迷。




 何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。

 頭を巡るのはその言葉ばかりで。
 際限なく繰り返される、その瞬間の映像。

 滑らかに空を裂く小太刀。
 一瞬遅れてあふれ出す、熱。

 その時。

 ―――――微笑んでいたように見えたのは、気のせいか………?

 暗転。
 そしてまた、繰り返される。


 小太刀。
 熱。

 反射する光。
 相手の頬に飛ぶ、赤。

 何故。
 何故。


「う……………」

 熱い。
 痛い。
 熱い。
 痛い。

 ゾロは、ゆっくりと目を開けた。
 目に入るのは、岩天井。
 居るのはベッドだ。

 まだ回っていない頭をどうにか働かせて、現状を把握しようとつとめる。
 まず第一に確認しなければならないこと。

 ゾロは、右足を動かしてみた。
 飛び上がるような痛みが、胸に響く。

(おお。死んでねぇ)

 いや、一番に確認しなければならないのはそこではない。

(誰も………いねぇ。ここは、何処だ?)

 戦はどうなった?
 北は。南は。

 誰も、死んでネェだろうな………!?

 ゾロは反射的に飛び起きた。

「…………………………っ!!!!!!」

 心臓にハンマーで五寸釘を叩き込んで、手を突っ込んでめちゃくちゃに掻き回したような痛みが全身を駆けめぐる。
 呼吸が止まる。
 目を見開く。

(痛ェ……)

 ゾロはゆっくり目を閉じた。
 細い息を吐く。腕が痙攣している。
 神経をつきつめて感覚を探れば、痛みの軸は胸を斜めに走っているようだ。
 体の奧が痛む。かなり深い……傷だ。
 傷。
 太刀傷。
 ――小太刀。
 上がった左手。
 ひらひらと舞う、赤。
 目の前を塞いだ金色。
 ―――金色。

(夢………じゃ、ねぇの、かよ)

 夢じゃ。
 ネェのか。
 おい………カミサマ、そこんとこどうなんだよ。
 答えなきゃ斬るぞ。

 ―――応答無し。
 最悪。

「クソっ………!!」

 ゾロの脳にいきなり多量な情報が流れ込んだ。
 記憶が復活する。
 こうしてはいられない。

 ゾロは、ベッドヘッドに手を掛けた。
 見れば、傷には丁寧に包帯がまいてある。誰かが治療してくれたらしい。
 記憶は、砂の上に倒れたところで途切れていた。

(つまり………勝ったのか?)

 南軍が勝ったのなら、ゾロが手当を受けるはずがない。
 しかし、まわりに誰もいないのはどういうことだ?
 岩をくりぬいて作った部屋。
 灯りと言えば、僅かに開けられた扉の向こうから射し込む光だけ。
 もちろん、初めて見る場所だ。

 もし、北軍が勝ったのなら。

(あの野郎は?)

 そこで、ゾロは再び行動を開始した。
 ベッドヘッドを握りしめ、そこを支えにしてそろそろと身を起こす。死なないように、でも可能な限り早く。
 と、言うのは簡単だが、それには恐ろしい苦痛を伴った。
 ただ寝ているだけで、まるで拷問でも受けているかのように電流のように痛みが流れるのに、ましてや動くともなれば。
 これも修行だ。
 訳のわからないことを考えつつ、ゾロはそれを敢行した。

 そういうくだらない思考が。
 ……………ただの現実逃避だということは、誰に言われずともわかっていた。



+++ +++ +++



 ………遠くで、誰かが泣いている。

 慰める手も。
 眼差しも。

 与えるものも。
 救いの光も。


 届かない。


 泣きながら。
 全てを呪うのか。
 全てを諦めるのか。

 泥にまみれて、這いずり回りながら。
 それでも、その手を伸ばす。

 誰も………その手を取る者はいないのに。
 その背には無情にも、剣が振り下ろされるのだ。

 そして。
 繰り返されるのは、問い。

 何故。



「悪いこと、してないのに」


 振り返る。
 自分の足首を掴むのは。
 その手。
 その泣き声。

 剣を振り下ろすのは、自分。





 ワルイコト、シテナイノニ。






 そこで、目が覚めた。


「………………………」



 こわばった両手を、ゆっくりと開く。



「……………悪い、事」
「してなく…………ても」


 この手は、そんなに大きくない。


 夢を。
 見たことなど、ない。

 助けを、求めたことも。
 ないはずだ。



+++ +++ +++



「暑…………」

 王室付き侍従のノジコは、都の大通りの雑踏の中を、それでも背筋をしゃんと伸ばして歩いていた。
 日差しは、じりじりと人々を焼き殺すかのように鋭く襲う。
 この暑さでは倒れる人も少なくあるまい。

 どしんっ

「っ」

 ノジコの腹を、軽い衝撃が襲う。

「退けっ!!」

 小汚い身なりの少年がノジコを押しのけ、人混みの中を無理に通ろうとしている。

「そいつを捕まえてくれっ!」

 その声に前方を見れば、一人の中年が地面にしりもちをついている。その側には王宮の印の突いた荷車。その上に載っているのは芋の袋だった。
 そのうちの一つが破れ、中から中身が覗いている。

「泥棒だっ!」

 どうやら、王宮に収める筈だった食料をかすめ取られたらしい。
 そこまで考えたときには既に、少年は手の届かないところへ逃げてしまっていた。

「あ!止めろ、これは」

 人混みの中から、ささっ、と何本もの手が伸び、地面に落ちた芋を拾った。
 それを男が止めようとしていると、その死角からまたひょいと腕が伸びて、荷車から無傷の袋を奪い取る。
 一人の少年をきっかけに、あれよあれよという間に荷車の上の袋は三分の一以上なくなってしまった。

「……………難民ね」

 先程の少年のだけではなく、通りにいる人々の中には、一目で飢えているとわかる様子の者がいくらか混じっている。
 道端でうずくまっている者。幽鬼のように目をぎらつかせている者。
 まともな働き口も見つからないのだろう。都は難民を受け入れてはいるが、生活保障までは期待できない。そうしたくとも、余裕がないのだ。オアシスが涸れるという異常事態に、南との戦争。
 一見活気に満ちあふれている通りも、一年前と比べては雰囲気が違う。
 都でさえそうなのだ、帰還するときに通ったいくつかの街では、もっと悲惨な状況に陥っていた。このあたりはまだ良い方だろう。
 ―――餓死者が出るほど深刻な事態にはまだ陥っていないだろうから。

 ノジコは、足を早めた。

 する、と影のように路地裏に滑り込む。
 丁度何処からも死角になるような壁際にもたれかかる。
 後ろ手に隠し持っていた紙片を、壁の隙間に押し込んだ。

 そして、何事もなかったかのようにその場を後にする。

 ノジコが立ち去り、数分。

 小汚い老人が、同じようにその場に寄り掛かった。
 この暑さに、思わず休んでいるというように。

 そして、その老人が立ち去るときには。
 もはやその壁には紙片はなかった。



+++ +++ +++



「何やってんだっ!お前はっ!!」

 いきなり響いた高めの声に、ゾロは思わず顔をあげた。
 その拍子に特大の痛みが走り、思わず苦痛の呻きを漏らす。

「死にたいのかっ!!」

 その声の主は、駆け寄ってきてゾロの体を支えた。
 痛みのせいでとびかけている意識を根性で引き留め、ゾロは瞬きを二、三度繰り返した。

「…………オマエ………何だ?」

 誰だ、ではなく何だ、と聞いたのにはわけがある。
 その声の主は、茶色い毛皮をまとっていたから。
 大きな角。
 断じて北軍ではない。
 というよりは、人間ではない。

 びくっ、とその言葉に、毛皮は体を震わせた。
 しかし、ゾロを支える手を離そうとはしない。

「ベッドに戻れよ……!傷口が開いてる」

 必死の気迫。
 ゾロは自分が悪い事をしているような気分になってきた。
 どうやら、助けてくれたのはこの毛皮だ。
 命の恩人、ということになるのだろう。
 ゾロはあっさりと、毛皮の存在を受け入れた。

 しかし、やはりゾロはまだベッドに戻るわけにはいかなかった。
 この毛皮から、現状を聞き出すまでは。

「おい」
「な………なんだよ」
「俺を……手当してくれたのは、オマエか?」
「………そうだよ。お願いだから、もうしゃべらないでくれ。ホントに死ぬぞ!?」
「死なネェよ。それより………教えてくれ。ここは何処だ?」

 それからゾロは、毛皮と押し問答を繰り返した。
 どうやらその間に、毛皮はゾロの性質を見抜いたらしい。
 早口でゾロの置かれた状況を語った。
 ここは砂漠の岩場をくりぬいて作った隠れ家であること。
 ゾロが運び込まれてから、三日経っていること。
 そして、毛皮が知る限りの、戦の事。

「………大人しく寝ていてくれ」

 毛皮は、最後にそう言って部屋を出ていった。
 ゾロは、ベッドの上で目を閉じて。

「………………………」

 ショックを受けている。ゾロは素直にそう認めた。
 実を言えば、ショックなどもう通り越しているのだが。この傷を受けたときから。

 ――――北軍は、全滅したのだそうだ。
 毛皮が後から見に行ったときには、生きている者は見あたらなかったと。

「……………………畜生」

 驚くほど素直に、その事実はゾロを突き刺した。

「畜生」

 細かい事を聞く余裕はなかった。
 そんなに、抱えきれなかった。

「畜生……………!」

 何故、自分だけが。

 何が、どうなっているんだ?

 頭の中で、いくつかの場面がフラッシュバックする。
 緋陽。
 砂。
 …………守ろうとした、もの。

 いくつかの、可能性。

 ………アイツは。
 何故。

 辿り着いた答えを、ゾロは一蹴した。
 巡り巡って、辿り着く答えを、切り捨てる。

 嘘だろ。
 信じねぇ。
 あの野郎が、さ。
 あのプライドの高ェ野郎がさ。

 騙す、なんて。

 それこそ、嘘だ。
 そんなん、俺の記憶を疑った方が早ェ。
 信じネェよ。
 信じられっかよ。

 だろ?


(ああ、もう)
(ワケわかんねぇよ)
(何が悪くて)
(こうなったんだよ………)



 クソ。
 殴りてぇ。


 …………生きて、るのか?

「う……………」


 もしかして。
 自分は泣きたいのだろうか。


 そんなことを、ゾロは思った。





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