断。




 ゾロはルフィの拳を刀の柄で受け止めながら、呟いた。

「ずっと………俺のことも、殺す気で狙ってたのか………?」
「――――多分な。いつかは、そうなってた」

 いつかは。
 その言葉に、ゾロは顔をしかめた。
 この行動は、やはりルフィの任意で行っているのではないらしい。
 ルフィの後ろにまだ、誰かが居るのだ。
 ルフィと初めて会ったのは、戦争が始まってすぐの頃。エースと一緒に行った『エリカ』でだ。サンジとも、その時が初対面。

「―――俺が、将軍だからか」
「………………」
「普通の人間だったら、こんな事にはしなかったろ?」
「………………」

 ルフィの手さばきに、微妙な動揺が走った気がした。
 ならまだ、可能性はある。
 それは、危険な賭だった。
 賭けるのは、自分の命だけではないから。

(でも………それでも)

 ルフィが、戻ってくるかも知れない。
 ゾロは迷った。

 そして、覚悟を決めた。

 ルフィは、きっと戻ってくる。


「っ!?」


 ルフィの瞳に動揺が走る。
 ゾロの戦い方が変わった。
 それまで防戦一方だったのが、一転して攻撃に転じる。
 ―――それだけならまだいい。どうという事はない。

 きぃんっ!

 耳障りな金属音が、間断なく響く。
 ゾロは、わざと音を立てていた。
 刃同士がぶつかる音、踏み込みの音、全てが出来うる限りの大きさで鳴らされている。そして―――

「誰か、来いっ!!」

 ルフィは思わず声を上げる。

「―――――正気かゾロ……!?」

 まさか、ゾロがこんな暴挙に出るとは思わなかった。何故。
 もう夜中だが、今の声を誰かが聞いている可能性も充分にある時間帯だ。
 確かに、他の人に目撃されれば、ルフィの正体はもう隠すことが出来ない。それはルフィにとってどうしても避けたい事態だろう。だから、こうしてゾロを殺そうとしているのだから。
ゾロはどうするつもりなのだろう。
 駆けつけた人々を、ルフィが殺す事を選んだら―――?

 これが、ゾロの賭だった。
 ルフィには、選択肢が与えられた。

 ゾロの暗殺をあきらめ逃げるか。
 それとも、駆けつける人もろともゾロを殺すか。

 つまり。

 情と道徳か。
 それとも暗殺者としての使命か。

 ルフィの表情が、歪む。
 のどの奥から、ひきつったうなり声が漏れた。

「………俺が、殺せないって?」

 無関係な人を。
 殺さずに済んだかも知れない人を。

「信じる」

 間髪入れずに、ゾロは言った。
 ルフィの手が一瞬、止まった。
 致命的なその隙を、ゾロは見送った。




 数瞬の交差。




 ―――そして、ルフィに表情が戻る。

 乾いた声。
 ガラスのように硬質な黒い目。

「……バカ、俺はお前だって殺せるんだぞ?」
「……………………」

 使命の為ならゾロですら殺せるのに。
 何故見知らぬ他人を斬れない訳がある?


 ――――――犬に情は、ない。



















「おまえら………?」















 その時、ルフィの後ろからかかった声に。
 ゾロですら動きを止めた。

 先程のゾロの声を聞いてその場にやって来たのは――



「サンジ……………!」


 そう、ここは『エリカ』のすぐそばだったと、ゾロは唇を噛んだ。

 それは幸運なのか、それとも。



+++ +++ +++



 呆然と、サンジの瞳が路地の上を滑った。
 明らかに息が絶えている、地面に横たわった男。
 血にまみれたナイフを握るルフィ。
 ルフィと闘っていたのは………ゾロ。

「な…………」

 一言呟いたまま凍ったように立ちすくんだサンジ。
 青灰色の瞳が限界まで見開かれる。
 状況を理解しようとする回路が、パンク寸前なのが一目で見て取れた。
 サンジの視線が、ルフィの血塗れのナイフに刺さる。

「ルフィ…………?」

 その言葉に、ルフィの肩がピクリと揺れた。
 サンジからは見えないだろうが、向かい合っているゾロからはルフィの表情がよく見えた。とはいえ、月明かりだけの路地ではたかが知れているが。
 先程までは底が見通せなかった瞳の奧が、揺れているのがわかる。

 それは、多分数秒間のことで。
 しかしゾロは思い付く限りの様々な感情と葛藤を、その奧に見た気がした。






 ―――戻って来たと、思ったのだ。



 その静寂の中に。
 貫き通す、視線。

「っ!?」

 突然、振って湧いたように現れた新たな気配に、ゾロとルフィは弾かれたようにそちらを見遣った。サンジは当然わかっていないようで、いまだに棒立ちのままだ。

 サンジの後ろに、鋭い視線の男。
 長いコートに、額から左目に賭けての太刀傷。

「あ…………」

 ゾロとルフィの視線を辿り、サンジが振り向く。

 市場ですれ違った、あの男だ。
 声を聞きつけてやってきたのか、それとも――

 そこまでゾロが認識した途端、ルフィの気配が変わった。


 男とルフィの目が合う。

「…………………」

 すう、と霞が晴れるように平坦になっていくルフィの気配。

 先程までの迷いは、何処にもないようだ。
 何かが断ち切られた。
 ぱきんと、音すら聞こえた気がする。


 ―――――迷いが、ない?

 ぎゅ、と握りしめられたナイフ。
 まさか。
 まさか。

 ゾロの行動は、一足遅かった。



「ル…………!」

 伸ばした指先が届くわけもなく。
 ルフィは、サンジに向かって駆け出していた。
 ナイフを構えて。
 一瞬遅れて、ゾロが後を追う。

(ダメだ……!)

 ルフィとサンジの距離は十メートルもなく。
 その中での一瞬のタイムラグは、致命的と言える。
 もはや、ゾロが後ろから斬りつけたとしても、結果は変わらないだろう。

 サンジは、何もわかっていない。
 わかっていたとしても、ルフィの一撃をかわすことも、防ぐこともできないだろう。

 やけにスローモーションに進んでいく光景。足はそれと同じくらいゆっくりとしか動かない。

 焦燥。

 ぱりん、ぱりんと何かが砕け散っていく音が耳の中で反響する。


 ゾロは叫んだ。
 ルフィは、止まらなかった。

 見知らぬ男は、腕を組んでそれを見ていた。



 鋭い牙が、サンジの喉に食らいつく。




 ぱりん。
 素っ気ない、音。





 ――――ゾロは、賭けに負けたのだ。




        犬。 狼。 NOVEL