傷。




「………………なんだ………!?」

 吃驚した。
 ゾロの見ている目の前で、いきなり南軍の野営地が燃えだしたのだ。誰だって驚くに違いない。
 しかし、炎を使うこのやり方には覚えがある。

「エースか…………!?」

 ゾロは出来る限り早足で歩き出した。
 出来れば走り出したいところだったが、今それをやると血反吐を吐いてぶっ倒れることは間違いないと判断する。

 ぶっ倒れる?
 ………………自分はこんな性格だっただろうか。

 先のことを考えてから行動しろ、といつも苦笑と共に言われていた筈。
 血反吐を吐こうが何だろうが、走ればいいのだ。
 走って、そして。

 そこに何があるんだ…………?

 誰かが頭の隅で囁く。

 緋陽の首を薙ぐ?
 そうだ。
 エースの死体を見る?
 いやだ。

「う………………」

 酷い吐き気。

 欠けている、とゾロは思った。
 何かが。―――全てが?

 全てが欠けたなら、それは欠けていると言えるのか?

 ――――俺は、どんな男だった?

 こんな、弱かったか?
 …………いや、そもそも。

 俺は、強かったのか?



 ダメだ。余計なことは考えるな。
 エースに会う、それしかないんだ。


 奴なら、元の俺を知ってる。


 ゾロの思考の中では、サンジのことは全く浮かばなかった。
 考えてしまえばどうしても先には進めない事を、無意識のうちに知っているからだった。



+++ +++ +++



「……………………お前、何で」
「エース」

 サンジは低く笑った。
 三流ドラマの登場人物になるのは楽ではない。
 ちゃんと取り繕ってけりが付くわけでもないから尚更くだらない。

 とん、と軽く地面を蹴る。

「っ!!」

 エースの経っている岩場の上まで。
 サンジは一蹴りで飛び上がった。

 ぃんっ!!

 耳障りな金属音。

「な………………!」

 反射的に弓を捨て、抜いた愛用の剣のおかげで、エースはばっさりと切り倒されずに済んだ。
 混乱状態のままギリギリと剣を押し返す。
 逆らわず、サンジはふわりと引いた。

 そして、エースの足場である出っ張った岩を蹴り崩す。

 どがんっ!!

「…………………っ!」

 まさかそう来るとは思わず、エースは為すすべもなく岩の破片と共に落下した。
 しかし空中でくるりと一回転して、無傷で砂の上におり立つ。

「流石」

 サンジは素直に褒め称えた。
 月明かりを背に、平然と岩の上から飛び降りる。滑らかな着地。

 夜気を静かに裂いて、二人の視線が交差する。

「……………………どゆコト?」

 エースが、静かに問った。

 流石。
 サンジは再び思った。
 エースは既に、自分を取り戻していた。ゾロとは違う。
 余計なことは考えずに、ただ今のあるがままの状況から全てを判断し、推測する。疑問を全て切り捨て、やらなければならないことを見つめる。
 それ故に、サンジの表情が思わず柔らかくなった。

 エースは、サンジを敵だと認識していた。

「見ての通りだ」
「そうか…………」

 ゾロになんと言おうか、とエースは思った。
 容赦のない殺気から、サンジが本気だということはわかっている。
 サンジの構えに隙はない。玄人の構えだ。そして、岩場の上まで飛び上がり、岩を砕いた尋常でない脚力。
 よくぞここまで隠していたものだ。すっかり騙された。

(…………………左利き、だったんだな)

 ―――――ゾロに、なんと言おうか。

 エースの思考を読んだように、サンジが笑う。
 思わず、といったような明るい笑い。

「それなら心配ない」
「……なにがだ?」


「もう斬った」


 何でもないことのようにそう言う彼は、表面的にはエリカにいるときと全く同じに見えた。

 目が笑っていないだけ。

(………………………ハードだ)

 笑える雰囲気ではない。
 その場の空気は触れれば切れるくらいに尖っていた。

 エースは、冷静なふりの出来る自分に感心した。
 胸の奥が妙に冷えていく。



+++ +++ +++



 コーザは、長刀をぶんっ、と振って血糊をとばした。既に、まわりでは走り込んできた北軍との戦闘が始まっている。
 酷く熱い。飛んできた火の粉をコーザは無事な方の腕で振り払う。
 かなり手こずってしまった。
 最初に斬られた利き腕はかなりの深手で、動き回ったせいか出血で肩まで紫色に変色してきている。早く手当をしなければ、一生動かせなくなるだろう。貧血で視界が少し白い。目眩に頭痛。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 コーザはコートの袖を破き、グルグルと手荒に傷に巻き付けた。根性で痛覚を遮断する。そんな贅沢な物、今は必要がない。

 そのまま、緋陽のテントの方に向かって走りだそうとして。

 視線が一ヶ所で止まった。ついでに呼吸も一瞬止まったような気がする。
 それほど見たくなかったものを見てしまった。


 何故ここにいる。


 オレンジ色の炎が一面に揺らめき、絶叫と喚声の渦の中。
 よろよろと歩いている男。
 胴体をぐるぐる巻にしている真っ白な包帯には、赤黒い染みが見て取れる。


 お前だけは、ここにいてはならないのに。


 コーザは真っ直ぐに駆けた。緑髪の、瀕死の男に向かって。
 利き腕ではない方の手で、しっかりと長刀を握り直す。
 あの男はまだ、こちらに気付いていない。

 卑怯と言われてもいい。そんなことは全然かまわない。
 今、ここで殺す。

 どうせ、気力と根性で歩いているだけの半死人だ。
 腕のハンデがあってもお釣りが来る。

 しかし、何という体力だろう。一年は寝込む筈だったのに。自分などよりよほど化け物だ。
 大人しく、寝ていればいいのに。
 …………まあ、それが出来ないからこうしてここにいるのだろうが。

 コーザは、気のいい幼なじみのことを思った。

 悪いな、ウソップ。
 やっぱり、こいつだけは許しておけない。



+++ +++ +++



 ごり………ごり………ごりん。ぱきっ。

「…………………………」

 チョッパーは、乳鉢で砕いた粉末を真剣に試験管に流し込んだ。
 冷や汗を流しながらじっと見守る。
 溶液の色が変わり、ぼこぼこと泡が立って………

 ぼかん!

「……………………………ケホ」

 爆発した。

 チョッパーは涙目になって、顔についた煤を拭った。試験管は真っ黒焦げ。4回目の失敗だ。
 集中力が足りないのはわかっている。原因は、突然チョッパーの家に運び込まれて突然勝手に出ていった怪我人のことである。
 水と食料はまだしも、チョッパーの家に置いてあった、予備の弓矢まで持って消えた。あの怪我で。
 自殺行為だ。
 そうは思うが、チョッパーは何故だか、あの男は死んでいないと感じていた。
 なにせ、あの傷でも死ななかったのだから。

 チョッパーは手を休めて、あの不思議な太刀傷のことを思った。

 これ以上ないくらい、深い傷だったと言える。あと5ミリでも深ければ、どれだけ化け物じみた体力だろうとゾロは死んでいた。全治二年だ。
 そして、これ以上ないくらい綺麗な傷だった。
 抵抗もせず棒立ちにでもなっていなければ、あれほどさっくりと綺麗に斬られるはずがないのに。どんな状況で付いた傷だろうか。

 一番不思議なのは、それほど深いその傷は何処も、致命的な場所には何一つ届いていなかったと言うことである。

 心臓にも、肺にも、大きな血管にも損傷はなかった。
 もちろんとてつもなくダメージの大きい傷だった。運び込まれるのが後少し遅ければ、確実に昇天している。
 しかし偶然にも、ゾロは助かったのだ。よくよく運のいい男だ。

 そんな運のいい男が、簡単に死ぬ筈はない。

 チョッパーは、新しく薬草を取り出して、乳鉢に放り込んだ。

 ごり……ごり……ごり……ごり……。

 機械的に手を動かす。
 くれぐれも頼むと言い残していったウソップに、何と言い訳しようかを考えながら。



+++ +++ +++



「―――俺に勝てると思ってるのか?サンジ」

 低い声で、エースは呟いた。
 サンジは緋陽を隠すようにエースの前に立っている。
 確かに、サンジの構えを見る限り素人ではないのだが。
 それだけで自分に勝てると思われても困る。

 苦戦はする。

 苦戦はするだろうが、本気でやり合えば多分、最後に立っているのはエースの方だ。

 それくらいは、きっとサンジも読めているはずだ。
 エースがサンジを躊躇いなく斬れる時点でサンジの負けだ。
 サンジは黙っている。
 エースは、いつものように気軽に言った。

「降参しても、いいぜ」

 むしろ、それはエースの願いだ。

「………そう言われてそうするとでも?」
「そうしてくれるととても嬉しい」

 本音だ。サンジもわかっているだろう。
 サンジの微笑みはすっかり消えて。
 半分だけの月の余波が、彼の髪の毛に反射して煌めいている。

「―――残念だな、エース」

 唐突に、サンジは動いた。
 音も立てずに、砂を蹴ってエースに走り寄る。
 左手に、引きずるように小太刀を携えて。

 二人の間の距離が一瞬でゼロになった。
 唇を噛んで、エースは振りかぶるように剣を構える。

 囁くように、サンジは呟いた。
 エースの耳を射る、柔らかな優しい声。

「勝つのは俺だよ」

 剣を構えたエースの後ろに、突然振って湧いた気配。
 それは。

「なっ!?」

 がし、と腕を掴まれ拘束される。

「ル……………!!」

 フィ。

 まさか、お前まで。


「――――――お別れだ」


 柔らかで優しく、しかし温度のない宣告。

 小太刀の切っ先は、これ以上ないほど大きくエースの瞳に映った。

 まるで銀色の、焔のように。




        襲。 集。 NOVEL