Moonlight In Bullet

 ドアを二、三度叩く音がする。
 答えないでいると、しばらくの躊躇の後、がちゃりと扉が開いた。

「ネルガ大佐」
「……………………」

 ネルガは、後ろからかかった部下の声にも振り向かず、窓の下を見下ろしていた。
シトロスの夜景。昼間とはまた違った明るさが、無駄に振りまかれている。
 流石に海軍支部の周りでの騒ぎはあまりないが、今日もどこかで面倒事が起きているのだろう。見回りをさせてはいるのだが、どうもそれが減る様子はない。
 ベルの屋敷の周りでは、あまりそういうことがなかった。年中無休のガードマンのおかげか。それとも圧政のおかげか?あの辺りは人通りまで少ない。

「大佐?」

 全く応答をしない上官に、いぶかしげな声をかける。
 ネルガは声が聞こえていないかのように、微動だにしない。夜景を見下ろし続けている。
 今日は、綺麗な月が出ていた。ネオンの派手さに気を取られ、見落としがちになるが。

「……………………」
「大佐」

 ネルガはふう、と息を細く吐き出すと、ゆっくりと振り返った。

 刹那。

 ずしゃんっ!

 一挙動で距離を詰め、同時に抜いた斬首刀を部下の頭の上から叩きつける。
 まさに一瞬。
 木のテーブルが、縦にすっぱりと割れた。
 血がしぶく――と思われたが、そこには既に相手の姿はない。
 ネルガは抜き身の刀を手にしたまま、ゆっくりと振り返る。
 ただの一兵卒に過ぎない筈の海兵は、一瞬のうちに横に跳びはね、三角飛びの要領でソファの上に着地していた。

「――――い、いきなり何をするんですか、大佐!?
 …………なーんてな?」

 空々しいまでに一瞬で変わる口調。
 ぺろり、と上唇を舐める赤い舌。

「……………なんでわかった?こっちを見もしないうちに」
「俺の部下はノックなどしない」

 緊急時には慌てて飛び込んでくるため、そんな物はない。
 緊急時以外では入ってくるなと言ってある。
 それ以前に、ネルガは自分の部下の一人一人を、顔も声も全て完璧に把握していた。

「―――そりゃ厳しい」

 ざっ

 言うなりソファを蹴って、弾丸のように向かってくる男。
 ネルガは、斬首刀を薙ぎ払った。

 びゅっ

 直前で飛び上がってかわす男。
 天井を蹴り、加速して落ちてくる。

 がごっ

 ネルガの横っ面に、つま先が入った。
 吹き飛ばされるが、空中で体制を立て直し、両足で壁に着地する。
 跳ね返るように、男のもとへ跳ぶネルガ。
 斬首刀の切っ先が、男の首を掠める。
 返す刀で肩を切り裂こうとする。
 男の手首が素早く動いた。
 ネルガはその一撃を止め、素早く斬首刀を引き戻した。

 きぃん!

 鋭い金属音。
 目を狙って投げられたナイフを、ネルガが刃で叩き落としたのだ。
 その間に男は地を蹴り、間合いの外に逃れている。

「………やっぱり蹴りか。強くなったな」
「あァ…………テメェをぶっ殺すためだ感謝しろ」

 ネルガは血の混じった唾を床に吐き出した。
 口元を拭い、斬首刀を肩に担ぐ。
 視線だけで殺せそうな、濃い殺気の混じった蒼い瞳を見つめ返し、おかしそうに笑う。

「決着を付ける前に、いいことを教えてやる」
「なんだよ」
「お前にはまだやることがあるんだ……ベルがお前の仲間を捕まえた」
「!?」

 仲間、といわれて男の脳裏に浮かんだのは、一匹の獣。

「女だ」

 その声に、たちまち頭のヴィジョンが打ち消される。
 自分の仲間に、女など…………

「女………?」
「パーティー会場の帰りに捕まえたと言っていた。派手にやったそうだな」
「まさか」

 男の心に、また別の光景が浮かぶ。
 どくん、と心臓がなった。まさか。

「――――放せ!その人は関係ねェ!」
「俺はそんなことは知らない。ベルが捕まえた―――処刑すると言っていたぞ?もうされているかもしれんがな………どっちみち、今日中には殺すそうだ。俺は黙認する……そいつも悪党だろう?」
「テメェーー!!!」

 掴みかかる勢いで叫ぶ男。
 ネルガの表情は変わらない。

「それでも海軍かよ!!?」
「―――――俺が正義だと、誰が言ったんだ?」

 ネルガは嘲るような口調で男をにらみ返した。
 ネルガの白い服には、海軍ならあるはずの『正義』の文字が入っていなかった。

「悪党と海軍の境目はどこだ?なんで妙な幻想を抱いている。俺の本性を一番知っているのは、お前じゃないのか」
「っ…………!」

 冷たい赤い目。

「さあどうする?いいぞ、仲間を見捨てても。ここで俺を倒す方が先か?復讐に来たんだろう………まあ、返り討ちにあう確率の方が高いがな」
「言ってろよ………クソ野郎……!」
「助けに行くか?悪党。ベルの屋敷のガードマンが、全部で何人いるか知っているか?流石に、シトロスを牛耳ってるだけあるぞ」

 ぎゅ、と男の拳が握り込まれる。
 ぎりぎりと歯を食いしばる音が聞こえた。

「捨てるか?――――わざわざ死ぬ確率を増やすこともない。安心しろ、悪党が仲間を見捨てても、責める奴などいない」
「捨てる、だと…………!?」

 もとから仲間でも何でもない。

 この男を殺すことだけ考えてここまで生きてきた。
 その仇が今、目の前にいる。
 殺意殺意殺意殺意殺意殺意殺意殺意殺意。
 目眩がするほどの、殺意。
 胸の深いところに食い込み、あふれ出す感情。

 でも。


「――――畜生………………!」

 男は視線をネルガから外し、横に跳んだ。

 がしゃあああん!!

 窓ガラスを派手に蹴破り、その姿が消える。
 ここは五階だが、あの男相手にそんな心配をするのは無礼だろう。
 ネルガはその背を見送ると、先程自分が断ち割った机の残骸から、電伝虫を引きずり出した。

「一班班長」
『―――はい』

 ネルガの呼びかけにすぐに答えが返る。

「予定通りだ。俺もすぐそちらへ向かう」
『わかりました』

 短い通話を打ち切ると、ネルガは身を翻して、ずいぶん風通しの良くなった部屋を後にした。そういえばあの机は気に入っていたな、と思いながら。






 午後十時五十九分。
 チャトルロックシトロス貿易会社社長ベル・ゴーディー邸正門。

 その、威圧感のある巨大な門が、突然激突音と共に破られた。


 そのあとに立つ細身の人影。
 月明かりを浴びてきらきらと光る髪。
 それとは正反対の、冷たい炎のような雰囲気。


「………俺は今、気が立ってる」
「邪魔する奴は、殺すぜ?」

 凍るような視線に、正門警備員はへなへなと腰を抜かす。



 ―――――罠だという事は百も承知だった。



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