And Then




 シトロスの海軍支部。その、屋上。
 冷たいコンクリートの床。それだけ。
 手すりも、壁も、天井も、何もない。
 たった今登ってきた階段が、あるだけ。

 見えるのは、青い空。
 感じるのは冷たい空気。
 野ざらしになってくすんだ床の固い感触。

 まるであつらえたような場所。

「―――アンタがロマンチストだったとは、知らなかったな」
「別に、邪魔が入らないから良いと思っただけだ」

 支部までサンジを連行した後、ネルガは部下を全て下げさせた。
 普段逆らったことのない部下達も、この時ばかりはネルガに反対したが、最終的には引き下がった。特に班長達は、最後まで粘ったようだが。

『邪魔する奴は、例えお前達でも、斬る』

 この言葉に、とうとう折れた。
 それは、命惜しさにではないのだろう。
 その様子に、サンジはあるものをだぶらせた。

 ………気付いて、いるのか?




「お前を殺して、俺の復讐は終わる」
「………………………………」

 サンジは、ぼんやりと空を眺めた。
 偽物臭い、空。

 色々と、余計なものが浮かんでくる。



 …………想い出の中の赤い瞳は、優しい色をしていた。
 受け止めてくれた腕。
 憧れていたんだ。

 ………手ひどい裏切り。

 忘れようとしていた。
 忘れたかった。

 あの日々の。


「俺は、アンタが好きだったよ………」


 聞こえないように、呟く。
 びょうびょうと鳴る、風の音に紛れてその声は吹き散らされた。

「立っているのも辛いだろう」
「んなワケあるかバーカ」

 強がりと言うのも馬鹿らしいほどの見え見えの嘘。
 失神したいのに痛みでそれもできないほどの状況。
 痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェんだよ畜生。
 ……死んでも言わねェけど。
 脂汗が背中を伝わるのがやけにリアルにわかる。
 ――――吐きてェ。

「一撃で、終わらせてやる」

 その言葉に、嘘はない。
 今のサンジでは、相手にもならない。

 ネルガは斬首刀を抜いた。
 体勢を低くし、地面と平行に刃を構える。

 しゃんっ!

 銀の光が疾った。

 ――――霞んだ視界では、追いきれない。

「っ!」

 ぐいっ、と、無理に体をひねった。
 ほとんど、勘。

 しゅっ

 切れ味の鋭い刃が、肉を薄く削る。
 ………死んで、ないよな?
 馬鹿な問いが、頭に浮かぶ。
 がむしゃらに足を振った。
 ………………もちろん、当たるわけがない。


 ぱっ、と空中に赤い花が散った。


 ネルガが、少し眉をひそめた。
 避けられたのが、少し意外だったから。
 ぶん、と刀を一振りする。
 サンジの血と脂が、べしゃりと地面に落ちた。

 呼吸をすると、何処かが擦れて痛い。
 歯を食いしばって、サンジは、ネルガに向き直った。

 無言で構え直すネルガ。


 …………それはもう、攻防とは言えなかった。
 それから何度かのやり合い。
 動いただけで、血を吐くサンジ。
 目に見えて鈍る動き。
 足すら、ふらついている。

 ………もう、いい。

 ネルガは、すたすたと無造作にサンジに近づいた。

 ひゅん

 袈裟がけに振り下ろされる、どうということはない一撃。
 そんな攻撃も避けられない状態、と判断した為だ。

 スーツが裂ける。

「がっ………!」

 即死の筈の攻撃は、肉を切り裂いて終わった。
 直前に、跳んで間合いを取ろうとしたからだ。
 落ちるサングラス。

 …………何故だ?

 ――――――もはや、このまま放っておいただけでも、死ぬだろう。

 荒く、しかし細い呼吸。
 ……………耳障りだ。

 ネルガはサンジの首を跳ねようと、片腕を動かした。

 ひゅっ

 一筋の線としか見えない、太刀筋。

 コルクの栓のように、抜ける頭。
 ……………何故かイメージは現実にならない。


 サンジはその一撃を、床にはいつくばることで避けていた。
 ………自分から、そんな惨めな体制をとるのか。

 ―――というよりは、ただ単に崩れ落ちたのかも知れない。
 ネルガは溜息を吐いた。
 はいつくばる、痩身。
 いつも、こんな姿ばかり見ている。

「無様だな………」

 無意識に、ネルガの唇が動いた。
 立ち上がることも既に出来ないだろう、自分を殺しに来た男。

 このまま刀を突き刺すだけでいい。

 ネルガは刀を振り上げた。

 これで、全て終わる。



 振り下ろす。


 ざんっ!


 肉を抉る音。
 ――――心臓を貫く筈の斬首刀は、サンジの肩の肉をこそぎとった。

 びしゃびしゃと、ネルガの頬に吹き上がる血。

 ………どうやら、渾身の力を込めて体をひっくり返したらしい。
 もう、動けない筈なのに。

 何故。
 何故。

 ネルガの唇がわなないた。

「何故」

 もう、終わりは決まっているのに。
 もう、苦しまなくてもいいのに。

 どうして、大人しくしていないんだ?
 どうして、余計に苦しもうと、する。


 サンジの腕が、床を掻いた。
 震えるように足が動いて、蹴り上げてくる。

 ネルガは、避けなかった。
 ………当たったところで、何の問題もないから。


 それ程までに、弱っている。


 サンジは、立ち上がろうともがいた。
 身をよじる度に、広がっていく血溜まり。

 その、蒼い目が。
 閉じられることはなくて。

 ……足掻かない方が、辛くないのに。

 どうして、力を抜かない。
 どうして、まだ。

 惨めな態度は嫌いじゃなかったのか。

 今にも死にそうなくせに。
 どう転んだ所で死は避けられない状況で。

 何故。


 何故、目を閉じない!


 何故そんな、目をするんだ…………?


「何故だ………………?」

 ネルガは呻いた。


「何故、避けようとする?」
「なんで足掻くんだ」


「もう、そんな演技は必要ないだろう………!!」




      BACK   NEXT NOVEL