集。
じゅぶりっ!
「……………………」
刃が肉を貫く嫌な音。
濃い血の臭い。
サンジの腕を這い登る、生温く重い感触。
ひゅ、とエースの喉が鳴った。
「エ…………ス」
エースの腕を拘束する、ルフィの腕が硬直する。
サンジは、新しい笑みを唇に張り付けた。
やはり、この男は侮れない。
エースのブーツの裏から。
ルフィからかろうじて見える、足の甲まで。
貫通し、根本まで刺さっている小太刀。
エースは、サンジの小太刀に自分から足を突き刺したのだ。
あの一瞬で。
足よりも、命の方が重いのは当たり前だ。誰でもそう言う。
ただ、それなら足を切り落とすことに躊躇いがないかと言えば、勿論そうではない。
サンジは素直に、エースを尊敬する。
剣よりも、手足。
手足よりも、胴体。
胴体よりも、頭。
絶対順位が、この男の頭には叩き込まれている。
それは、尊敬に値することだ。
惜しい、男だ。
サンジは、小太刀を引き抜こうと左手に力を込めた。
ごり、と足の骨に刀が当たる。
エースが苦しげに息をついた。
そして、かち、と音がした。
エースのブーツの中から。
「!!」
かっ!!
爆風が、サンジの体を吹き飛ばした。
炎にあぶられて、手の肉が焦げる。
しかし、それでも小太刀は離さなかった。
肉から刃が抜ける、ずるりとした感触。
辺りに立ちこめる、もうもうとした煙。
「………流石だよ」
サンジはまた、感心した。
あれは、やはり今殺しておかなければならない男だ。
「ルフィ」
サンジはまだ晴れない視界の中を、混乱の音が響く方へ向かって歩き出した。
エースの血が滴る小太刀を握りしめたまま。
「俺は、敵を消してくるから」
「………………」
「お前は、主を安全な場所に連れていってくれ」
「…………わかった」
後ろからかかる返事。少し不満そうだ。
そしてその後すぐに続く、彼女の言葉。
「嫌よ」
サンジは振り返った。
「…………主?」
例えルフィが狼であろうとも―――彼女はそれを知らず、それなのにその第三者がいるところで声を出した。その事に驚く。
それは相手にも伝わったようで、一瞬沈黙の沈黙が間に挟まる。それを無理矢理突破して、彼女は再び口を開いた。
「あたしは逃げるわけにはいかない」
豹の仮面をかぶった、まだ十八の少女が。
その為にしか、生きられない。
「あたしは―――あたしが、民を守るのよ。それが役目なの」
「逃げるわけにはいかない」」
「あたしが力の象徴なのよ。その為にこんな無駄な事色々やってるのよ。あたしが逃げたら、みんな何を信じればいいの?何が信じられるの!」
「何のために、あたしがいるのよ!?」
何の為に、この力はあるのか。
先代も、自分も。
何のために苦しむのか?
自分の民を、この手で、守る。
それだけのためだろう。
この命は。
「…………そうですね」
サンジは静かに肯定した。
「でも、だからこそ貴女は絶対に死んではいけない」
「死なないわよ!」
「言い切れない」
「死なないっ!」
「貴女は今衰弱しているし、混乱の中では何が起こるかわからない。もし、貴女が死んだら。もし戦に出られない傷でも負ってしまったら?」
「貴女が言うとおり、南は終わりです」
「でも、死なないもの!」
「――――そうですね。でも貴女は死ななくても」
サンジは目を閉じた。
自分の身すら守れない、彼女。
それを補う、その代償。
「かわりに、そこにいる男が死ぬかも知れない」
ぴくり、とナミの背筋が痙攣する。
「……………………なんでよ」
「貴女を死なせないためなら、ルフィは何でもしますから」
完璧な、断定。
否定が返るはずもない。それに、少しだけ傷つく。
「なんでよっ!?」
「貴女が言ったんでしょう?貴女は、死んではいけないんです。だからルフィがいる。だから俺がいるんです」
「……………………」
ナミは唇を噛みしめた。煙はだんだんと晴れていく。
サンジは、少し後悔を覚えた。
これは、卑怯な言葉。
別に、彼女のせいじゃないのに。そんなことを言う奴は自分が殺すだろう。
自分達は、自分達の役割を果たすだけ。
「じゃあ………何でアンタは行くのよっ!?アンタだって死んじゃいけないじゃない!アンタが死んだら―――」
「………………………」
「あたし一人じゃ出来ないじゃない!」
ナミは悔しくて泣きそうになった。
こんな言葉を、言いたくない。
「アンタが死んだらどうやってこの戦は」
「………死にません」
「何で自分の時だけ都合良く―――!!」
「死にません」
サンジは目を開けた。
彼女の役割が緋陽なら。自分の役割は。
「俺は『鴉』ですから」
「貴女が俺の名を呼べば」
それだけで。
本当にそれだけで。
「絶対に、負けないんです」
鴉の髪が、焦げ臭い風に吹かれて揺れた。
振り向かない、その目に映るのは、明々と燃えさかる炎と、揺れる影。
+++ +++ +++
「……………………」
ウソップは、弓の弦からそっとその指を外した。
視線の先に倒れる男を見つめる。
たった今、自分の指先から放たれた矢に倒れた男を見つめる。
「コーザ……………普段のお前なら、こんなの、簡単にかわすのにな」
それ程までに、まわりが見えていなかったのか。
ウソップは目を伏せて、コーザから視線を外した。
それから、コーザに気付くことなくふらふらと歩みを進めるゾロを睨んだ。
問題なく、先に進ませなければ。
使い魔にはあるまじき考えかも知れないが、ウソップには、この戦の勝敗よりも大切な物があった。
「ごめんな…………」
そう、自分も。
目的の為なら、いくらだって。
なんでも、出来る。
「あの男には生きていて貰わなきゃいけないんだ」
ゾロの後ろ姿を見送る。サンジがいる筈の緋陽のテントまで、後僅かだ。
今まで、ゾロを傷つけようとする南軍兵士をことごとく排除してきたかいがあった。勿論、重大な裏切り行為だけれど。
どうやら、幸運な事に自分は使い魔としての本能が薄いらしい。ルフィやコーザなど、そんなことは考えることもできないだろう。
「……………………………まあ結局、俺に出来るのはコレくらいだけどな」
チョッパーに調合して貰った、超強力痺れ薬。
掠っただけで三十分は動けないはずだ。
「………………左右確認、っと」
物陰から首だけ突き出して、きょろきょろと辺りを見回す。
ウソップは、コーザを回収するためにこっそりと足を踏み出した。
+++ +++ +++
そして、ゾロ。
もうほとんど惰性で歩き続けているこの男は、まわりの惨状などほとんど目に入っていなかった。
朦朧とする意識の中、目的はただ一つ。
しっかりしたものを、見付けること。
「………………ゾロ?」
しっかりした、もの。
消えないものを。
「ゾロ!」
うるさい。
幻聴。幻覚。
何度見たことか。
「……………………」
ごつ。
「痛っ!」
固い物が――多分石だ――頭に当たり、ゾロは顔をあげた。
その体勢のまま、ぽかんと口を開ける。
「エース……………」
思わず、その名を呼ぶ。
間抜けな顔。
エースは大げさな溜息をついた。
肩をすくめて、ぶつぶつと呟く。
「さっきは、ちょっとだけ『今ならカッコイイ登場しても許す!』とか思ったのになァ………現実はコレかよ」
「何…………言ってんだ?」
「ソレは俺が訊きてェよ。オマエ、何やってんだ?」
ゾロは、エースが足に酷い怪我を負っているのに気付いた。
ブーツはほとんどが炭化し、鮮血が地面に長い線を引いている。
顔色も悪い。
「エース、その足………」
「あー……今はそんな話をしてる場合じゃねぇんだ。話は全部、後回しだ」
エースは、そのままゾロの方に向かってくる。足を引きずりながらのその速度は、子供の歩みより遅いが、急いでいることは良く解る。
「オマエは、ここから離れろ」
「はぁ?」
「早くだ!」
ゾロは、エースが何をそんなに焦っているのかがわからない。
「な………ええ?イヤ今、そういえば戦が。オマエも」
「説明は無理だ!早く行け!」
「………???」
何が何だかよく解らない。死ぬ思いでここまで辿り着いたのに、そこまで邪険にすることもないのではないか?
いくらなんでも、流石に少しは情報が欲しい。
ひたすら、疎外感を味わっている。
全く、踏んだり蹴ったりだ。
誰も、何も。いつも突然で、少しも自分に状況を説明してくれない。
そんなに都合良くはいかないとわかってはいるけれど。だからといって腹が立たないわけではないし。
あんまりだ。
泣きてぇよ。
ゾロは、混乱の極みにいた。
そして、それを粉々に打ち砕くのは。
いつもの日常にあった、その声。
「なんだ………生きていたのか」
ゾロの思考が、完全に停止する。
エースの肩越しに、血塗れの。
自分が与えた、小太刀を持って。
別人のように、無表情な。
サンジ。
生きて。
いた。
「…………………残念」
囁かれた言葉。
それは、どういう、意味だ?
エースは、ざっ、と表情を変えた。
ぎらぎらと燃える目で、サンジの方に向き直り、剣を抜く。
その行動も、良く解らない。
「ゾロ…………落ち着いて、聞け」
エースはゾロに背中を向けたまま、淡々とした言葉を舌にのせて、それは。
ゾロの鼓膜を、直撃した。
「アイツは、敵だ」
「………………………何、言って」
ひび割れた、自分の声。
「…………敵なんだ」
どうして。
+++ +++ +++
「おろせ……………!」
「もういい加減、諦めてくれよな………」
ウソップは重い溜息をついた。
何せ、体重も身長も、体格も。ムカつくくらいにとことん違う。
コーザの足は地面に付きっぱなしで、摩擦のせいか余計に力が掛かる。
意識はしっかりとしているコーザは、ようやく口だけは動かせるようになったらしい。
赤々と燃える野営地を振り返って、ウソップは言った。
「大丈夫だって…………サンジは」
「…………………」
「緋陽も。サンジがいる」
「アイツは、勝つよ」
だから尚更、救われねぇんだけれども。
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