墓。




「なあ…………」
「どんな風だった?」

 包帯を巻き直すチョッパーに、ゾロは驚くほど低い声で問いかけた。

「どんな風?」
「俺の……仲間」

 チョッパーは少し考えてから言った。

「そんなこと聞いて、どうするんだ?」

 何も変わらない、むしろまたショックを受けるだけではないかと。
 可愛らしい見た目に反して、チョッパーは見事に医者だった。

「どうもしねぇよ」

 ゾロは穏やかにそう答えた。
 不自然なほど穏やかに。

「どうもしない」
「何にもならない」

「けどよ」

「それくらい、知りたいじゃねぇか」

 最期も見取ってやれなかった。
 俺の、部下と。
 俺の、仲間。

 チョッパーは何事か思案していたが、やがてゾロの望むことを語った。
 きびきびと手を動かしながら、可愛らしい声で。

「みんな、砂の下にいたよ」

「俺も、聞いてなきゃそんなトコにいるなんて、気付かなかったと思う」
「そこは、大きな砂丘になってた」
「どうやったら、あんな事が起こるのかわからないけど」
「俺、砂を掘ったよ。山の端っこの方を、一メートルくらい」

「それで、やっとわかったんだ」


 これは、大きな大きな、墓だったんだって。



+++ +++ +++



 それが、北軍の兵士だという事はすぐにわかったのだ。
 北と南は、人種的にそれほど違うわけではないけれど、それが、北軍だという事は見ればわかる。
 見ただけで、わかる。


 チョッパーは、砂漠の岩山地帯に住んでいた。
 異形の姿を隠すように、数人の知り合いの外は全ての関係を断ち切って。
 近くで戦が起これば、すぐ後からその場を見に行った。
 その凄惨さを目に焼き付けて。一人で泣くときもあった。
 命を救う仕事をする者には、戦は理解できないものだった。
 ひとつの命を救うために、どれほどの手間と、労力と、愛情とが必要なのを知っているから。

 チョッパーは戦を憎んでいた。

 だから、三本の刀と共にゾロを連れてここへやってきた、古くからの友人に対しても、一度そう言ったのだ。
 何故、と。
 何故、戦をするのかと。
 彼は首を振っただけで、答えなかった。

 その理由を、チョッパーはほどなく知った。


 北軍と南軍の兵士の違い。
 それは、見ただけでわかるほどの、飢え。
 ………死体を、解剖してみた。
 南軍兵士の消化器官は、襞がなくなってつるつるだった。
 ただの、ホースになっていた。
 消化吸収のための、器官が退化しているのだ。

 戦。
 人の命。

 チョッパーは、どうしたらいいのかわからなくなった。
 何もできなかった。

 今度は、天を憎んだ。
 大地を憎んだ。

 乾く砂を、憎んだ。

 無力な自分を、憎んだ。
 落ちる涙を、心の底から惜しんだ。

 たった、一滴の水でも。




+++ +++ +++



「墓…………か」

 ゾロはぼんやりと呟いた。
 最初に目覚めたときの興奮が嘘のように、ゾロは穏やかだ。
 良くない変化ではないかと、チョッパーは心配している。

 低い声が。
 平穏な表情が。

 それは、回復ではないと知っていた。

 ゾロは、ベッドの脇に刀を置いて、いつもそれを見ている。
 そして異様なほどに大人しい。
 常人にはあらざる速度で、傷が治っていく。それを待っているのだ。
 まるで、傷ついた獣が地に身を伏せるように。
 ぎらぎらと、目だけ光らせて。
 胸を斜めに走った傷は、消えないまでも既に薄く皮をはっていた。

「終わったよ、ゾロ。後で、御飯を持ってくる。もう食べられるだろ」
「ああ。ありがたい」

 ゾロの目の奧は、怖いくらいに静かだ。
 静かに、光っている。
 まずは歩けるくらいに傷を治して。そして。
 そして。

 ゾロは拳を握った。そして開いた。

 チョッパーが、汚れた包帯を抱えて部屋を出ていく。

「………………………」

 巨大な墓。
 それを造ったのは、誰だ?

 何をした。
 何の為に。
 俺の。
 俺の大事な。


 許さない。
 許しはしない。

 必ずこの手で地獄に送る。

 呪うというのはこういうことなのかも知れない。
 自分には無縁だと、勝手に思い込んでいたけれど。

 頭の奧が冷えて、乾いている。
 胸の傷は熱を持っているのに。

 冷静なのか、混乱しているのか、それすらわからない。
 ゾロは刀を手に取った。
 もうすぐ、動けるようにはなるはずだ。
 チョッパーには悪いが、完治を待つ暇はない。

 自分には、何もわからないのだ。
 何が起こったのかが。
 確かめなければ、きっと、大事な何かがなくなってしまう気がした。

 そうすることで、その大事な何かが壊れてしまう可能性を、ゾロは無視した。

 だって。そんなことは。
 どう転んでも最悪の結果しか待っていないなんてそんな事実は。
 酷いルール違反だろう?



 これから起こる現実をゾロは知らない。
 その痛みをまだ知らない。
 全く優しくない事実が、世界にはあるという事を。


 その、涙を。
 慟哭を。

 知らない。






 二日後、ゾロはチョッパーの目を盗んで岩山地帯を抜けた。
 食料と水は少しばかりちょろまかした。丁度目に付いた、弓と矢も。何故そんな物があるのかは知らなかったが。
 この借りはいつか必ず返すと、眠り込んでいた小さな医師に声をかけて。
 すまないと、素直にそう思った。
 この見慣れない、言語を解する獣は、心底自分を心配していると、知っていたから。

 目標は、エースの駐留している筈の街。

 ――南軍に、滅ぼされていなければの話だ。

 北連合軍全滅の知らせは、もう届いているだろう。
 二番隊だけで、相手をする事になるのか。


 ゾロは歩き続けた。
 傷の痛みと、砂漠の熱と寒さに抗いながら、歩き続けた。
 実際、そんな物は辛くはなかったのだ。
 それよりも。

 間に合ってくれと、何度もそう叫んで。
 これ以上、俺から何か奪うつもりなのかと。
 その声は砂に吸い込まれて。
 それだけで。


 何一つ、変わりはしない。


 ああ、多分。
 神様っていうのは、こういう時の八つ当たりのためにいるモンなんだろうと。

 そう思った。




 ………エース。
 聞いてくれよ。
 なあ。
 エース。
 笑って聞いてくれ。
 冗談にしてしまってもいいから。






 何も、確かなものがないんだ。

 何処にも、ない。
 何処にいったんだ?



 なあ、見えるか。
 俺には見えない。


 ―――なあ、そこにいるか?
 聞こえてるか?




 何も、ないんだ。





 ………………かえしてくれ。

 大事な、ものだったんだ。





+++ +++ +++





 ナミは、毛布にくるまってじっと目を閉じていた。
 寝ているのではない。

 考えるのは、これからのことだ。

 食料と水は少し手に入った。
 滅ぼした北軍から奪い取ったのだ。
 必要最低限を兵士に与え、残りは本国へと送る。
 次の戦は、『火拳のエース』とだ。
 油断は出来ない相手だろう。


 わからないのは、あの男。
 行動に全く感情を匂わせない。
 微笑んではいるが、あれは無表情なのと同じだ。
 何を考えているのか。

 北軍兵士の死骸は、一ヶ所にまとめて術で埋めた。
 その時も、あの男は静かな微笑みを浮かべていた。


 …………死ねとも言った。
 その時も。
 微笑んで。

 ――感情がないのだろうか?
 そうかもしれない。
 そもそも、あの男は人間か?
 緋陽以外には使えない筈の、魅縛の術も知っている。しかも、自分よりも効率よく使う。やろうと思えば兵士は全て、無条件であの男に従うだろう。

 ナミは『鴉』に不信感を抱いていた。
 その綺麗な顔の下で、何を企んでいる?

 何故、先代を見殺しにするのが最善なのだ。
 再び言ったらどうしてくれようか。

 殺……せは、しない。


 あの男は、南にとって必要だ。


 この思考も、あれと同じなのか?
 先代を、いとも簡単に切り捨てた、あの男と。
 同じ?

 畜生。
 畜生。
 ―――悔しい。




 あれは、きっと平気で何もかもを切り捨てる。

 そして自分は。



 もうすぐあの男がやってくる筈だ。
 酷く気が重い。

 あの男は、何の為に動いているのだろう。
 そんなことすらわからない。

 結局、自分はあれに頼るしかないのだろう。
 もう、一人では術も使えない。

 踊らされているのは自分だ。
 全てを操っているのは、あの男だ。


 滑稽すぎて笑える。




 その通り、ナミは笑った。
 何故か枕が濡れた。

 ―――ああ、勿体ない。
 誰かが言った気がした。


 あの男だろうか。




+++ +++ +++




――――自分が何をしたのかと。 
耳を塞いで、皆がそう叫びます。 

 罪には罰を。 
情には愛を。 

そんな都合のいい世界が、いったい何処にあるというのでしょう。 




        迷。 襲。 NOVEL