選。




「ちー、ちちちちちちち」

 ウソップはそうさえずりながら片手を天に伸ばした。
 その手に、ぱさりと音を立てて茶色の鳥がとまる。

「ちょーっと、じっとしてな」

 鳥は言葉通りに大人しくし、ウソップはそっとその足から目当ての物を奪い去った。
 小さな紙片。北の王宮に潜り込ませている『鼠』からの定期連絡だ。
 ウソップはすばやくそれに目を走らせて、それからすぐにくしゃくしゃと丸めた。
 ぽいっと放り上げ、ぱくっと口でキャッチする。

 ごくん。

「………うえ、マズ」

 毎度のことだが、ウソップはそう呟いた。
 燃やすのは勿体ない。こんな物でも少しは腹の足しになる。

 流石に引っかかりを覚えて、ウソップは二、三度咳き込むと喉の辺りを撫でた。
 ふ、と日差しが遮られる。
 ウソップは振り向こうとした。

「っっっっ!!」

 その喉に、するりと腕が巻き付く。
 一瞬も間を空けず、凄まじい負荷が喉にかかった。
 気管と頸動脈が締め上げられ、瞬く間に感覚が鈍くなる。
 足が、浮いた。

「…………!!…………!!!」

 ウソップはじたばたと藻掻いた。
 必死に腕を叩き、降参の意志を示す。

「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」

 きゅう。

 その動きがだんだんと遅くなり、やがて止まったところでその腕の持ち主は少しばかり力を緩めた。
 がはげはと咳き込んで、ウソップが再び酸素を補給し始める。
 涙目になりながら振り向こうとするが、いまだに緩く締め上げられているため果たせない。
 仕方なくそのままの体勢で何とか言葉を絞り出した。

「わ、悪かったって………」
「…………………」
「だって、お前俺の言うこときいてくんねぇしよ………」

 ぎゅう。

「ぐえ!…………ちょ、ちょ待て」
「…………………」
「た、確かに痺れ薬はちょっとやりすぎたかもしんねぇが
「……………ちょっと?」
「いや、いや大分!うん!やりすぎたなっ!!ごめんなさい!だからちょっと力抜いてくださいお願いします死にます俺かよわいです」
「………………………」

 コーザは溜息をつくと、ウソップをホールドしていた腕を解いた。
 慌ててそこから逃れ、わざとらしく深呼吸するウソップ。

「まったく、オマエら乱暴なんだよ………!もうちょっと高度なレベルでのコミュニケーション………コミニュケーション?を覚えないと」
「……………………」
「だから腕力じゃなくっ!!」

 ずざざっ、と注目すべきスピードで、指を鳴らすコーザから距離をとる。
 しばらく見つめ合う。

 その間から、ふざけた雰囲気が消えた。

 話を切りだしたのはコーザからだった。

「もう、止めるな」
「……………………」
「奴を斬らなかったから、とは言わない………だがな」
「………………違う」
「奴は追いつめるんだよ。だから腕まで落とした」
「違う!」
「違わない」

 ウソップが伸ばしかけた手が、力を失ってだらりと落ちる。

「…………奴が『サンジ』を見るからだろ」

 だから、全力で否定しなければいけなくなる。
 自分を貶めてみせるんだ。

 コーザの言葉に、ウソップは首を振って答えた。

「………でも俺は奴を殺させない」
「何故だ………あいつのの為を思うなら!」
「違う………」
「辛いだけだろう!?」
「違うんだよ………」

 ウソップは、くしゃくしゃに顔を歪めて呟いた。

「だから、だから奴を生かしておくんだ、俺は………」

 俺には出来ないことを、やらせようとしているんだ。
 ごめんな。
 ごめんな。

 みんな………ごめんな。

 俺は裏切り者だ。

「俺は」
「俺の目的は」

 もっと別のところに、ある。

「どっちかを、殺して貰うことなんだ」



+++ +++ +++



 飢えと乾きが支配するこの南の都に、その数を大分減らした南軍が帰還したのはつい先程のこと。
 この風景を見てから、ここが都だとは考える者はいないに違いない。
 廃墟、と言った方が信じる者は多いだろう。
 石造りの建物は数えるほどしかなく、道端に転がっているあれは………乾いた、骨だろうか。
 人通りは全くと言っていいほど、ない。
 たまに、風通りの良い細い通りなどに人が転がっている。
 骨と皮ばかりになって。

 『鴉』の部屋からはそんな様子がよく見えた。

 ばさり、と音を立てて扉代わりの布がめくりあげられる。
 よく知った気配にもサンジは振り向くことをせず、じっと一点を見つめていた。
 頬を掠める乾いた風。ぬるくはない。熱を孕んでいる。

「サンジ………」

 幼なじみが、気遣うように彼の名を呼んだ。
 その手には盆が乗っている。

「手は、痛くないか?」
「無い物が痛いわけねぇっつの」

 気軽な口調。きっと、彼の前でだけだ。
 それなのに気詰まりな空間。
 ウソップはゆっくりと息を吐き出した。

「サンジ………なぁ」
「なんだよ」
「お前さぁ……もっと頼れよ」

 外を見つめる後ろ姿。

 こんな陳腐なことしか言えない自分に、嫌気がさしている。
 だが、他に言うべき言葉が見つかるわけもなく。

「頼れ?何でだ?」
「イヤ………」

 ウソップは口ごもる。
 いっそのこと。

 コイツが、機械なら。
 良かったのかもしれない、と思う。

「手とか………さ。辛いときは、弱音を吐いてくれよ」
「手?」

 サンジはうんざりしたように首を振った。

 金糸がさらさらと揺れる。

「お前まで、同じようなこと言うんだな」

 あくまで振り向かないまま、見せつけるように手首を突きつける。
 ウソップは目を逸らさない。

「要らないモンから落としただけだって」
「要らない………って」

 ウソップからは見えない顔。けれどにやりと唇を歪めてみせる。
 そう、要らない物。

 何の為に付いているのかわからない物は、要らないだろう?

 戦うための両足。
 戦うための左手。

 右手は?
 今まで何に使ってきたか、知っているけれど。

 もう。意味がなかった。

「こんな俺には意味がない」

 もう、要らない。
 だから選んだ。

「今の俺に必要なのは………」

 しっかりと抱えていた物を指先で辿る。
 この、刀。

 それを選んだ。

 生かす為ではなく。
 殺す、為の。

「喰わせる為に必要なのは、手じゃないんだ」


 何も言えない。


 行き詰まるような、息詰まるような沈黙。
 ウソップは声を震わせないように一生懸命気をつけた。

「―――メシ、持ってきたから喰えよ」

 側のテーブルの上に盆を置こうとする。
 それをサンジは言葉で制した。

「要らねぇ」
「……喰えよ」
「要らねぇって」
「喰えよっ!」

 とうとうウソップは声を荒げた。
 それでもサンジは応じない。

「お前何喰って生きてんだよ、この前から全然物喰わねぇって………!」
「―――聞きたいのか?」

 興奮するウソップに、サンジが言う。
 苦笑しているのだろう、それくらいは、顔を見なくてもわかる。

「……………………」

 切り落としたサンジの右手が何処に行ったか、誰も知らなかった。

「ちゃんと、喰えよ………」

 哀願の響きを多分に含んだその声音。自分で聞いていても情けない。
 ウソップは唇を噛みしめた。
 小さな溜息がきこえる。

 窓の側に立っているサンジの脇を通って、砂混じりの風がウソップに吹き付けた。
 砂が入らないように目を伏せる。
 それを待ったように、聞きたくない台詞をぶつけられた。


「―――今、死ななければそれでいいんだ」


 小太刀の鞘を愛おしげに撫で続ける。
 サンジは肩から力を抜いた。

「食べたくねぇんだよ……」

 それは本当だ。サンジは嘘をついているわけではない。
 食べたくない。

「吐き気がするんだ」

 物を食べている自分は。

 小太刀を撫で続ける指。
 ウソップは、かっと顔を赤くした。

「『今』?」

 何を見ているんだ。

「今だけなのかっ………?」

 がちゃんと音を立てて盆を置く。
 サンジの背中に詰め寄った。

 ちゃんと届くように、声を張り上げる。
 聞けよ。もっと。

「……今とか言うなよ!もっと」
「もっと?」
「もっとあるだろ!」

 ウソップは必死だった。
 聞いてくれよ。
 もっとちゃんと。

 お前のことを呼ぶ声が、結構いっぱいあることに。
 気付いてくれ。

「例えば?」
「この戦が終わればさ………!終わればまた」
「………この戦が終わったら?何言ってんだよ、ウソップ」

 やっと、振り返ったサンジは、思ってもいないことを聞かれたかのように。
 きょとんとして、答えた。

「この戦が終わったら」

 そうしたら。

「俺に何があるっていうんだ?」



「――――俺はもう、弱くはなれない」



「…………………………!」

 ―――くじけない。

 ウソップはぎゅうと腕に力を入れた。
 自分がくじけたら、誰がこの男にお節介を焼く。
 誰が、見届ける。

 ぐん、と腹に力を込めた。

 しっかりしろ、キャプテン。
 なるべく『前』みたいに。
 かつての………『日常』みたいに。

 もう戻らないなんて、言うな。

 そんなの……知ってるんだ。

 あの日常が、もう無いって事を。
 痛いほど、わかっている。

 もう無い。
 もう亡い。
 もう、ないんだっ!

 でも。

 それでもみてみたいんじゃないか。
 一瞬でもいい、偽物でもいい。

 掴みたいんじゃないかよ。

「お前、自分じゃわがままを言うクセに……」
「…………………」
「俺の頼みは聞けないんだなっ!?そんな奴に育てた覚えはないっ!」
「奇遇だな、育てられた覚えもねぇよ」
「屁理屈をゆーなっ!コレは取引だぞっ!?」
「取引?」
「俺はお前の頼みを聞いたっ」

 急にサンジが黙り込む。
 痛いところを突いた自覚はある。

「そうだな?」
「…………………」
「重かったぞぉ………チョッパーのトコまで、俺だけで引きずってったんだからよぉ」

 問題はそこではなかった。そんなことは二人ともわかっているけれど、ウソップはわざと外す。白々しいお芝居。

「今度は、お前が俺の言うこと聞く番じゃないのか?」
「……………………」

 陥落を確信したウソップは、サンジの腕を取るとぐいぐいと引っ張っていってベッドに座らせた。そしてその膝の上に盆を移す。

「喰え」
「…………………」

 サンジは仏頂面をして、しぶしぶスプーンを握った。
 それだけで、胸が痛いほどだなんて、きっと彼にはわからないのだろう。

 ウソップはごしごしと鼻の下を擦った。

 よくやった、俺。
 泣くな。



+++ +++ +++



「なあ……………」
「………………………」
「どうしたら、良いんだろうなあ……!」
「………………………」
「すまん……言ってみた、だけ、だから」

 当たり前だった。

「そんなこと、みんな聞きたいに決まってるよなァ」

 俺もお前も、アイツも奴もあの人も。
 聞きたいに、決まっている。

 幸せにしたかったり、なりたかったり。
 たった、それだけなんだけれど。





          花。 遺。 NOVEL