Hard, Dry




「どうだ。何か吐いたか?」

 ベル・ゴーディーは血塗れで横たわるサンジを蹴飛ばすと、横の部下に訊いた。
 鉄格子を挟んだ向かい側の壁に、ネルガが寄り掛かって目を閉じている。

「それが………これ以上やると死んじまうってのに、全然吐かないんです。痛覚が麻痺してるってわけでもないのに………大体、まだ生きてるってのも不思議なのに」
「生意気だな。オイ、起きてるか?」

 ベルの短い足が、サンジの頭を蹴り上げた。乾いた血で茶色く染まった金髪が、ゆっくりと持ち上げられる。サンジの瞼は腫れ上がり、目が半分つぶれていた。
 痣や血で限界まで汚されているというのに、その顔にはまだ不屈の怪盗の優美さがみえる。その蒼く鋭い、未だ衰えない眼光に、ベルは飲まれて凍り付いた。
切れた唇から、途切れ途切れに侮蔑的な言葉が吐き出される。

「臭ェ、足…………近づけんな」
「っ!」

 ごきっ

 一瞬竦んだことを恥じるように、ベルはサンジの頭を掴むと、壁に叩きつけた。
 そのまま何度も何度も同じ事を繰り返す。
 抵抗する体力のないサンジはされるがままだが、瞼を閉じることなくベルを睨み付けていた。

「まだ自分の立場がわかってないようだな!?思い知らせてやると言ったろうが!」
「手ェ………放せ。ブタ」

 屈しないサンジの眼。
 深く蒼い魔性の瞳。
 その輝きを、ベルは半ば魅入られたように凝視した。
 下卑た笑いを浮かべ、サンジの髪を掴んだままその顔を覗き込む。

「………ダイヤの代わりに、貴様の目を貰うか。こそ泥には勿体ない………ホルマリン漬けにしてわしのコレクションに入れてやろうか?それとも、頭の皮を剥いで飾っておくかな、その金髪も欲しい」
「…………………………」

 サンジが、軽く目を伏せた。
 ベルはやっと相手が怯えてひれ伏したものだと思った。
 唾を飛ばしながら言葉を続ける。

「ダイヤを返せ。そうすれば、処分を軽くしてやらんでもないぞ?………ああ、わしの愛玩道具になるなら命は助けてやる事にしようか。お前くらいイイ顔してれば、わしは男でもイけるし、な?態度によっては可愛がってやるぞ?」
「………………………」

 サンジは間近にある脂ぎったベルの顔を、汚物を見るように眺めた。
 血の混じった――というよりはほとんど血――唾をその顔に吐きかける。
 にっこりと綺麗に笑い、それとは反対に侮蔑と軽蔑を程良く混ぜ込んだ言葉を紡ぐ。

「―――Go to hellだぜクソ野郎」

 ベルの顔が、いっそ芸術的だと言っていいほどに歪んだ。



+++ +++ +++



 ベルは飽きるまでサンジに折檻を繰り返した後、疲れたのか自分の部屋に帰っていった。
 ベルの部下もそれについて去り、その場にはネルガただ一人が残っている。
 ネルガの部下も、既に解散した後だった。

「なかなかの根性だな。ゼフ譲りか」
「……………………………」
「流石に、もう口も利けないか?」

 ネルガは冷たい目で、ボロ雑巾のようになったサンジを見下ろした。
 サンジはピクリとも動かずに、冷たい床に倒れ伏していた。
 死なないようにおざなりな処置はしてあるようだが、傷口が熱を持って今は地獄の苦しみだろう。拷問が一区切りされたのが、少しは救いか。
 牢屋には吐き気がするような血臭が立ちこめていた。

「安心するんだな、お前は裁判を受ける必要はない―――処刑だ。誰が止めようと、俺がそうする。ベルの愛人になど、ならせない」
「………………………………」
「俺が殺す」

 く、とサンジの指が曲がった。その手には既に、爪が一つもついていない。
 床を引っ掻くようにして、その手に力がこもる。
 ずる、とサンジの頭が動き、ネルガの眉が少し寄せられた。

「まだ動けるのか、タフだな」
「殺……す…………」
「そのざまで?」
「…………………ぜ、ってェ……」

 そこまで言うと力尽きたのか、がくり、とサンジの頭が落ちる。
 ひゅーひゅーと鳴る細い呼吸を、ネルガは耳を澄ませて確認した。
 鉄格子を開け、ブーツをカツカツと鳴らしてサンジに近づくと、髪の毛を掴んでぐいと持ち上げる。サンジは歯を食いしばってうめき声をかみ殺した。
 目だけは変わらず憎悪に光っているのを確認すると、ネルガは唇の端をつり上げた。凄惨な嗤いだった。
 サンジの唇がわななく。

「どうした、言いたいことがあるのか」
「………………………………」

 唇が動くが、サンジの声帯はもう、十分に空気を震わせられないらしく、何を言っているのかわからない。
 微かな声を聞き取るために、ネルガはサンジの口元に耳を寄せた。

 がっ

 途端にものすごい勢いで閉じられる口から、ネルガは素早く頭をどかす。
 一瞬でも反応が遅れれば、耳を根本から喰い千切られていただろう。

「危ないな」

たしなめるように、そう、まるで小さな少年に対するようにそういうと、ネルガは逆にサンジの耳を噛んだ。血が出るほど。
 サンジの血が付いた唇をぺろりと舐める。

「…………………テ、メ」
「いい眼だ」

 ネルガは床にサンジの血が混じった唾を吐くと、斬首刀をすらりと抜いた。
 その刃でサンジのあごをくい、と持ち上げる。
 サンジが少しでも動けば、その切っ先は喉に食い込むだろう。

「この場で斬り殺してやろうか?それともゼフと同じ死に様の方がいいか」
「!」

 冷たい赤い瞳がサンジを見下ろす。
 背筋を駆け登る悪寒。
 喉元に突きつけられた凶悪な刃のような視線。
 一見、何の感情の動きも動揺もなく、プラスチックのようにすら見える。

 サンジはその中に、見慣れた光を見た。

(何だよ、コレ………)

 霞む頭と激痛の中で、必死に記憶を探る。
 これと同じ瞳を、どこかで見た。いや、一度ではない……何度も。
 どこで見た?
 凍るように静かに燃える焔。
 波一つたたない、一見凪いだように見える海。深さ数千メートルの底。
 一度に燃え上がるのではなく、心の奥底に固定されたままくすぶり続ける火種。
 狂気にも近く人格に食い込んでいるくさび。

 コ・レ・ハ・ナ・ン・ダ・?

 い………?違う。いつも見ているのは―――

(ああ…………)

 見慣れているはずだ。
 毎朝、鏡の中で、儀式のように確認するこの視線。
 これは。
 この眼差しは。

「復讐者………………」




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