遺。
『何で、戦なんかするんだよっ!』
『みんな辛いだけじゃないか!』
『死にたくないだろっ!?殺したく、ないだろうっ!?』
『何で………!』
『お前さえ、お前さえ、いなければっ………!』
なあ俺おかしいか?狂ってるか?
そんなの、むしろ望むところなんだけどな。
誰か、俺に説教でもすればいい。
殺すなと。
奪うなと。
それでも。
傷つくなんて大それた事、出来そうにないんだ。
何があっても、平気。
お前にはきっと、きこえない。
+++ +++ +++
「主」
密やかな声が鼓膜を叩く。
簡素な木の玉座に座る緋陽は、ちら、と視線をあげた。
冷ややかな気配。
「鴉か」
ゆっくりと手招きする。
その足下に、すう、と黒い影が跪く。
「潜入の準備が整いました。別れを告げに」
「そうか………」
南の地のオアシスが涸れ始めてから、どれくらいの時が経ったろうか。
単純な飲料水の問題だけではなく、作業、農業用水の不足は食糧危機をも招く。
国は緩やかに死にかけていた。
北に攻め入ることを選択肢にいれたのは、つい数日前。
極限の状況。これ以上耐えても、待つのは死のみだ。
まずは北の事情の調査。同じような状況にあることも考えられる。
もしも、北と南のふたつを支えられるくらいの水が無いのなら―――
無いのなら。
浅ましい言い方をするなら。
殺して奪い取るだけだ。
自分の足下の使い魔を見下ろして、緋陽は困ったように笑った。
「私は狡いな」
鴉の眉がひそめられる。
緋陽はそれに関心を示さず、虚空を見つめた。
「もしも………もしも、戦が避けられぬのなら。お前がそう判断したなら」
緋陽は目を細めて呟いた。
「私が死ぬまで、お前がこの地に戻ることは許さない。反論もするな」
鴉が顔をあげた。
「俺の役目は―――」
「―――『緋陽の身代わり』も兼ねているのは知っている。だが別に、私をそこまで生かす必要はないよ。まだナミがいるからね。お前はナミに譲る」
「…………………」
鴉には、本来緋陽に向かうはずの術の反動を肩代わりする機能があった。
圧倒的に勝る国力を持つ北に戦いを挑むには、緋陽の力は必要不可欠。なるべく効率よく、緋陽を『使い捨てて』いかなければならなかった。
跡継ぎが要るのならば、緋陽が命を惜しむ必要はない。鴉とて、一人しかいないのだから。
「わかっているな?」
「――――はい」
そう、これはもう決まったことであり、それに反論するのは鴉は勿論、緋陽自身にも許されてはいない。
豹の頭を持った半人半神の王は、胸に手を当てた。
その唇が軽く開かれ、閉じられた。
「これは呪いの言葉か」
その手を伸ばすと、鴉の肩に手を当てる。
静かな、しかし聞き逃しようのない不思議なトーンの声。
鴉にとって、それは必要な言葉だった。
躰を切り取り、心を捨て去り。
それでもしがみつくための。
「お前の使命、お前の存在意義。お前の民を守ることだ」
国の痛みを緋陽が受けて。
緋陽の痛みを鴉が受ける。
豹の爪と牙。
鴉の翼と声。
すべて、南の為に使う。
「私は死ぬが、お前は生きろ。お前からの連絡があったらすぐに、攻め入る」
そして緋陽は急に、表情を和らげた。
もちろん仮面に隠れて見えるはずもないが、声の調子からそう感じられた。
これは王ではなく、母親の声なのかも知れない。
何となく、鴉はそう思った。
最期にはそれくらい、許されても良いと。
「ナミのこと、頼んだよ」
「はい」
そのやりとりを最後に、緋陽は口を閉じた。
腕を振り、下がるように合図する。
闇に溶けるように、参上したときと同じように、すう、と鴉の姿は消えた。
全てを救える腕はないと知っている。
緋陽は、唇を動かした。声を出さずに、それは緋陽の掟。
もう既に、躰に染みついている。
「お前の方が、きっと辛いんだ」
泣き喚いてはいけない。
狂気に逃げるのも許されない。
ただ孤独に生きる。
それを、緋陽は見届けてもやれない。
糾弾されるのが当たり前の生き方。
許してくれなどと、望むのも既に罪悪。
+++ +++ +++
第三十九番隊隊長の変わりように、頭を痛める人間は多い。
ボン・クレーでさえ、以前のように彼と接することは出来なくなった。
前から愛想がいいとはとても言えない男だったが、それでも彼に懐いている人間は沢山いたのに。
部下を失い、全治二年の深手を負い。
人々が知るのはそれくらいのことでしかなかったが、それでも人ひとりの人格を変えるには充分すぎると、誰もが納得した。
第三十九番隊の特訓の厳しさは有名だったが、彼の部下は本当の意味でゾロに不平を言うことはなく、むしろどの部隊よりも親密さがあった。若輩者、と言える歳のゾロを、副隊長を始め全員弟のように思っていたことは明らかだ。
ゾロは、昏い目をするようになったと誰もが言う。
憎しみと怒り。
ベッドに縛り付けておかなければ、今にも南へと馬をとばすだろう。
『復讐』のために。
エースは、傷の治療のためだろうか、一日のほとんどを寝て過ごすゾロの部屋にいた。
物の少ない部屋の、床の上に腰を下ろして、一応ベッドに横たわっているゾロの様子を見る。
エースの足は、うまく動かなくなった。
突き刺され、焼けこげた足。
それでも落とさなかっただけマシだと、エースはそれを撫でた。
ゾロはそれを見て、こう言ったのだ。低い固い声で。
『それ―――刀傷だな』
否定してどうなる物でもなかったので、エースは黙っていた。
ゾロは自嘲するように、歪んだ笑みを顔に張り付けた。
『俺は、馬鹿だった』
今のゾロからは憎悪しか感じ取れない。
サンジの話をするのを、ゾロは嫌がった。
そういうときは、凍り付くような雰囲気がさらに勢いを増す。
昔―――と言うほど前ではないのにそういう表現をする自分に、エースは苦笑したが―――戦の後、人を斬った後に荒む気分の時、ゾロは少しだけそんな雰囲気になる事があった。
エースはそういうとき、ゾロをエリカに呑みに誘った。
そこで、ゾロをゾロに戻した。
それが、日常だった。
半年。
会ってから、それしか経っていなかったのに。
窓から落ちる明るい日差しに何かを思い出して、エースはその名を呼んだ。
「サンジ………ゾロが、拗ねちまった…………」
自分だって、傷ついていないわけではない。それを認めるほど素直でないだけだ。
「サンジ」
エースのその呼びかけに、答えたのはサンジではなく。
「殺してやる………」
ぐっすりと寝ている、緑髪の男の唇だった。
深淵の底から覗く、ある感情に特化した声。
無骨な指がシーツを強く引っ掻く。
日差しだけが、明るい。
ベッドの脇に立て掛けられた鬼徹の鞘が、かたんと鳴った。
+++ +++ +++
明るい、明るすぎる日差しの中。
サンジは一人で立っていた。
左手には、しっかりと小太刀を握って。
一人で。
「誰か、俺を知っているか」
風と砂に紛れて消える声。
何処にも届かない。
それに、酷く安心している。
腕を切り落として、俺があの時、最初に何を思ったか。
喪失感じゃなく。勿論後悔じゃなく。
切望した。
『ああ、このあかいあかい、鮮やかなだけで、しかもついでに俺を生かして何の役にも立たない液体が』
水だったなら。
そう。思った。
―――――眠ると夢を見る。
誰かが、遠くで泣いていて。
その声が。
小さくて、掠れて、もう風の唸りの方が大きいような声が。
俺の鼓膜を突き刺して。
めちゃくちゃに掻き回す。
『悪いこと、してないのに』
そこでいつも、起きる。
目を開けて。手を見て。
その卑小さに、酷くゆさぶられる。
それから。
小太刀を抱きしめて。
赤子のようになってまた眠る。
その声を巻き起こす原因である筈の、殺しの道具に、縋る。
まみれた血が滴る、鉄。
サンジが、いつも、片時も離さないのは。
その、片刃。
ぎゅっと握りしめて。
右手の代わりに。
骨が折れるくらい、握りしめて。
―――これ、俺にくれたんだろ?
俺のために、くれたんだよな?
だからもう。
独りじゃない。
あの記憶があるから。
俺には、これがあるから。
これだけでいい。
何を捨てても、平気なんだ。
壊れない。
傷つかない。
そう思っても、いいだろう?
それだけでいいんだ。
俺には勿体ないくらいなんだ。
………見苦しいかよ。
だよな。
お門違いだよなあ。
敵に、縋るのは。
俺が傷つけるその相手に、縋るのは。
でも。
頼むから。
頼むからそう思わせてくれ。
お前にはきっと、きこえない。
だから、安心してそう願うことが出来る。
お前にはきっと、きこえない。
だから何があっても、俺は平気なんだ。
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