Selfish Prince



『あいつを連れていってくれよ』
『笑えるほど、意地っ張りなんだ』

『命張って、強がってんだ』




   +++ +++ +++



 シトロスの街の北西の、月の光が見えない路地。
 夜空を叩く複数の銃声に、チョッパーは、ピクリと耳を動かした。
 よく見れば、周りにはもはや通行人もいない。
 いつのまにかメインストリートからかなり離れた場所に来てしまった。
 それなのに、騒ぎが聞こえる―――銃声。銃声?

「どこ」

 チョッパーはぶるぶると辺りを見回した。
 不意に、脳裏を過ぎった最悪の映像。
 それはチョッパーの精神に揺さぶりをかけていた。

「どこ」

 かちかちと前歯が鳴っている。
 のどの奥に石を詰め込まれたような。首筋に鋭利な刃物が当てられているような。
 背筋を、悪寒がはい上がった。

「ねぇ、どこにいるの。返事してよ」

 誰も側にはいないのに、語りかける。
 不安。
 無意味な言葉が次々と吐き出された。
 止められない。

「どこ」
「どこ」
「この先にいる?」
「元気だよね?」
「どこ?」
「さっきの―――全然、関係ないよね?」

 ――――また、銃声。
 それだけで、チョッパーの混乱は深くなる。
 もし、探し人がそこにいたら。

 血に濡れる金髪。虚ろな蒼。
 嫌だよ。

「ファイは強いよね?」
「まだ俺の手の届くところにいるよね?」
「ねぇ、さっきの、ファイの騒ぎじゃないよね?」
「ねぇ」
「ねぇ」
「ねぇ――――」

 ――――強くだって、なるから。

 はっ、とチョッパーは目を見開いた。
 そうだ。自分はそう言った。
 それなら、こんな所で泣きそうになっている場合か?
 想像に怯えて金縛りになっている場合か?

 俺は守りたいんだろ?
 だから強くなるんだろ?

「そうだ………!」

 俺は男だ。
 守りたいものを、ちゃんと守る。
 貴方が教えてくれたこと。

 だっ

 チョッパーは、銃声のした方向へ駆け出した。
 その耳はもう、銃声ではなく駆けている大多数の足音を捕らえていた。

 ざっ

 その一団の前に回り込んで立ちふさがる。

「な、何だコイツ」
「…………トナカイが、どうしてこんな所に」

 海軍の制服を着た男達が、チョッパーを見て、一瞬立ち止まる。
 チョッパーはそのうちの、リーダー格らしい一人を見付けて話しかけた。

「お前ら、何で急いでるんだ?」

「しゃべった?!」
「悪魔の実か!?」

 どよどよと蠢く男達をリーダーらしい男は片手で制すると、

「オレ達は急いでいる。お前の正体もわからん。道を開けろ」
「銃声がした。町中で発砲するなんて、余程のことだろ」
「もう一度言う。オレ達は急いで――――」
「理由を」
「――――突破しろ」

 男の声と同時に、海兵達は一斉に動いた。
 チョッパーの横をすり抜け、先に進もうとする。

「腕力強化」

 瞬く間に大きくなったトナカイに、海兵達は一瞬怯む。

「化け物か」
「――――そうさ。手荒なマネはしたくないんだ、理由を」
「………詳しく説明している時間はない。一刻も早くミスターベルの屋敷に向かわなければいけないんだ。どいてくれ。オレ達は海兵だ、この街の治安を守る為に動いている」

 男の目は真摯だった。
 無表情だが、高圧的でも、傲慢でもない。暴力に訴えようとするわけでもない。
 忠実に命令を遂行しようとしているだけ。
 邪魔な筈のチョッパーを無理に傷つけようともしない。
 化け物だと知って襲いかかってくるわけでもない。

「どいてくれ」

 ただの、頼みだった。
 しかし、チョッパーにも確かめたいことがある。
 杞憂ならば、それでいいのだが、ベルの屋敷。
 ますます繋がりが深くなって、チョッパーは意地でも詳細が知りたかった。
 無礼なことも、相手に迷惑をかけていることも知っているが、それよりも確かめたいことがあるのだ、引くわけにはいかない。

「治安……それって…………賞金首の捕獲とかじゃないよね?」
「―――――――」
「Cheeky Jesusの捕獲とかじゃないよね!?」
「貴様―――」

 その名前を聞いた途端、男の目から戸惑いの色が消えた。
 すらりと腰から剣を抜き、構える。

「奴の仲間か」
「そうだよ」

 即答。

「確保」

 その言葉と共に、海兵達が一斉にトナカイに殺到した。




   +++ +++ +++




 耳をつんざくような轟音。轟音。轟音。
 ナミはしばらく、それが銃声だとは思わなかった。

 激しく揺れる視界。
 耳元で風が唸った。
 衝撃。
 再び衝撃。
 いきなりの振動に、折れた足に痛みが走る。

「くぅっ」

 ぎゅう、と抱きしめられたのだけはわかった。
 視界は一面の、黒。
 背中が、地面に触れている。

 何が起きたのかわからなかった。
 混乱したナミの頭が情報を整理していく。
 胸の辺りと足が酷く熱いのと、それは液体が伝っているからだという事。
 鼻を突く鉄錆の臭い、つまり血の臭いが間近でする事。
 上に誰かが覆い被さっていて――誰か?それは決まっている――しかも力が抜けて弛緩しているという事。
 それでもその手が自分をしっかり抱いているという事。
 黒スーツしか見えないという事。
 何故だか泣きそうになっているという事。
 その血は彼のものだろうという事。
 ガードマン達の雄叫びが聞こえる事。
 心臓がうるさく鳴っているという事。
 足音が近づいてくる事。
 とてつもない不安感がある事。

 ナミは、力を振り絞ると彼の腕から抜け出した。
 力無く崩れ落ちる、彼の躰。
 ずるりと頭が落ちて、地面に落ちそうになるのを慌てて受け止める。
 髪だけがきらきらと輝いている。
 閉じた瞼。
 血の気の失せた顔。

 大胆不敵な怪盗が、血塗れになって、動かずに倒れている。

「あ……………」

 撃たれたのだ。ナミは唐突に理解した。
 自分にちっとも怪我がないことも。
 多分、身を挺してかばってくれたのだということも。

 駆け寄ってくる警備員達の足音には気付いていた。
 顔を上げる気はなかった。
 ナミは彼をかばうように、その頭を抱きしめる。
 なんということをするのだ、この男は。
 ちっとも、優しくなんかない。
 そんなことされたら、どうしようもないじゃないか。
 後で、説教してやるんだから。



 その背に、容赦なく警棒が振り下ろされる。


 何かが砕ける、鈍い音がした。




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