報。




「全滅……………?」

 ひび割れた声が部屋の中にこだました。
 一瞬、誰の声かと思う。

「はい」

 第二番隊が駐留する、北の最外郭に近い街。
 そこに伝令が辿り着いたのは、つい先程のこと。

「―――――第二十番隊、第三十五番隊、第三十九番隊連合軍は、どうやら南軍の一大部隊と接触したようで………いきなり連絡が途絶えました。発見されたときには……おそらく、緋陽の術と思われますが、全員砂と岩の下敷きに………酷いものでした」
「一人も…………一人も生存者は居ないのか?」

 思わずそう問い返した、エースの拳が白く握りしめられる。

「確認は不可能です………しかし、冷静に考えてください。発見されるまで、少なくとも十日はかかりました。もしも運良く術から逃れた者が居たとしても……」

 砂漠で、ろくな装備もなく十日。これ程絶望的な数字もあるまい。

「何故だ…………?」

 全員が砂の下敷き。
 緋陽の術は確かに恐ろしかった。しかし、そこまでの威力があったか?

「――――二十番隊。三十五番隊。三十………九番隊。間違い、ないんだな?」

 伝令は無言で頷いた。

 ―――――ゾロ。

 俺は心配なんかしねぇぞ。
 都にも伝令が行ってるだろうから、帰ったらサンジに蹴飛ばされるぞ?紛らわしいことすんな、って―――心配の裏返しで。
 また、飲みに行って。
 俺がからかって、お前がムキになって。
 ソレで丁度良いだろ?
 やってくれたよオマエ!ってなカッコイイ登場なんか狙うんじゃネェよ。
 俺はそんなん絶対いわネェし。
 むしろ殴るし。

 変な小細工すんなよ。

「――――ご苦労」

 エースは手を振って伝令を下がらせた。
 少し、頭を整理する必要がある。
 南軍の大部隊。それを、ゾロ達と組んで相手するつもりだったのだ。
 先手を打たれた。
 性急に、何か策を考えなければならない。

 エースは大きく息をつくと、首を振って勢いよく立ち上がった。

 悠長に悩んでなどはいられない。
 そんなポジションに位置してしまっている自分に、嫌気がさすことは今までなかった。



+++ +++ +++



「次の目標は、この街です」

 サンジはゆっくりと、皮の地図の上に指を滑らせた。

「この街には北の第二番隊が駐留していますが、オアシスも涸れていません。食料もあります」

 サンジは視線を横にずらした。
 怪訝な表情をして問う。

「主?聞いていますか」
「アナタ………本当に、『鴉』なの?」

 緋陽は何度も繰り返した言葉を、また発した。
 ここ何ヶ月か、きちんとした言葉を人相手に発することはなかったので、微妙な違和感が残る。
『鴉』と名乗るこの男は、緋陽のことは知っているから、誰もいないときは普通にしゃべってくれと言ったのだ。そして、それは簡単に証明された。
 この男は………自分の名前を知っていたから。先代しか知らない筈の。

「まだ信用してくれないんですね」

 男は溜息を吐いた。
 そして、緋陽の方を真っ直ぐに見る。
 空気は震わせず、その唇が動いた。

『――――ナミさん』

 ぐ、と緋陽は唇を噛んだ。
 真実の名を知られているということは、それだけで訳のわからない恐怖をもたらす。

「信用してないわけじゃない―――アナタが手伝ってくれれば、確かにワタシの術は何倍にも威力が増す。それに、体に負担もかからない……」
「俺は貴女の使い魔ですから」
「でもね」

 緋陽は―――ナミは、きっ、と目の前の線の細い男を見据えた。
 固く、刺々しい声を叩きつける。

「ワタシ、アナタのこと」
「―――好きになれない、でしょう?」


 もっと言えば、憎いんでしょう?




 先回りして台詞を取られた。
 何もかも見通しているような物言いに、思わず頭に血が登る。

(お前なんか)
(お前なんか、何も知らないくせに…………!)



 唇を震わせ、ナミは思わず机の上に置いてあった水差しを掴みあげ―――

「っ…………………!」

 それを、ゆっくりと机の上に戻した。
 それだけは、やってはいけないこと。

 サンジはそれを見て、穏やかに微笑んだ。

「そうです、我が主」

 そんなことをしたなら、俺が貴女を軽蔑しなければならなかった。
 心底安心したように、サンジが言う。

「この………!」

 もう止められなかった。

 ナミの手がサンジの頬に飛ぶ。
 サンジが、避ける筈はなかった。

「なんでっ………!」

 それは慟哭。

「なんでよっ…………!!」
「なんで、もっと早く出てこなかったのっ………!!」

 先代が生きている間に。
 ナミの手がサンジの頬を再び張る。三度。四度。

「――――何故抵抗しないっ!」

 燃え上がるようにナミは叫んだ。
 拳を握りしめ、サンジの胸に叩きつける。

「殴り返しなさいよっ!」
「主なんて呼ばないでいい!」
「『鴉』なんてちっとも意味がない!」

「ここにいて欲しい人はもういないのにっ!」

「何でなのよ」
「何で」


「何で、母を救ってくれなかったの…………!」


 ナミの言葉は、むしろ自分の胸に突き刺さった。

 そして、サンジは残酷なまでに普通に、言葉を返した。




「それが、最善だったからです」






 ―――――――よくも。




 ナミの目の前が、怒りで白く染まった。

 よくも。よくも。

「よくも、そんなことが…………!」

 思わず口走っていた。


「死ね…………!」


 憎しみの呪詛。
 そんなものが口をついて出たことに、誰よりナミ自身が驚いていた。



 サンジは微笑む。
 それしか知らないかのように。

















 ねえ――――――それが、出来るものなら。






















「死ねません」

 あっさりと、サンジはそう言った。
 その表情は変わらない。

 ナミの方が、自分の口に出した言葉に呆然としている。
 その様子を、サンジは気遣わしげに眺めた。

「今後の予定は、もう少し落ち着いてからにしましょう」
「一時間後に、また来ます」

 サンジはナミから離れた。
 礼をして、テントの幕を開ける。

 さら、と閉まるその音を、ナミは何処か遠くに聞いていた。



+++ +++ +++



「………………あ」

 扉を閉めた途端、がくりとサンジの膝が折れかけた。

 まずい。


 極度の貧血にも似たその症状。
 流石に、至近距離からの『死ね』は相当堪えたらしい。
 別に、精神的な物ではないのだからなおさら厄介だ。
 彼女にその危険性を示唆するのも、何だかおこがましい。
 血の代わりに、何だか粘液状の物が血管の中を流れている気がする。


 心臓が、負荷に耐えられずにうるさく鳴っていた。
 こんなところで倒れるのは、まずい。
 緋陽のテントにはまず人は近寄らないから、それだけが救いだ。
 こんなところを見られるわけにはいかない。

「……………………」

 しかし、ふらりと自身の意志に反して傾いたサンジの体を、急に出てきた腕が支える。

 その気配にも気付かなかった。
 なにせ、頭が重すぎる。

 でも、誰かなんてすぐにわかったから。
 サンジはその腕を振り払った。

 す、と何事もなかったかのように無表情の仮面を取り繕い、しゃんと立つ。

 凍えるような、その瞳の色と同じ温度の視線を相手に向けた。


「―――――――報告を」

 コーザはそれに臆した様子も見せずそう言った。
 狼は、鴉と直接のコンタクトを取れる数少ない役の一つだから。

 だから。

 サンジは素直にそれを受け入れる。





        魔。 迷。 NOVEL