Silly Boy




 八日目。
 チョッパーは已然としてサンジのベッドの側に張り付いていた。
 驚異的な回復力で、何故か傷はどんどん治っている。
 傷だけが。
 目を、覚まさない。

「どうして……………」

 医者として言わせて貰えば、サンジの回復力には一種異様なものがある。普通の人間の範疇には収まらない(この船には後二人ほど化け物並みの体力保持者がいることを、チョッパーはまだ知らなかった)。
 しかし熱も少し収まり、危険な峠は越えたと思うのに、いっこうに目覚める様子がなかった。うわごとなども言う様子がない。
 チョッパーは、気分転換に甲板に出ることにした。
 出来る限りの手当は尽くし、もう何もすることがない。
 正直、見ているのが辛かった。
 何もできないのが悔しかった。

 チョッパーはぴょんと椅子を降りると、とぼとぼと部屋を出ていった。




 もう大分慣れてきた足下の揺れ。
 潮風に微かに混じる蜜柑の爽やかな甘い匂い。
 心とは裏腹に青く晴れ渡る空。
 きつく熱い日差し。
 誰かの興奮したような息づかい。
 ………………?
 何だそれ。

 チョッパーは辺りを見回した。

「………………なんだ、アイツか」

 上半身裸に腹巻きを巻いた男が、右手の人差し指で、逆立ちしたまま腕立て伏せをしていた。数えている回数は、すでに八千回を越えている。
 ものすごい棒を振り回す人間なのだし………と、チョッパーは自分を無理矢理納得させた。

「……………………」

 ぼーっと、何となくその様子を眺める。
 サンジとは全然違う人間の雄。
 肌の色も、筋肉のつきかたも、動作も、声も違う。似ているのは目つきくらいか。
 色々な人間がいることは知っていたが、それにしてもサンジとは対極にいるような感じの男だ。
 だから、サンジとはウマが合わないのかも知れない。
 チョッパーは、まだあまり話したことこそないけれど、ゾロのことが嫌いではなかった。
 迷子になったときの事とか、サンジを担いで飛び出してきたときの事。
 悪い人間ではないと思う。

「8759…………8759…………8759…………」
「……………………?」

 先程からよく聞いていると、回数が8759回から動いていない。
 じっ、と観察して見れば、目の焦点がどことなくあっていない。動きも機械的だ。

 チョッパーは勇気を出して、その暑苦しい物体に近寄った。
 サンジの日頃の教えとして、レディーの嫌がるようなものは、目に触れる前に出来るだけ排除しろ、というものがあったし。
 その基準としては、1、汗臭いもの。2、見苦しいもの。3、雄臭いもの。4、鬱陶しいもの。5、ムサいもの。6、とにかくサンジが気に入りそうにないもの。
 全て当てはまっている。
 純粋で忠実なトナカイは、教えを守るべくゾロの前に立った。
 今までそんなことをしている暇はなかったのだが、手が空いている今、サンジが起きたときに、少しでも周りの環境が良いものになるように、との努力である。

「…………オイ」
「っ!?」

 ゾロは驚いてバランスを崩した。
 ある事を考え込みすぎていて、全く周りの状況に気付いていなかったのである。
 普段なら気配には敏感で、寝ているときはいざ知らず、近寄ってくる者に気付かないことはないのに。

「……………何だ、トナカイ」
「お前、水を浴びて日陰に行け。日射病になるぞ。今も目が虚ろだった」
「……………………」

 ゾロはぼりぼりと頭を掻いた。
 どっかりと座り込むと、あさっての方を向きながらチョッパーに話しかける。

「………お前、暇になったのか?」
「……………?」
「あの野郎が起きたとか?」
「……………!」

 視線を空からトナカイに戻したゾロは、失言に気付いた。
 青い鼻のぬいぐるみトナカイは、つぶらな目に涙を溜め始めている。

(つまり、禁句だったワケか………)

 この場面ではゾロはまるきり悪者だ。
 別に、悪気があったわけではないのだが、このトナカイはせっぱ詰まっていたらしい。
 気を紛らわすために、自分に話しかけてきたのだろう。
 何とはなしに自分の希望を口にしてしまっただけだったのだが、このままではこのトナカイは泣いてしまう。後五秒もしないうちに。

「…………………………」
「…………………うっ、うっ、ぐすっ」

 何の手段も浮かばないうちに、トナカイは泣きだした(大体、ゾロは人を慰めるとかいうキャラではないと自分でも思っているので、無駄な努力だった)。
 誰が見ても心を痛めるであろう、この前とは逆の静かな泣き方。
 その様子を見たゾロの頭に、ぴん、とひらめいたものがあった。

「お前、あの野郎が寝込んでから一回も泣かなかっただろ?」

 こくり、と頷くチョッパー。
 確かに、今までは手当に忙しく必死で、そんなことをしている余裕はなかった。

「………耳元で、泣きながら名前呼んでみたらどうだ?」
「えぐっ…………?」
「いいから」

 ナミがこの前言っていたことを、ふと思いだしたのだ。

『変な騎士道精神、持ってんのよ』
『カッコつけさせてくれって………』
『それで自分は死にそうな思いしてるのに』
『バカみたい』
『…………………バカよね』

 多分、そんな性格からいえば。
 守るべきものの為なら、地獄のふちからでも帰って来るんじゃないだろうか?
 ―――ものすごくプライドも高いみたいだし。

(…………なんで俺は、野郎の性格判断なんかしてんだろうなぁ)

 ふう、と溜息を吐いてゾロはチョッパーに言い聞かせた。


「目ェ覚まさなきゃ死んでやるって、脅してみろ」



+++ +++ +++



「サンジーーーーーー!!」

 響きわたるトナカイの絶叫と泣き声と。

「サンジ君っ!」
「よかったなーっ!」

 何事かと、部屋を覗き込んだクルーの歓声が。
 眠りに就こうとしていたゾロの耳にも聞こえてきた。



「……………………そんで、マジで起きんのかよ」

 ゾロは大きく息を吐いて、少し笑った。
 ――――その根性は、少し気に入ったかも知れない。




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