りを含んだ低い声に、影は肩をすくめた。気楽に聞こえる声で、返してくる。

「…………俺だって、冗談じゃないんだぞ」

 ただ、影の目に青白い炎があがっていた。
 妙な気迫に押されたような気がして、ゾロは取り合えず黙った。

「俺のことは信用しなくていい。ただ、お前は行きたいし、俺は行かせたい。たったそれだけだろ?」
「………………」

 ゾロは数瞬の沈黙の後、黙って頷いた。
 この男の正体も思惑も、自分には関係ない。必要なのは、復讐を果たす手段だった。この機を逃せば、もうそれは叶わない気がする。

「俺ならお前を連れ出せる。王宮を出るのだって簡単だぜ」

 それは嘘ではないだろう。現に、ここまで侵入しているのだ。

「来るか来ないかだけ、決めてくれ」

 答えは決まっている。ゾロは即答した。

「よし。案内しろ」
「………………態度デカいぞ、お前」



+++ +++ +++



 月明かりに照らされた青い砂と岩の上を冷たい風が吹きわたる砂漠。

 ゾロは、不審人物の後ろについて歩いていた。
 正確には、馬に乗って。南軍のルートにさしかかるには、馬を使っても一週間ほどはかかるらしい。

 エースは今頃、ゾロが居ないことに気付いて激怒しているだろうか。それともいつものように迷子目撃情報を待っているだろうか。
 彼が、自分のことを心配しているのは知っていた。
 悪いな、と心の中で謝る。

 許せない。ただそれだけなのだ。
 自分の大切なものを奪った人間が許せない。

 それは普通だろう?
 誰だってそう思うだろう?


 胸の奥が、妙に冷えている。
 最近は、感情の動きがあまり感じ取れない。

 ゾロは、ふと気紛れに口を開いた。
 先程から沈黙を守っている、前を進む縮れ髪に声をかける。

「お前は、なんで俺を連れていきたいんだ?」
「………………………」

 その言葉に、男はゆっくりと、ふりかえった。
 少年、と言ってもいいような外見。全く『普通』の。
 長い鼻は特徴的だが、それだけだ。馬の鞍には弓が装備されている。

 男は、静かに笑った。
 息を吸い込む音が聞こえる。

「サンジを殺して欲しいからだ」

 そうして、会話はそこで途切れた。



  +++ +++ +++



 エースは、王に出陣を要請した。





              従。 反。 NOVEL