影。




 夜も更け、日付も変わろうとしている頃。
 街の外れの方で騒ぎが起こった。
 見張りをしていた兵士が、不審者を発見したのだ。

「ロロノア隊長!」
「あ?」

 強制的に眠りから覚めさせられたゾロは、思わず不機嫌な声を上げた。
 それに慣れている第三十九番隊副隊長は動揺もせず、ゾロに割り当てられた廃屋のドアを開ける。

「なんだよ?」

 ゾロはごそごそと寝袋から這い出た。砂漠の夜は冷える。いくら固い床でも寝られるからといって、わざわざその特技を生かして寒い思いをする必要もない。

「巡回兵が不審人物を発見いたしました!!」
「おい…………耳は遠くねぇんだから、んなデケェ声出すな」

 副隊長は慇懃に頭を下げた。

「それは失礼いたしました。隊長はいつも寝起きが悪いので、はっきり話した方が頭に入りやすいかと………」
「余計なお世話だ」
「いつも、目をつぶって聴いていると思ったら寝ていらっしゃることが多いのでね。今回は珍しく一回で起きたので余計に気になって………おっしゃる通り、無用な気遣いでした」
「……………お前、性格悪ィよな」
「何故ですか?私はいつも隊長のためを考えて行動していますよ」

 第三十九番隊では、隊長が戦略的には役に立たないため(戦術的には非常に有能なのだが)副隊長がその辺りの行動を任されていた。隊の最善の行動を思索、検討するのはこの副隊長の役目であり、ゾロは決断するだけだ。
 ゾロはあっさりと反論を諦めた。

「不審人物って?」
「不審な人物です。―――はっきり言えば、南の人間です」
「民間人か?」
「いえ…………偵察兵のたぐいかと」

 ゾロは顔をしかめた。

「本当か?」
「はっきりとは……兵士であることは確かです」

それは緊急事態だ。
 ここに偵察兵が来ると言うことは、こちらのことが認識されているにしろいないにしろ、すぐ近くに南軍がいるということである。
 知られていなければ奇襲のチャンス。
 知られていれば衝突は免れない。

「尋問は?」
「しました。何もしゃべりませんでしたが………拷問にかけますか?」
「するな」

 即答したゾロに、副隊長は笑みを瞬時に消した。
 予想したとおりの答えだったからだ。

「―――何故ですか?」

 諭すように、語りかける。
 ゾロは眉を寄せて、黙り込む。
 思わず口にした答えは、間違っていた。
 幾度か繰り返した受け答えだ。わかっている。

「………今ここで南軍の情報を少しでも手に入れておけば、こちらの有利に事が進みますよね?」
「…………………ああ」
「この隊に、いえ、この軍に勝利をもたらす責任が、隊長にはあります」

 副隊長はきっぱりと言い放った。
 いくら個人的戦闘能力が強かろうが、隊長はまだ19歳だ。どうしても反射的にそう答えてしまう癖は直らないようである。
 戦争という物がなんなのか、頭ではわかっているのだろう。
 ただし、頭でだけだ。
 戦場では躊躇なく人を斬る魔獣だが………どうもこの青年は、剣士であるらしい。抵抗できない人間をいたぶることには、いつも酷い拒否反応が返ってくるのだ。
 卑劣であることを、極端に嫌う人間。
 逃げる敵は、追わない。
 後ろからは襲いかからない。
 だから自分が、進言しなければならない。

 副隊長は溜息を吐いた。

「…………すみません。少し試しました」
「………………………」
「不審人物は、死んでいます。捕まりそうになった途端、自害しました」

 戦場では、人は冷酷になる。ならなければならない状況に追い込まれる。そうする必要がある。特に、人の上に立つ者には。時には汚いとされる手口を使う必要もあるのだ。

 第三十九番隊隊長は、少しだけ、潔癖すぎる。
 いつか、それが命取りになるかも知れない。


 ―――しかし、この青年のそんな不器用なところがなくなったら自分はやはり悲しむのだろう。



「これからの対応を検討しましょう。他の隊長はもう、集まっています」




+++ +++ +++




 目の前にたなびくのは、赤。


 南軍は、緋陽を先頭にして進む。
 もちろん、普通指揮官はそんなところには立たない。
 守りの一番厚いところに陣取り、戦局を読みとって次々と指示を出すのが仕事だ。
 だが、緋陽は違う。
 緋陽は王であると同時に、戦神子である。
 戦に出るときは矢面に立って果敢に闘う。戦術はない。姿を現したところで砂に襲わせ、敵を飲み込ませるだけだ。
 緋陽と共にあるとき、兵が闘うことはほとんどない。彼等の仕事は、攻めた後の街を占領し、我がものとすること。

 黒い馬にまたがった豹は、敵に死と破滅をふりまく。

 ――――そして自分の役割は、緋陽のために動くこと。


 ルフィは、頭にすっぽりとフードをかぶって、南軍の兵に紛れていた。
 照りつける日差しの中、うつむいてよろよろとやっと歩いているように見せかけているが、黒い瞳は油断なく、フードの中から赤い影を追っている。

 自分は、緋陽の使い魔である。

 ルフィは袖に手を滑らせた。そこにあるのは、牙を模したナイフ。緋陽の敵を倒すのが、自分の仕事。
 緋陽を守るのはルフィの役割ではなかった。
 地の果てまでも追っていって敵を倒す筈の犬。
 それが自分だ。
 ルフィが知っている自分の他の使い魔は、コーザだけである。
 使い魔というのが何人いるのか、どのような構成になっているのかは知らない。
 もしも、今となりを歩いている兵士が他の使い魔だったとしても、何もわからない。
 コーザの命をきき、その通りに動く。
 そうするのが自然だと、何よりこの身体が知っている。犬には犬の、役割がある。息をするより自然に、すべき事だけがわかっている。

 緋陽の敵を殺すこと。

 しかしルフィの役割は今、ルフィは緋陽を守る事だった。
 爛々と目を光らせ、たなびく赤を追っている。

 本来その役割の筈の、コーザの姿はここにはない。
 南軍の放った偵察兵の一人がまだ帰ってこないということで、大事をとって行方を追ったのだ。その辺りの事情は、ルフィには良く解らない。
 人手が不足、と言っていた。それは兵が足りないのだろうか?それとも使い魔が足りないのか?
 コーザは別に、南軍の中で重要な役割に就いている者ではない。それはルフィにも言えることだが、ただの民間人、と言っていい。

 しかし、どこかから必ず緋陽を守っている。

 ルフィはそのコーザから、緋陽を守る役割を託された。一時的にだが。
 コーザがルフィより多くの知識を持っている事は確かだった。なぜなら、狼は犬より高位の存在だからだ。本能がそれを知っている。

 命が下った。緋陽を守れ。

 そう言われたからには、ルフィは緋陽を守る。
 死んでも守る。

 ………多分、緋陽は自分のことなど知らない。
 緋陽が考えるのは、国のことだけだ。
 緋陽は国以外のことを考えてはいけない。
 使い魔は、緋陽の影。

 ああ、そう言えば自分にも一つだけ知っていることがある。


 全ての使い魔の最高位、第一の使い魔は『鴉』であるということ。

 緋陽は国の輝き。
 鴉はその影である。




+++ +++ +++




 緋陽は、絶え間なく襲う鈍痛に耐えながら前を見据えていた。
 次の目標は、奪い返されたという北の最外郭に近い街である。

 動かせる兵は、全部かき集めてきた。

 自分が戦えるうちに、決着をつけなければいけない。
 緋陽は、死を覚悟していた。
 次代の緋陽がいないことだけが心残りだが、そうもいっていられない状況なのだから。
 国が滅びれば、緋陽など意味がない。

 伝説に頼るのはやめる。
 鴉など、いくら呼んでも出てこない。
 自分が使えるのは、自分自身の力だけだ。



 南軍が今進んでいるのは、岩山地帯である。
 小さな岩山が、あちらこちらに密集しているのだ。
 影が出来るのはありがたいが、視界が狭くなって困る。
 緋陽にとって、一番怖いのが奇襲だった。
 自分に向かってくるのならいい。
 真正面からぶつかるなら、力で吹き飛ばせばいい。

 混戦になるのだけは、避けたかった。




 ふ、と影が消える。



 急に、岩山が途切れた。
 岩山地帯を抜けたのだ。

 そして途端に広くなった視界には――――



 図ったようにずらりと並ぶ、北軍。
 緋陽は目を細めた。

 その先頭に立つ、砂漠には不釣り合いな緑色には見覚えがある。



 どうやら、全面衝突らしい。
 これは、罠だろうか?
 偶然だろうか?


 まあ、いい。
 自分は、目の前に立ちふさがる全てを叩きつぶすだけ。
 命の限り。







 一瞬の間の後。
 一斉に上がる、ときの声。

 北軍は、走り出した。
 先陣を切るのは言わずと知れた北の『魔獣』。





 ――――その戦場の空気の中で。

 金髪の青年は、そっと刀を握り直した。

 彼は、祈っているのではなかった。




        刀。 再。 NOVEL