戦。




 ばしんっ

 ゾロの振った刀が、馬を狙って放たれた矢を、二、三本まとめて叩き落とした。
 馬の腹を蹴って方向を変え、突進してきた槍の穂先を薙ぐ。
 すれ違いざまに二人の歩兵を斬った。
 血飛沫を避け、馬を走らせる。
 混戦。
 ゾロは敵のまっただ中に突っ込んでいた。
 目指すのはただ一人。

 ゾロの視線の先には鮮やかな緋がある。

 この戦を仕掛けた張本人。南の『緋陽』。
 噂の通り、全身が鮮やかな緋色の布で覆われていた。
 砂塵になびく朱が、目を射る。
 まるでどこかの舞姫のような、優美で豪奢な、しかし鮮烈な衣装。
 黒い馬にまたがり、その首から上は豹の頭だった。
 獣の顔。
 もちろん、豹の頭の皮で作ったマスクをかぶっているのだ。が、遠目には頭だけが豹になっているかのようにみえる。もちろん、太陽色だとかいう髪も、顔も見えない。
 牙を剥くその顔が、こちらを嘲笑っているように見えて、ゾロは刀を握る手に力を込めた。

 さんっ

 息をつく暇もなく襲ってくる数々の銀光。
 ゾロはそれを両手に持った二本の刀で全て受け流し、返す刀で砂に染み込む血を増やす。
 真っ直ぐに敵の大将を狙っているため、敵の濃度が最も濃い。
 緋陽の元に進ませないように、南軍の兵士は必死でゾロの行く手を遮る。
 しかし、ゾロの進みを遅らせることはできても、止めることは出来ない。


 ゾロとエースは、奇襲作戦を敢行したのだ。
 岩山の陰に隠れ、緋陽の軍が近づいてきたところを一気に突っ込んだ。
 普段の戦いなら、それこそこちらの方が数も多く、奇襲などするほどでもない。
 しかし今回は敵の大将がいる。どのような手を使ってくるかも不明のため、エースの提案で短期決戦をもくろんだ。
 ………真っ先に飛び込んでいくのが隊長というところは変わらないが。
 エースはゾロの代わりに、全ての兵を指揮しているはずだ。
 職務放棄と言われるような行動だが、今更だろう。部下達とて、自分で行動できる程度の頭はある。ましてや今はエースがいる。
 圧倒的に優位。南軍の兵士は次々に倒れた。

 ピィィィィィーーーーー!

「!?」

 甲高い、鳥の鳴き声のような音。
 目をやれば、『緋陽』が口に手を当てている。
 指笛。

 そこまで考えたときに、敵の流れが変わった。

「合図かっ!」

 なんの命令かはわからないが、敵が後退し始めた。
 転がるような全速力で、僅かに残った南軍の兵が緋陽の元へと集う。
 ゾロはそれを追って馬を走らせた。

「っ!?」

 突然、馬が高くいなないて、その前足が空を切る。
 振り落とされそうになりながら、ゾロは必死でバランスを取った。
 怯えたように、馬が進むことを拒んだ。この馬を手懐けて以来、こんなことは初めてだった。
 その間に、ほとんどの兵は緋陽の側へと駆け戻っていってしまう。
 奇襲と兵力の差の為か、南軍の兵は三分の一ほどに減少していた。怒ったように大気が震える。
 ちらりと視線を走らせれば、ゾロの後方で、北軍が戸惑ったように棒立ちになっていた。

(様子がおかしい…………!?)

 部下達は敵を追いかけもせず、突っ立ったままこちらを見ている。
 こちらと言うより、彼等の視線が追いかけているのは――
 風に乗り荒れ狂う緋色。怒りの気配。
 ―――囚われている!
 ゾロはくるりと馬を反転させ、駆け戻ろうとした。
 ぴりぴりとした空気がその場に張りつめている。嫌な気配が全身にまとわりついて警報を鳴らしていた。

 ひゅうううううううう―――

 そんなような音を、ゾロの耳は捉えた。
 耳元の風切り音?違う、それなら馬を走らせていた間中びゅんびゅんと鳴りっぱなしで。
 誰かの呼気のような、耳鳴りのような、不思議な旋律を持ったそれは―――


 ざしゅうっ


 突然、砂漠が砂と岩とを吹き上げた。


 驚きに、馬の足が止まる。
 突如として、北軍の兵士は膨大な量の岩吹雪に見舞われた。

「うわぁーーーーーー!!!」
「ぎゃっ!」
「わああああ!!」

 浮き足立つ北軍。
 伏せろ、と誰かの声が響いた気がしたが、瞬く間に全てが砂と岩で覆われてしまう。

「くっ!」

 荒れ狂う嵐の威力に、少し離れた場所にいたゾロでさえ前には進めない。
 錆色の風が、見る間に北軍を飲み込んでいく。

「貴様っ!!」

 ゾロは声を張り上げた。
 振り向いて、豹の顔を睨み付ける。
 アイツがやったのだ。
 ちっ、と飛んできた岩がゾロの頬を掠めた。つう、とこぼれる鮮血。
 この距離でこの威力。
 まともに巻き込まれたエースや、兵達は―――

「貴様ァーーー!!」

 猛然とゾロは駆けた。
 左手の鬼徹がカタカタと鳴る。
 また馬が怯えるようなら、自分の足で走ってでも、行くつもりだった。
 兵の三十人や四十人、自分なら片付けられる。

 ピィィィィィィーーーー!

 怒りに眩んだゾロの耳に、また指笛が響いた。
 南軍が、即座に揃って退却していく。

「逃げるのかっ!?」

 しかし、緋陽だけがただ一人、その場に留まっていた。


 いい度胸だ。


 ひゅうううううううう―――


「何!?」

 轟、と風が吹いた。
 砂が巻き起こり、ゾロは思わず目を閉じる。
 馬が激しく暴れ回り、ゾロはとうとうその背から落ちた。

「!!!」

 流石に、自分の刀で自分の体を傷つけるようなへまはしなかったが、背中を打ち付けてむせ返る。
 のどの奥に砂が飛び込んできた。

「くっ…………!」

 叩きつけられる砂に、全身が圧迫される。


『風を巻き起こし砂を裂き――――』


 ――――本物だというのか!?

 ゾロは唇を噛みしめた。
 ただ吹き荒れる暴虐に身を任せるしかない。
 うつぶせになり、丸まるような姿勢で地面にしがみついた。
 何度か、岩が体に激突したが対抗する手段もない。
 ゾロはひたすら耐えた。
 刀の腕も、鍛えた体も、この力の前では無意味。
 握った拳に痛みが走った。


 そして風が収まり、顔をあげた時。


 もう、そこには緋陽も、南軍もいなかった。
 風と砂と岩がただ存在する砂漠。
 ゾロの馬が、全身に岩を叩きつけられて死んでいる。


 口の中が苦い。
 ゾロの犬歯が、自分の唇を裂いて食い破った。



+++ +++ +++



 夜。
 北軍の兵士は、一人につきひとつの穴を掘った。
 仲間の亡骸をそこに横たえ、砂をかける。

 ゾロは、南軍兵士の死体を、ひとつひとつ見ていた。
 まだ若い男。少年。老人にさしかかろうとしている世代。
 明らかに、徴兵されるべき者達ではない。
 骨と皮ばかりにやせた躰からは、強行軍を強いられてきたことがわかる。
 こんなにボロボロになってまで。

 南は、何を考えている………?

 ゾロは拳をぎゅっと握りしめた。
 手のひらが重い。

 部下が半分、死んだ。
 ここまでの打撃を受けたのは、ゾロには初めてだった。
 奇襲のおかげか、相手の方が割合的にはダメージを受けたが、死者はこちらの方が多い。
 緋陽を取り逃がした。戦は終わらなかった。
 自分は無力だった。

「ゾロ」

 いつものように、後ろからかかる声。
 エースは砂に伏せていたため、比較的軽傷で済んだのだ。

「帰るぞ」
「…………ああ」

 これから北の都に帰還する。
 緋陽についての、報告を。
 そして、心を休ませる―――次の戦いに向かって。
 常勝組の苦戦は、北の国の民にとって大きな心理的ダメージになるに違いなかった。

「酒が飲みてぇーーーー」

 ゾロは、伸びをしながら夜空に向かって叫んだ。

「美人の酌でな。『エリカ』に行こうぜ?」
「アイツが美人ってタマかよ……」
「美人だよ」

 にやけながらエースがゾロの肩をばしばしと叩く。
 眉を寄せて、ゾロは身を翻した。
 エースは苦笑いを浮かべて歩き始めた。




        砂。 響。 NOVEL