再。




 どくん。
 心臓が踊る。

「くそっ!」

 ゾロは、馬の腹に一蹴りくれた。
 北軍の隊列から一人飛び出すと、一目散に馬を走らせる。

 まずい。
 この辺りに南軍がいるとは予想していたが、こうも突然鉢合わせするとは。図ったわけでもないのに、全面衝突だ。
 岩場で、視界がきかなかったのがまずかったのか。
 作戦すら満足にたてていない。

 ―――せめて、もう少し距離が詰められていれば。

 目指すのは、赤色。ただそれだけ。
 急げ。
 急げ!
 もっと。もっと。
でないと―――また。

 前回は、相手の横腹からぶつかっていったので、緋陽の所に辿り着くまでに時間がかかった。今回は、真正面だ。緋陽を切り倒しさえすれば、この戦争自体、勝ったも同然である。

 だが今なら、緋陽は自軍のことを気にせず術を使うことが出来る。

 ゾロは焦っていた。
 この距離から砂嵐を見舞われては―――

 どくん。

 ………全滅?

(…………ああ、違ェな。そうじゃネェ。ンなわきゃネェよ)

 俺は誓ったんだ。
 だから。

(ンなわきゃネェんだ!)

 激しい振動に、腰の刀が触れあってガチャガチャと鳴る。

 ゾロと北軍の間にも、かなりの距離が出来た。
 後ろから、他の隊長がゾロを止めようと呼びかける声が聞こえる。
 呼んでいるのは副隊長かも知れない。
 それらに答えている暇は、なかった。

「あ―――――ああああああああっ!」

 ゾロは、吠えた。ありったけの殺気を赤い影に叩きつけた。
 もしも普通の人間がこの殺気を向けられたなら、腰を抜かすか逃げるか気絶するか、多少根性のある奴で破れかぶれに向かってくるかだろう。


 こっちへ、こい。


 もし自分を無視して本隊の方に術など使ったら。
 その判断を地獄で後悔させてやる。

『魔獣』の名は知っているだろう?

 反撃くらい、出来る。
 風が吹こうが、岩がぶつかろうが大丈夫だ。
 全部斬ってやる。
 砂嵐などには負けない。
 お前の首を取るまで、諦めない。
 やれるモンならやってみろよ。


 俺にやってみろ。


 この前みたいに………してたまるか。

 ――――俺は死なない。負けない。




 俺の後ろには行かさない!!



 ゾロは再び吠えた。

 ………豹の口が、ぐにゃりと耳まで裂けた。
 そんな、気がした。



+++ +++ +++



 凄まじい勢いで駆けていくゾロの背を見送り、北軍は浮き足立った。
 一番最初に我に返ったのは、第二十番隊の隊長。

「――っちぃ!ぼやぼやするな!一人で行かせてどうする、続けーーーっ!」

 その声に、我に返ったように北軍兵士が駆け出す。
 南軍は、凍ったように動いていない。

 全速力で駆ける北軍。
 その中の一人が、ふと耳元を通り過ぎていった風に意識をそらせた。
 いや、それは風ではなかった。
 思わず呆然と見送ってしまうほど。

「は……速え……………!」

 言い終わる間もなく、それはすぐに人混みに紛れた。



+++ +++ +++



 切り裂くような殺気に、緋陽は小さく身を震わせた。
 単身、こちらに突っ込んでくる男の激しい気迫。

 ―――――自分を、殺したいのか。

 緋陽は低く自嘲した。


 ………殺されてやってもいいと、そんな風に考える自分に嫌気がさす。

 ――――――吹き荒れろ。


 緋陽は喉を鳴らした。
 緋色の衣が風になびくのを止め、ゆらゆらとたちのぼった。
 不思議な旋律が、その唇からこぼれ落ちる。

 それを聞いた南軍の兵達が、うやうやしげに頭を垂れた。


 ひゅううううううう―――


 どくん。
 どくん。
 どくん。

 どく

 ど く       ん。



+++ +++ +++



 ひゅううううううう―――

 聞こえてきた音に、ゾロの呼吸が一瞬止まった。
 緋陽の元に辿り着くのに、後三十秒はかかる。
 三十秒。

 術が発動するのには十分な時間だ。

 そして―――
 緋陽の腕が指し示しているのは。

 ゾロではなかった。

「やめろ」

 驚くほど小さな声がゾロののどの奥から滑り出た。
 本人すら気付かないほど小さな、声。

「やめろ」

 舌が喉に張り付く。

 緋陽の指先が、からめ取ろうかとするように動かされる先は。
 ゾロを通り越した後ろだった。

「やめろ………!」

 自分の声が震えているかも知れないと思ったのは、初めてだ。
 震えている………?

 そんなに怖いのか。
 そんなに恐ろしいか。

「やめろ…………やめろやめろやめろやめろやめろォォオォオオオオ!!」


 ――――失うことが。



+++ +++ +++



 ゾロの吠え声に、南軍の兵士はほとんど全てがうろたえ、縋るように緋陽を見た。
 赤い豹が動じていないのを見ると、ほっとしたように息をつく。
 緋陽は無言で腕を振り下ろした。


 ざあっ!

 叩きつけるような音と共に、砂と岩が持ち上がる。
 北軍本隊が、動揺したように足を止めた。

 そして―――


 それだけだった。



+++ +++ +++



「っ!!?」

 南軍に波紋のように動揺が走る。
 ルフィは、思わず緋陽に向かって駆け出していた。

 ルフィの目の先で、緋陽の身体が痙攣するように二、三度跳ねる。
 馬が、異常を察して少し身じろぎする。
 落馬しかけているのだ。
 ルフィはそう見て取ると、唇を噛んだ。
 何が原因だ?

 ――――いや、今はそんなことを考えている時ではない。

 緋陽の力がなければ、南軍などその辺りのシマウマの群よりひ弱だ。
 何よりも、自分が守らなければいけない者が危機に晒されている。

 ゾロ。

 緋陽を殺したいなら、俺を倒せ。


 南軍の兵はかつてないほど、動揺していた。
 緋陽の様子がおかしい。

 そんな中、敵の将軍がものすごいスピードでやってくる。
 先程までは静観していたが、今は―――

 慌てたように、いくらかの兵士は弓に矢をつがえた。
 もう、矢の射程距離内にまで『魔獣』が侵入してきている。緋陽が危ない。

 ぱらぱらと、揃わない矢がゾロに射かけられた。



+++ +++ +++



 ばしっ

 ゾロは抜きはなった刀の一振りで、自分を狙った矢の全てを叩き落とした。
 何があったのかはわからないが、緋陽の術が中断された。

 最大最高の、チャンス。

 今、奴の首を切り落とせば。
 この戦いは終わる。

 緋陽は馬にしがみつくようにして、今にも崩れ落ちそうに見える。
 後一呼吸で辿り着くだろう。

 ゾロはもう一度刀を振り、自分に当たる矢だけを切り落とした。

「―――――!?」

 その瞬間、馬が高くいなないてひづめが空を切る。
 あまりに突然のことに、ゾロは為すすべもなく落馬した。

「ちぃっ!」

 何が起こったか把握する前に、ゾロの身体はやるべき事を知っていた。
 ゾロは一瞬も躊躇せず、そのまま緋陽に向かって走り寄る。
 十メートルもない。
 外しようがない―――

 きぃんっ!!

 無意識にゾロの腕が振られた。
 足が止まる。
 投げつけられたナイフ。先程の馬の変調もそれか。

 ゾロは低くうなった。

「どけよ…………!」
「どかねぇよ」


 守るように黒馬の前に立ち、鬱陶しいフードを脱ぎ捨てる。

 牙を構えて、ルフィはゾロと対峙した。





        影。 酷。 NOVEL