乏。




 軽く乾いた木の扉を、片手で押し開けた途端。

「―――エース!」
「よう、サンジ」

 カウンターに腰掛けて煙草を吹かしていたサンジは、エースの姿を認めると目を見開いて明るい声を出した。口元に微笑を浮かべて手を広げる。

「………久しぶりだな。飯はちゃんと喰ってたか」

 穏やかに笑いながら、煙草の煙を吐き出す。
 そんなサンジに、エースは片手をあげて挨拶した。

「喰ってたよ。オマエこそ、なんかちょっと痩せたんじゃねぇか?俺がいない間、なんか変わったコト、あったかよ?」
「特には、ねェよ」
「ホントか?」
「ホント。それよりエース、アンタ帰ってきたばっかで疲れてんじゃねぇのか?今日は来ねェかと思ってたのによ」
「いいや。せっかく帰ってきたんだからこそ、まずはココに来なきゃな」
「―――それは俺の料理を食いに?それとも俺に会いに?」
「もちろん、両方」
「……そりゃ光栄だぜ」

 大げさに盛り上がるエースとサンジ。
 まるでどこぞのテレフォンショッピング番組の男女のようだ。
 ……視聴者に何を期待しているのか。

「……………テメェは………わざとらしいことしてんじゃねぇぞ」

 ゾロはこめかみをひきつらせなからぼそっと呟いた。

「――――なんだ、いたのかクソ剣士」

 気付いてなかったわけがないだろうに、サンジは白々しくそんな言葉を吐いた。
 途端にニヤリとタチの悪い笑みを張り付け、(その豹変ぶりと言ったらそこらの役者よりも数段上だ)カウンターから立ち上がる。

「テメェもいい加減生き汚ェ野郎だなァ、今度こそくたばったかと思ってたのによ?総大将の顔くらいは見てきたか?」
「……久しぶりに会った人間への第一声がソレかよ。どんな接客方針だこの店は」
「『レディは女王野郎は下僕』も一つ付け足すなら『マリモは人間外』。コレは『ゴミはゴミ箱へ』と同じくらいポピュラーな社会の常識のハズなんだがなァ?Do you undersutand ?」
「知るか。テメェと俺の住んでる社会は違うんだよ」
「あったりめぇだ、マリモが人間社会に溶け込めるかっつーの。目ェ開けながら寝言が言えるのは数少ねェテメェの特技だと俺は思うよ」

 からかうように突きつけられた指を、ゾロはパシンとはたき落とした。
 サンジは、『エリカ』のオーナー兼コック兼ウエイターである。昼はレストラン、夜はバーになるこのエリカを、サンジは一人で取り仕切っていた。
 ほっそりした身体に無造作にシャツを羽織り、口元にはいつも煙草。コレがサンジの基本スタイルである。
 金髪に青灰色の瞳の、気障で生意気な優男。口が達者で、一つ言ったら百倍の利子を付けて叩き返してくる。
 その皮肉げな態度が災いしてか、サンジに因縁を付けてくる男は後を絶たず(問題があるのはどちらかと言えばサンジの方だとゾロは思っているし、間違いではない)、本人もそれを好んで煽る。
 収拾がつかなくなるその騒ぎをサンジ本人に代わって収めているのがルフィだった。もちろん、腕力で。サンジは、『荒事は筋肉のやる仕事』だと言ってはばからず、その報酬として、ルフィにはいつも何か料理してやっている。
 別に情けないとは思わない。確かにサンジの腕はケンカには向いていないが、その料理の手並みは素晴らしいとゾロも認めていた。適材適所、という言葉もある。

「そういえば、ルフィはどうしたんだ?」

 ルフィはサンジの護衛?の為、いつもエリカでうろうろとしていたはずだが。「サンジ~!腹減った~!」とまとわりついて。

「街でバイトしてたけどよ」
「……………そりゃ」

 エースの問いにサンジが答える前に、ゾロの腹が空腹を思い出した。

「飯。と、酒」
「何様だテメェは………っつか、オマエらちゃんと扉見たのか?どうもなんかズレてるみたいなんだけどよ」
「扉?」

 エースが首を傾げる。サンジは溜息を吐いて煙草をもみ消した。

「看板、出てなかっただろが」
「はあ?」
「店の看板!いつも扉のトコに下げてたろーが!」
「…………………なかったか?」
「あのな」
「いいから、飯」

 サンジは眉間にしわを寄せた。
 はあ、とまたもや大きな溜息を吐き、小馬鹿にしたようにコンコンとゾロの頭を小突く。

「――――飯は出せません。テメェらは王宮でなんか喰ってこい」
「は?」

 呆気にとられるゾロ。エースは店内を見回している。
 幻聴か?

「今………なんつった?」
「メ・シ・は・出・せ・ま・せ・んっつったんだクソ野郎。二度も言わせんな」
「はあ?」

 サンジは肩をすくめて手をひらひらと振った。
 馬鹿にしたように、その長い指でカウンターの上をコツコツと叩く。

「物わかりのクソ悪いお客様、非常に残念なコトなんですが」


「ただいま当店は、休業中なんデス」





+++ +++ +++



「あん?」

 ゾロは不審げにサンジを睨んだ。
 不機嫌な顔で店の片隅を示す。

「ふざけんな。他のヤツにはちゃんとメシ出してんじゃねぇかよ」

 確かに、そこでは一人の老人が、テーブル席に座って食事を摂っていた。
 それなのに自分たちには食事が出せないとは何事か。王宮での食事を断りここまで出向いたのに。
 黙り込むサンジに、更に口を開こうとしたゾロだが、

 びしぃっ。

 電光石火の速さで、エースのチョップがゾロの脳天に入った。

「っ!?」

 エースは無言でそのままゾロの襟首を掴むと、呆気にとられるサンジを後目に、ずるずると店の外まで引きずっていく。

「な、何しやがるっ!?」
「黙っとけ」

 ばたん。

 店の扉を後ろ手に閉め、ゾロを外に連れ出すと、エースは大きな溜息を吐いて、ぼりぼりと頭を掻いた。

「俺サマとしたことが………しくじったなァ」
「…………何がだよ。いきなり何すんだ」
「………………」

 ぶすっとした表情でゾロが問う。
 エースは、またもやゾロにチョップを喰らわした。
 今度は、首がめりこむくらい強く。

 どばしっ!

「ぐあっ!?」
「あのなァ、オマエ『エリカ』の様子、見ただろ?」
「………ああ?」

 容赦のない暴力に晒されたゾロは、恨めしげにエースを睨み付ける。
 エースは呆れたように首を振って、

「これだから鈍感は………」
「なんなんだ、さっきから!」
「………普通なら、昼時の『エリカ』なんて客がわんさか入ってて、サンジはオレ達の相手してる暇なんかねェだろ?」
「ああ」

 サンジは、食料の値段が凶悪なまでに高騰している今でも、出来る限り安い値段で料理を店に出していた。
 利益は、ほとんどないと言っても良かっただろう。
 それでもサンジは安い価格を維持し続け、『エリカ』はいつも人で溢れ帰っていた。

「それなのにだ。客はあのジイさん一人で、これから来る様子もない。あのサンジが、店は休業だとか言ってる」
「…………」
「Do You understand ?」

 エースはサンジの口まねをして、もう一回ゾロにチョップを叩き込んだ。
 今度は大人しく、ゾロはそれを受けた。

「………俺らが出てる間に食料、配給制になったんだろ」

 ノジコが言いかけていたのはこれのことか。
 確かに、そうなってしまえば個人経営の店の仕入れなど不可能。
 食べさせたくても、もともとの食材がないのだ。

「じゃあ、何であの爺さんは飯を――」

 そこまで言いかけて、ゾロは言葉を切った。
 よく考えてみるまでもなく、答えはひとつだからだ。

 サンジは、自分の分の食料を与えたに決まっている。

 あの老人は戦火に追われて、どこぞの街から逃げてきたばかりなのだろう。
 ひょろひょろに痩せて、ボロボロの衣装を着、砂まみれだった。
 難民だ。
 王宮にも、充分な食料はなかったはずだ。その上、今はこの都だけではなく国中から飢えた民が押し寄せてきている。
 彼等にまでは、充分に食料がいき渡らないのだろう。
 もうそこまで、食糧難は進行していたのだ。


 ―――喰いたい奴には喰わせてやる。



「あの馬鹿」







 ばたんっ!

 エースに連れられて扉の外に消えたゾロが、乱暴に扉を開けて帰ってきたのを見て、サンジは文句を言おうと口を開きかけた。

「テメェ――」
「うるせェ」

 ずかずかと足音荒く近寄ってきたゾロは、カウンター席に、叩きつけるようにどさっと腰を下ろした。
 ぎら、とサンジを睨み付ける。
 なにやら不満らしい剣豪の視線を大人しく受けている筈もなく、サンジはゾロをにらみ返してやった。

 だんっ

「…………暴れんな魔獣」

 拳をカウンターに叩きつけたゾロに、サンジは低い声でうなった
 ゾロはびし、と床の上を指さして言った。

「そこに正座しろ」
「は?」
「いいから正座だ!」
「…………なに寝惚けてんだクソ野郎」

 なんで俺がそんなコトしなきゃならねェんだ。
 見事なまでのしかめっ面で、サンジは煙草に火を点ける。
 ゾロの不機嫌を勘違いしたらしく、

「―――飯なら、何をどう言われても出ねェぞ。腹が減ったなら王宮行けよ」
「もういいんだよ飯は!」

 ゾロはまたカウンターを叩いた。
 サンジの眉間のしわが深くなる。

「テメェは…………」
「なんだよ」
「テメェはよ………」
「だからなんだよ!?」

 サンジの堪忍袋はそう長い方ではない。
 いきなり突撃してきたクソマリモ様はワケも解らずご立腹中で、自分に説教でも喰らわせそうな雰囲気。思い当たる理由もナシだ。
 それだけでもキレるには充分なのに、先程からどうもはっきりしない。

「言いたいことがあるなら言えよ」
「だから………」

 怒りにまかせて噛みついたものの、ゾロはアクションに困っていた。
 そういえば、何と言えばいいのだ?
 ゾロの頭の中で色々な言葉がぐるぐる回る。

 ふざけんじゃねぇ、とか?
 いい加減にしろ、とか?

 ………いきなり言っても聞く耳もたねぇな。

 それでなくても普段からあんまり喰わねぇのに、とか?
 人のことまで構うな?
 自分の身体を心配しろ?

 ………違う、キャラじゃネェ。

 ジジイの心配してる場合か。
 テメェの分はテメェで喰え。
 自分の分まで他人にやるな。

 ………ダメだ、「何で?」って返ってくる。

 大体何なんだコイツはよ。
 エースじゃネェが、よく見りゃスゲェ痩せちまってんじゃねェかよ。
 それ以上細長くなってどうするつもりだ。ウォーリーの仲間入りか?
 人には栄養管理がどうだとか摂取カロリーが何だとかピーチクくっちゃべるクセに自分は何やってんだよ。
 聖人ヅラしてほどこしものか?何様だオマエは。
 こういうときはテメェの事だけ考えやがれ。
 見てるとイライラする。マジで殴りてぇ。
 うぜぇうぜぇうぜぇうぜぇうぜぇ、うざすぎるんだよ。クソ。

 ―――っていうかコレじゃまるで俺が心配してるみたいじゃねぇかよ!

「~~~~~~~~」

 唸りだしたまま、ばしばしとカウンターを叩き続けるゾロ。
 それをサンジは奇妙な生物を見る目つき(そう、例えるならマリモを観察するような(例えになっていないが))で眺めた。

「~~~~~~~~」

 唸りながらちらりとサンジに目をやったゾロは、細くなっている手首を見つけ、衝動的に思わず口を開いた。
 サンジにして見れば今まで推敲していた言葉がやっと形になったのかというところだが。

「テメェ今…………体重何キロだ?」
「………男の体重に興味があるのかオマエは」

 真面目な顔のゾロに、サンジは引いた態度で一歩後ずさった。
 失言に気付いたゾロは慌てて訂正する。

「あー………そうじゃねぇっ!聞けっ!」
「………だからさっきから聞く体制になってやってんだろうが」

 だんだんと、サンジの据わった目が可哀想なものを見る目つきに変わってきた。
 言いたいことは沢山あるのだが、上手く言えない。
 このままではただの変な奴だ。わかっているのだが言葉が選べない。

「だから……………つまり」
「つまり?」
「………………何というか」
「何というか?」
「…………わかれ!」
「わかるか!」

 自分がけして心配などはしていないということを解らせつつ、それとなく奴のバカさ加減を指摘できる言葉はないものか。

 ゾロはそれからたっぷり三分間は苦しんでから、いきなりばったりとカウンターに伏せて怒鳴った。

「………なんでもネェよ!」

「やっべぇ………マリモの思考回路が全然わからん」



        響。 噂。 NOVEL