襲。




 歩いて、歩いて、歩き続けて。
 五日目の夜。
 半月が控えめに存在を主張する中。

 ゾロは、自分の方向音痴を呪った。

 ………確か、エースの駐留する街を目指していた筈なのだが。
 岩山に囲まれた、あそこに見えるのは、南軍の野営地ではないのか。獣の皮で出来た風変わりなテントが、いくつも建っている。

「………………………まずった」

 それともこれが、執念というものなのか。
 口の中が苦かった。



+++ +++ +++



 砂漠の夜は、酷く冷える。
 コーザは、緋陽のテントとそのまわりを全て視界に入れられる岩場の上にいた。あぐらをかいて、野営地を見下ろしている。ルフィは、もう少し近い場所に陣取っているはずだ。

「コーザ」
「………………お前か」

 後ろから、小さい声がかかった。
 気配には全く気付かなかったのだが、動揺は顔には出さない。

 『蝙蝠』だ。

 蝙蝠は、諜報活動を総括する使い魔である。
 『鴉』とも直接コンタクトが取れる、数少ない役割のうちのひとつだ。
 北に潜り込ませているスパイや伝令―――つまり『鼠』や『蜥蜴』系統の使い魔のトップである。
 コーザはそんなことまでは知らなかったが。
 本当は、狼と蝙蝠が認識しあう必要などないのだから当然と言える。
 使い魔が知らなければいけないのは、自分の役割とその為に必要な情報のみ。
 全てを把握する必要があるのは、統率者であり司令官である『鴉』だけなのである。
 つまり本来なら、コーザと蝙蝠がこうして接触するのは使い魔のルールに反することなのだ。だからこうしているだけで、神経の奥底から不快感が湧いてくる。
 本能に抵抗するのは、酷く難しい作業だ。

 そして、鴉にはこの接触を知られるわけにはいかない。

「久しぶりだな」
「ああ」

 コーザは緋陽のテントから目を離さないまま、蝙蝠とのコンタクトを始めた。
 蝙蝠は、ときおりふらりと現れる。接触は不定期だ。管轄が違うので仕方のないことではある。

 鴉のことが心配なのだと、蝙蝠は言う。

 自分はいつも彼の側にいるというわけにはいかないから、コーザに見ていて貰いたいのだと。別にそんなことは頼まれなくとも良いのだが。
 多分、鴉に精神的に一番近いところにいるのは蝙蝠なのだろう。幼い頃から、蝙蝠は鴉と一番仲が良かった。
 蝙蝠の前でだけは、鴉の仮面がゆるむことをコーザは知っている。

 蝙蝠がコーザの前に現れるのは、彼がいない間の鴉の様子を聞くためだ。役柄上、蝙蝠は鴉の側にいない時が多い。

 コーザはこめかみに手を当てた。
 蝙蝠が喋り出すのを遮って口を開く。

 確認しなければならないことがある。

「………おい」
「なんだ?」
「お前―――奴を、助けたのか?」

「……………!」

 低い問いかけに、虚を突かれたように蝙蝠が肩を跳ねさせた。

「な、何の事だよ」
「誤魔化すな」

 コーザはゆっくりと息を吐き出す。
 その背から発されるプレッシャーに、蝙蝠は絶望の色を顔に浮かべていた。振り返らないコーザには見えなかったが。

「ロロノア・ゾロだ。お前、奴をかくまっただろう」
「俺は知らねぇよ何も。ロロノアってアレだろ、サンジが斬ったんじゃネェか。死んでるって」
「………………………」
「だ、だから知らねぇって………!」

 そんな言葉で誤魔化せるはずもない。
 肝心な嘘のつけない奴だ。昔からそうだった。

「生きてるんだな?」

 疑問ではなく確認の色が濃い台詞。
 しばらくの沈黙の後、蝙蝠は意を決したように喋りだした。

「コーザ………」
「………………」
「見逃してくれよ………頼む!」
「敵軍の将だぞ」
「わかってる!わかってるよ…………でもよ」

 そこで蝙蝠は言葉を切った。

「でもよぅ……………」

 その続きを、コーザもわかっていた。
 どうすればいいのかなど、誰も知らない。

 しかし、あの男を殺さずに生かしておいたら。


 ―――きっと結局、あいつは苦しむんだ。


 それだけは確信できた。

「………何処にかくまった?」

 平坦な声でそれだけを問う。

「コーザ!」
「何処だ」
「頼むから!」
「―――わかった、もういい。聞かなくても大体の見当はつく」

「やめてくれよっ!」

 蝙蝠はがばっと地面に這いつくばった。
 岩場に額をこすりつける。

「……………なんの真似だ」
「頼むっ!見逃してやってくれ!」

 何度も頭を打ち付けて懇願する。
 コーザは無表情に言った。

「そんなことで、俺がほだされるとでも―――」
「思ってねぇ!思えねぇよ!でも」

 蝙蝠は土下座をしたまま叫んだ。

「きっともうアイツは戦えねぇ!あれだけの深手だ!二年は寝込むって!」
「……………それでも生きている」
「もうサンジの事なんて信じねぇよ!」
「――――――そんな器用な男には見えなかった」

「コーザ!わかるだろっ!?」

 蝙蝠は顔をあげた。見えるのはやはり背中。
 昔は、顔なんて見なくても考えていることがわかったのに。
 使い魔であることなど、一生関係ないと思っていたのに。

「見逃して………!」
「見逃してくれよ…………っ!!」


「――――なんで、お前はそんなにあの男にこだわるんだ」


 その言葉に、蝙蝠の頭にかっと血が上った。
 身を起こしてコーザに掴みかかる。

「………わかんねえのかよっ!アイツが………!アイツが、どんな想いで………っ!!」
「アイツが!」
「アイツがよっ!」
「初めて……俺に、頼み事をしたんだぞ…………っ!!」

「――――っそれくらいは!!」

 俺にだって、わかっている。


 コーザは思わず声を荒げて振り返った。
 蝙蝠と目が合う。

 黒い縮れ毛に、黒い瞳と長い鼻。なんの変哲もないツナギを着て、弓を背負っている。何処の街のどんなとおりにも溶け込めるような平凡さ。それが武器なのだ。
 蝙蝠―――ウソップは、コーザの胸を強く叩いた。

「………じゃあ何で斬るんだよ!狼の仕事がそんなに大事なのかっ!?」
「―――――――――」

 その一言で、コーザは落ち着きを取り戻した。
 ウソップも失言に気付き、ざっと表情を変える。

「す、すまん……………」
「……………何で謝る」

 コーザは視線を野営地に戻した。

 見逃せないわけがある。

 あの男は、絶対に、再びサンジの前に現れるから。

 それはあの路地裏で一目見たときにわかった。
 だから。



 俺が斬らなければならないんだ。


「何故斬るのか…………知りたいのか?」


 あの男は、きっと『追いつめる』。
 簡単に。
 それが何を引き起こすのかも知らずに。

 だから。

「……単純な理由だよ」
「きっと、俺が狼だからじゃない」
「そんな理由じゃなく」
「俺は多分」


「…………ロロノア・ゾロが、嫌いなんだ」



 これ以上、何も背負わせたくはないから。

 今のうちに、俺が、斬るんだ。






「っ!」

 ふ、とコーザは異様な臭いを捉えた。
 狼の鋭敏な嗅覚でなければわからないだろう。

 眼下で、一応の見張りに立っていたはずの兵士がどさりと倒れるのが見えた。

「ウソップ!」
「な」
「敵襲だ…………!」

 そう言い終わらないうちに、夜の闇を裂いて幾筋かの光が飛んだ。
 それは野営地のテントの群に直撃し、燃え上がる。

「火矢!」

 不審な人影は見えない。気配もしなかった筈なのに。
 いつの間に、侵入されていたのか。多人数ではないはずだ、それならばいくらなんでも気付く。
 きっと、この混乱に乗じて後から本隊が乗り込んでくるに違いない。

「お、おい!」

 ウソップの慌てたような声を後目に、コーザは岩山の上から飛び降りた。
 炎は一番の敵だ。消火しようにも、充分な水すらない。

 緋陽と…………鴉!

 びゅうびゅうと耳元で風を切る音。
 コーザは一度岩山の側面を蹴り、一回転してからしなやかに砂の上に降りた。
 腰に下げた剣を抜き、目の前で燃えているテントを叩き斬る。

 炎は瞬く間に野営地全体に燃え広がっていた。これ程うまく火を操るとは、見事な手際と言うほかない。風向きも、テントの位置も計算されている。
 最初の火矢が飛んでからまだ一分も経過していないというのに。

「退けっ!」

 右往左往する兵士に遮られ、全力で走ることが出来ない。

 ルフィなら緋陽のテントの近くにいたはずだが、矢で傷ついた左肩は熱を持っていて、動くのも辛いはずだ。
 急がなければ。

「っ!?」

 目の前の兵士をかわして走り抜けようとしたとき、コーザの腕に灼熱感が生まれた。
 見れば、ざっくりと斬られている。
 兵士の手に握られた剣。

 ―――――敵!

 兵士に紛れて、敵が入り込んでいる。
 よく見れば、斬られて倒れている兵が沢山いる。

 完璧な奇襲。

 コーザの額を汗がつたった。
 元から体力がない上に、南軍は寝込みを襲われ浮き足立っている。
 そして、炎。

 こんな事が出来るのは――――――

「く………………!」

 コーザは力の入らない腕で剣を構えなおした。
 一刻も早く、緋陽の元へ辿り着かなくては。



+++ +++ +++



 サンジはナミの手を引いてテントから走り出た。
 緋陽のテントは少しだけ離れたところにあるためか、炎の餌食にはなっていない。だが、いつ火矢が飛んでくるかわからない。

「な、何が…………」

 仮面だけはきちんと付けたまま、ナミが呆然と呟く。
 緋陽のテントは岩場を背に、野営地の東端に建っている。
 一応の見張り以外は寝ている時間に。

「奇襲か……!」

 サンジは吐き捨てるように呟いた。
 ほとんどのテントは火を吹き上げ、消火の手段はほとんどない。
 兵士がばたばたと走り回っているのが見えた。

 びゅうっ

「……………っ!」

 聞こえた風切り音に、サンジは反射的に小太刀を抜くと、振り向きざまに振り下ろした。
 放っておけばナミに当たるはずだった、先端の燃えさかる火矢が叩き落とされて地面に落ちる。
 岩場の上に立つ影と、サンジの視線が交差した。

 サンジの目が冷たく輝く。
 後ろにナミをかばうように、向き合った。

「やっぱりアンタか………」

 半月を背にして弓を構えているのは。
 見慣れすぎている顔。

 ―――――『火拳のエース』。


「ああ?……………………サンジ?」


 矢を放った体勢のまま、呆然とエースは呟いた。





        墓。 傷。 NOVEL