刀。




 すらりと手の先から延びる白銀の………ただの、鉄。
 太陽の照り返しが目に痛くても、微妙な反りと繊細なラインに目を奪われても。
 ずしりと手首と肩に感じる重み。
 山から削り出され、幾度も鍛えられ、炎と槌との洗礼を繰り返して生まれ出てきても。
 やはりそれはただの、鉄。
 ただの鉄に意味を与えるのは、それを扱う者の傲慢。
 それを見て感傷を覚えるのも、それにとってはいい迷惑かも知れないのだ。

 例えその持ち主が死んでも、それには何の関係もない。



+++ +++ +++



 街は、砂に浸食され始めていた。
 サンジはもう補修もされなくなって久しいであろう、くすんだ石の外壁の上に腰掛けて、岩山に落ちかける夕日を眺めていた。
 北の領土の最外郭の辺りにある、小さな街。
 南は、そこから砂漠を挟んだ向こう側。
 明日は、エースの駐留するもう少し東の街へ向かって移動する。

 エースは、危なげなく勝利を収めたらしい。
 その街の南軍を掃討し、奪い返した。そこまではいいのだが、どうやらかなり大規模な軍団が、そちらへ向かっているらしいのである。緋陽が指揮している軍かどうかはわからないが、今までの中では最大規模の軍だという情報。
 第三十九番隊、第三十五番隊、第二十番隊は、エースの第二番隊と合流しようとしていた。これも、かなりたいした戦力といわねばならない。
 各地で起こる散発的な戦闘へも隊は配置しなければならず、現時点で動かせるものは全部動かしている。
 もし、南軍とぶつかることになれば、それはこの戦争の勝敗を決める大きな要因となるだろう。

 サンジは溜息を吐いた。
 この街は、捨てられた街だった。
 南に攻め滅ぼされたわけではない。

 オアシスが涸れたのだ。致命的だった。

 原因は不明。北では、こんなことが頻繁に起きている。慢性的な水不足、ひいては食糧の不足。飢えと戦。国民は追いつめられていた。
 南の呪いだ、というまことしやかな噂話も流れている。
 眼下では、風に追われて丸まった草がころころと転がっていた。
 街の中心にある涸れたオアシスをサンジは見た。

 ただの、穴だった。



+++ +++ +++



「ダメだ!」
「なんで!」
「常識で考えろっ!このアホっ!」
「テメェに常識云々を説教されたかねェよっ!いいから連れてけっ!」
「テメェは民間人だろっ!」
「だったら何だクソハゲっ!」
「足手まといだっつってんだよ!」
「誰も俺に構えとか言ってネェよ!連れてってくれりゃそれだけいいんだ!」
「ダメだ!」
「なんで!」
「ダメだ!」
「なんで!」
「ダメだ!」
「だからなんでだっ!?」
「迷惑なんだ、ド素人っ!戦場はテメェが思ってるほど甘い所じゃねぇ!剣も握ったことのねぇヤツが来れるトコじゃねぇんだ!」

 ハァハァと、酸欠気味の脳味噌に急いで空気を送る音だけが響く。

「――――わかってんだろ。無理なことくらい」
「…………………」
「諦めろ」
「……………るせェ」
「とにかく、俺は絶対に連れていかない」

 ゾロは、ようやく呼吸を整えて低い声で言った。小一時間も同じ事を怒鳴り通しだったせいか、喉が痛い。
 この分からず屋は子供のように「絶対行く」の一点張りで、思わず自分も同レベルで怒鳴り合ってしまった。
 サンジはうつむいて、肩で息をしている。
 許すわけにはいかない。
 『刀を握ったこともない』、それは確かに理由の一つだ。しかし、ゾロが懸念しているのはもう少し違う視点からの問題だった。
 正しく言えば、『人を殺したことがない』のが理由だ。
 これを振り切るのは、並大抵なことではない。
 最初に出た戦場で一番問題なのは、そのリアルさ、怖さ、傷つけられることへの怖れ―――ではない。
 自分の振り下ろした剣の先で誰かが死ぬと言うこと。その命のまわりの命へまで配慮が及んでしまったら、まず間違いなく精神的に役に立たない。
 そして、それが平常であると、正義であると思い込んでしまったならば、なお悪いことになる。
 自分の手が、何でも出来ると同時に何も出来ないということ同時に知ること。それがなければ、本当は戦に出るべきではないのだ。
 最初の戦の興奮が過ぎた後に、ほとんど全ての人間が味わう暴力的な味気なさ―――一歩を踏み出した人間は、もはや戻ることは出来ない。
 その寂寥感。無垢な人間に触れることへの罪悪感。自分自身が信用できないという恐怖感。
 自分が化け物に変わってしまったような。そして、もとからそうだったのかも知れないとすら思う者もいるだろう。

 見たくない。
 酷く見たくない。

「………………じゃあ、いい」
「あ?」

 思考をとばしていたゾロだが、奇跡的に、サンジがぼそっと呟いた台詞に反応できた。

「俺一人でも行ってやる。マリモなんざに頼らネェ!」
「バカか」

 わざわざ溜息を吐くのも惜しい。

「テメェ一人で何処に行く気だ?ろくに砂漠に出たこともねぇくせに、ひからびて死ぬのがオチだ」
「……………………」
「もう一度だけ言うぞ。諦めろ」
「………………イヤだ」

 俺はあきらめの悪ィのがウリだ。
 何本目になるかわからない煙草に火を点けながら、サンジがぼそぼそと呟く。
 そんな事実はもういやというほど確認してきているのだが(この一時間で三十七回だ)。

「……………ハラキリだ」
「はあ?」

 思わず間抜けな声を出したゾロに構わず、サンジは手を伸ばして、きちんと研がれた包丁を手に取った。
 つ、と手を沿わせて、その鋭さを確認する。
 それを愛しげに撫でながら、再びゾロに宣告する。

「俺を連れていかねェんだったら、俺ァここでハラキリする」
「…………………」
「嬉しいダイイングメッセージ付。『ロロノア隊長にもてあそばれて捨てられました。恨んで死にマス』」
「…………(ソレ、ダイイングメッセージか?)」
「そんでテメェは腐れホモ疑惑をかけられた挙げ句、俺を死なせてしまった罪の意識で精神的にズタボロ。ノイローゼだ。追加効果でハゲる」
「…………(コレは、ケンカを売られていると考えた方が良いのか?)」
「ついでに俺は毎晩テメェの枕元に立って『グリーングリーン』を歌ってやる。もちろん、サビの部分は百回リピート。飽きたら猥談。どうだ、ヤだろ?」
「…………あのな」

 もうダメだコイツの思考回路。
 ゾロは溜息を吐いて口を開きかけた。

 その瞬間。

 ひたり、と包丁がサンジの喉に突きつけられた。
 青灰色の眼差しがにこやかな風を装ってゾロの首筋を撫でた。

(………このクソ野郎が)

 ゾロは一瞬でサンジの本気を見て取った。

「卑怯者」
「オーライ。知らなかったワケじゃネェだろ?」

 しゃくに障るのは、サンジが自分の絶対的勝利を確信していると言うこと。
 別に、切り捨ててもいい。こんなふざけた要求なんて。
 ただ、そうした途端にカウンターは血の海だ。
 その覚悟をしているくせに、なおかつそうはならないと知っている矛盾した態度に腹が立つ。
 自分の性質を見抜かれているのか、それとも自分が相手の性質をわからされすぎているのか。

 ああ死ね。勝手に死ね。

 と、言うのは簡単だ。酷く簡単だ。何の葛藤も必要ない。
 ただ、そうするとこのバカは本当に死ぬだろう。
 それをゾロがわかっていることが、問題なのだ。
 それ故に、絶対にゾロがそれを言わないとサンジが思い込んでいることが問題なのだ。

(前からわかっちゃいるんだが………)

 一度殺したい。この男。

「……………………俺の命令には絶対服従。兵士の邪魔もするな。もしも戦になっても参戦は禁止。列の最後尾で待機だ」
「いい男だぜ、隊長v」

 この取り澄ましたツラを思い切り殴り飛ばせたら、この気分は少しは晴れるだろうか。
 ゾロの心労は減りそうにない。



+++ +++ +++



 近づいてくる足音に、サンジは外壁の上から振り返った。
 第三十九隊隊長が、仏頂面で立っている。

「ちょっと来い」

 サンジは珍しく何の口答えもせず、ゾロが思ったよりも身軽な動作で降りてきた。流石に、普段着ではなく砂漠用の装備を来ている為か、どことなく雰囲気が違う。
 ゾロは無言で、サンジにそれを差し出した。

「……………短くないか?」
「小太刀だ」

 サンジはそれを受け取って、ゾロを見遣る。
 軽く頷くと、滑らかな動作でそれを鞘から引き抜いた。どことなく手慣れているのは、普段から刃物に接しているせいだろうか。しかしやはり包丁と刀では、大分違うのだろう。しげしげと見つめている。
 そしてサンジはそれを検分するように、色々な角度から光を当てた。

「テメェのか」

 普通、兵士が使うのは剣か槍だ。刀などという変わった武器を扱うのは、そんなにいない。サンジにいたっては、立派な民間人なので、ここに至るまで武器など触らせてももらえなかった。例え本人の思惑が違っていても、飯炊きが仕事という名目なのだ。サンジに剣を持たせなかったのはゾロの命令でもある。

「………どういう風の吹き回しだ?」

 ゾロは目を閉じると、自分の腰に下がっている三本の刀を撫でた。
 確かな重み。
 ないと落ち着かないというのも、困った症状ではあるのだろう。

「――――刀ってのは、刃が片方にしかついてない」
「それは、自分の身を守るときだけ、使え」

「…………………………」

 サンジは無言で刀を鞘に戻した。
 それをゾロが取り上げ、再び抜く。

「テメェ、利き手はどっちだ?」
「ああ?右だよ」
「じゃあこう持って………ちょっと振って見ろ。自分の足斬るなよ?」

 サンジは一度刀を振ってみた。
 腕を上げて、下げる。
 ぎこちない動き。
 ゾロは二、三ヶ所動きの間違いを指摘して(それ以上のことを言っても覚えられまい)どうにか見れるようにしてから刀をしまわせた。

「――――自分の身を、守るときだけでいい」

 それ以外では抜くな。
 慣れて、欲しいわけではないから。



 ゾロは磨滅したレンガの上に腰を下ろした。
 髪を擦れば、砂の粒がぼろぼろと落ちてくる。
 何気なく口を開いた。

「オアシス、見ただろ?」
「ああ………あの穴」

 サンジは立ったまま、夕日を見つめている。
 ゾロは、既に目を閉じていた。

「元は、綺麗な水が湧いてた………蒼い蒼い、水が」

 今でも思い出せる。
 思い出せるというより……つい一年前まで、そうだった筈なのだ。
 異常なのは、今だ。
 間違っているのは、今だ。

「見てきたように言うな?」
「……俺ァ、ちっせぇ頃この街に住んでた事がある」

 別に、そんなことを言うつもりではなかったのだが。

「―――聞いてねェぞ、そんな話」

 一秒ほど遅れて、サンジが穏やかに言った。
 その不釣り合いな抑揚に、少しだけ違和感を感じる。

「わざわざ言うモンでもねぇだろ」

 サンジは夕日から目を外し、振り返って風と砂に晒されるがままの町並みに目をやった。隊は中心部の痛みが少ない建物を使って休んでいる。
 乾いた街だ。
 街――もう実際には、街とは言えない。廃屋の群だ。

「刀………」

 静かな声。囁くような。

「テメェは、何のために使うんだ………?」
「……………………」

 ゾロは答えなかった。
 沈みかける夕日と共に、気温が低くなってきている。
 サンジは目を伏せた。

「早く…………終わるといいな。こんなのは…………」
「……………ああ」



 その時のサンジは、まるで泣いているようにも見えた。




        狼。 影。 NOVEL