Hard, Dry
「復讐者………………」
驚きに、ネルガの目が軽く見開かれ、完璧な鉄仮面が一瞬崩れる。
思わず口を滑り出た言葉は、どうやら大正解だったらしく、サンジの髪を掴む手から力が抜けた。
支えていた力がなくなり、サンジは再び床との距離をゼロにする。
「アンタ………俺と、同じ………」
かはっ、とサンジは血を吐く。
ネルガはすぐにもとの無表情に戻り、斬首刀を鞘に戻した。
少しの沈黙の後、静かに言葉を吐き出す。
「そうだな。俺は復讐者だ」
サンジは力尽きたのか、だらりと床に横たわったままだ。
酷い怪我だとは思う。
憐憫の情……………無いわけではないかも知れない。
しかしそれよりも強いのは歓喜と暗い満足感。
ネルガは、薄く唇を舐める。
そう、これも、復讐。
「復讐だよ………ゼフを殺した。殺意と憎しみを隠すのは、辛かった………準備が出来るまで、ずっとずっと………奴の隣で笑った。奴の片腕として役に立った。
ゼフの宝を奪った。オールブルー……砕いても良かったが、バラバラにして特に汚い悪党共に売り払った………争いの種になるように。汚れるように」
じりじりと胸を焼く昏い想い。
まるで恋情のようにも取れる執拗な執着心。
「そして、ゼフの大切なものを壊した」
復讐の集大成。
ちっぽけな罪悪感を捻り潰してまだあまりある。
海賊狩りになりたかったわけではない。
海兵になりたかったわけではない。
復讐者に…………なりたかったわけではない?
ドロドロに溶けた心。
底なし沼のように、表面は冷たく、平ら。
「お前だよ。お前は醜い心を持つようになった………俺と同じ、復讐心だ。
俺が憎いだろう?殺したいだろう?
それだけが全てだろう。
空っぽだ、何もない。わかるよ………空虚と、殺意。それだけだ。
お前、俺がいなくなったら人生の目的すらなくなるだろう?
無意味。お前は復讐しか持っていない。他には何もない。
俺と同じだ。
ゼフが死んだ一因は、お前だ………とても感謝している。
本当は、俺以上に自分が許せない筈だ。
虚しいな。
苦しいだろうな。
お前を苦しめて汚して、壊して、殺すよ。
お前自身を憎んでいるわけじゃないがな………お前が苦しめば、あの世でゼフも苦しむ。
自分の息子代わりが、自分のせいで自分を殺した奴と同じ所に墜ちるんだから」
サンジは呻いた。
そこにあるのは限りなく純粋な赤い眼。
自分が何をしているのかきちんと理解し、受け入れ、迷いも何もない。
何者も壊せない、固い意思がそこにある。
本人がいなくなっても、いまだ衰えない憎悪。
「何で………そこまで」
「ゼフを憎むのか、か?簡単だ……それもお前と同じ。ゼフが、俺の全てを奪った。そうだな……それも、丁度お前と同じくらいの歳だった。奴は、覚えてはいないだろうがな。海賊にとっては、略奪行為は日常茶飯事だ。
奴が襲った多くの船のうちのたった一つに、たった一人の俺の大切な人が乗っていた。たったそれだけだ。
奴にとってはな。
記憶の隅にも残ってないだろうよ。まして、そのせいで自分が死ぬ羽目になるとは夢にも思ってなかったんじゃないか……?
お前と会って、ずいぶん丸くなっていたようだが……俺は忘れない。
奪われた者はけして忘れないよ。奪った者は自分は奪われるとは思っていないのかもな……だから、奪ってやる。奪ってやった」
ネルガは自分から、この道を選んだ。
サンジの気持ちが一番わかるのはネルガだ。サンジもネルガの気持ちがわかるに違いなかった。
「俺のやっている事は、俺がされた事。わかっている。
だが、それを無意味だという奴がいたら殺してやる。
………俺も、悪党だ。地獄に堕ちるだろう。
でも俺の人生の意義は、俺にしか決められない」
「俺は後悔しない」
ネルガはくるりと振り返ると、またこつこつとブーツを鳴らして去っていた。
残ったのは、暗闇と無音と血臭と……名前の付けられない何か。
サンジは、ゆっくりと瞼を閉じた。
泣き喚いたら楽になるのかも知れなかった。
――――瞳の奧で、何かが砕けた音がする。
+++ +++ +++
ベルの屋敷の、正門跡。
蹴破られた扉が、月明かりに照らされている。
負傷したガードマン達はすでに病院に運ばれ、ようやく静けさが戻っていた。
その前で、何やらうごめくいくつかの影。
「よし、オマエら準備はいいか?」
「うんっ」
「おうっ」
「サンジは多分、地下一階の牢屋にいるって、ナミが言ってた」
「うんっ」
「おうっ」
「ええと、それから………メモどこだ?」
人影の一人がばたばたと自分の体を叩く。
「あった!それから………一人が屋敷の中に入って、サンジを助け出す。他の奴は庭でなるべく大きな騒ぎを起こす………んで、サンジを助けたらすぐ逃げる。はぐれたら、ゴーイングメリー号に帰ってくる………後を付けられたら罰金20万ベリー……お宝見付けたら確保らしいぞ」
「うんっ」
「いや………なんか余計なこと書いてないか、ソレ」
人影の一人が首を捻る。
「うーん、まあいいか!じゃ、誰が潜入するんだ?」
「俺っ!」
「お、俺は退路を確保しておくぞっ!オマエらの為になっ!」
「…………あれ、そういえばゾロは?」
きょろきょろとみんなで辺りを見回す。
突然、ぱっ、ぱっ、ぱっ、とベルの庭と屋敷に灯りがついた。
そして響く喧噪。怒鳴り声。
「賊だーーー!!」
「何ィ、またかっ!?」
「刀を持ってる、応援頼むっ」
人影は顔を見合わせた。
「…………………張り切ってるなー、ゾロ」
「さすがに協調性、ゼロだな」
「俺が助けたかったのに…………」
「ま、ゾロに任せ解けば心配ないぞ、チョッパー
+++ +++ +++
むせ返るような血の臭い。
ゾロは無意識に強く眉を寄せた。
振り切るように刀を振る。
鉄格子が、まるで雑草か何かのように斬り払われた。
盛大な音がしたが、相手はピクリとも動かない。
全身、いたるところに切り傷、刺し傷、痣がまるで模様のように張り付き、シャワーを浴びたように血に濡れている。特に足の怪我は酷く、申し訳程度に巻かれている包帯に、白い部分は残っていない。痛々しいその様子は、拷問の苛烈さを示していた。
ゾロは奥歯を力を込めて噛みしめた。ぎりぎりと音が響く。
思わず握りしめていた拳を意識して開き、足早にサンジに近寄る。
相手の呼吸を確認すると微かな息が手のひらに当たる。ゾロは知らずに溜息をついた。
「一個貸しだからな………」
ゾロは力の抜けたサンジの体を担ぎ上げた。途端に血がゾロの服に染み込んでいくその感触に、思わず舌打ちする。
肩に担いでいるため、近くにある顔を覗き込む。
ぺちぺちと音を立てて頬を強めに叩く。
「………………………」
サンジは微動だにしない。
ゾロはしばらく沈黙すると、思い切り侮蔑を込めた声で、サンジの耳に囁いた。
「―――まさかコレくらいで死ぬタマじゃ、ねェだろ?」
「…………………………………当たり前だクソ野郎」
小さく返ってくる悪態に、ゾロは思わずサンジを落っことしそうになった。
まさか効果があるとは思っていなかった。
血の気の失せた顔と唇。
瞼はぴったり閉じられたままで、これ以上無いほど完璧に気絶しているというのに。
相当な負けず嫌い、ものすごいプライドの高さである。拷問もこの性格が災いしてエスカレートしたのだろう。そして、それでも………きっと、折れなかったのだろう。
チョッパーのことも、GM号のことも、何もしゃべらなかったに違いない。
チョッパーやナミははいざ知らず、ゾロやルフィに罪を着せても良かったはずだ。
―――――悪党なら。
「…………………ま、それくらいじゃないとな」
ゾロは、ぼりぼりと頭を掻いて、サンジを担ぎなおした。
体重そのものは軽いはずのに、やけに重たく感じられた。
+++ +++ +++
朝の四時。
ベルはとうに過ぎたいつもの就寝時間を思い浮かべて舌打ちし、荒々しくベッドに潜り込んだ。ベルの私室はこれでもかというほど贅沢に作られ、ぱっと見ただけではわからないような細工がいくつも施されている。
身のほとんどが沈んでしまう柔らかな布団に首まで埋まり、さて眠ろうと眼を閉じた瞬間、ベルの部屋の扉が幾分早い調子でノックされた。
「何だ」
睡眠を邪魔され、不機嫌に応じるベル。
ドアがかちゃりと音を立てて開く。隙間から、空気と共に流れ込んできたのは血の臭い。
ベルは顔を上げた。
隙間から見えたのは、冷たく細められた魔獣の眼。
ベルの歯が、勝手にカチカチと鳴った。
「……………お前か?この野郎をこんなにしたのは」
低く抑えられた声。
のどを絞められたように、呼吸が出来なくなる。
扉がゆっくりと、完璧に、開く。
次の瞬間。
「ひっ」
ざしゅっ
煌めく白刃。
それを目で追うことも、悲鳴を最後まであげることもできず、ベルの意識は途切れた。
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