Bloody Blue Memory


「うや~寒ィな、今日は」

 深夜。
 サンジは冷える体を両手で擦りながら、甲板へ続く階段を上っていた。
 子供が起きている時間ではないのだが、日頃の日課となっている真夜中の特訓をするためである。ゼフには内緒で(勿論気付かれているのだが)。

「ん………?」

 幼いながらもコックの鋭敏な鼻が、ふと、異常な臭いを嗅いだ。 
 くんくんと鼻を鳴らせる。どうやら、武器倉庫の方から。
 少年サンジは、子供特有の単なる好奇心から、こっそりと倉庫へ向かった。

 倉庫の扉は少し開いていて、中から人の気配がする。
 ひょこり、と首だけ出して隙間から中を覗く。
 中では小さな灯りが一つ、灯っていた。
 その微かな光に照らされて、一人の人影が何やら蠢いている。

「!」

 そこまで見たときに、サンジは臭いの正体に気付いた。
 獣油だ。
 武器倉庫の床一面に獣油がまかれ、てらてらと光っている。
 サンジはじりじりと後ずさりした。
 あれは、最近仲間になった男だ。

(ジジイにしらせなきゃ)

 キィ、と武器庫の扉が勝手に鳴った。
 男が振り返る。

「!?……………ガキか!」

 サンジの金髪を認めると、掴みかかろうとしてくる。
 最後まで見ずに、サンジはくるりと身を翻した。
 逃げろ!

―――二、三歩は走れた。

ざんっ

 悲鳴は出なかった。
 のどの奥に空気がつかえ、留まる。
 頬が床にぶち当たったので、倒れたことに気付く。

「あ…………あ」

 斬られた。
 サンジの足から血が吹き出る。
 一瞬遅れて凄まじい痛みが沸き上がってきた。
 のたうち回って身を捩る。
 男は、血に濡れた円月刀を再度サンジの上に振りかざそうとした。

「何してる」

 闇を切り裂く鋭い声。
 男が顔を上げた。

「ネ、ルガ……………?」

 サンジは激痛に耐えながら、声の主を呼ぶ。
 安堵感があった。
 自分の身ではなく、これでゼフの危機が回避できるだろうから。
 ネルガの実力は、この男と比べるのも失礼だ。
 つかつかと近寄ってくる足音。
 サンジが目を閉じようとしたその時。

 ざしゅっ

 背中が熱くなる。
 ネルガの白い服が、返り血で転々と染まる。
 一瞬、事態が理解できなかった。
 サンジの背が裂け、斬首刀が鞘に収まる。
 ネルガに伸ばされていた幼い手から力が抜ける。

「何してる」
「すまねぇ、このガキに見られちまってよ」
「グズグズするな。さっさと作業を終わらせろ」
「ああ、ここはもう終わったんだ」
「そうか、じゃあ火薬庫の方の手伝いに回れ」

 去っていく、二人分の足跡。
 みるみる広がっていく血溜まりを気にもとめずに、夜は深まりつつあった。
 サンジの頬に、涙が伝った。








「お頭。年貢の納め時が来たようだぜ」

 いつもと何ら変わりない鋭い紅い目を見返し、ゼフは溜息をついた。
 ベッドから腰を上げ、対峙する。

「クソガキが…………」

 すらり、と斬首刀を抜くネルガ。

「あんたの手下はほぼ全員、殺った。後二十分もすりゃ、この船は炎上する」
「流石に手順がいい。見込んだだけのことはある」

 ゼフは髭をしごくと、右足を軽く浮かせる。
 殺気を込めた視線が交差する。

「その首、もらうぜ」
「………………フン」

 だんっ

 二人は同時に地を蹴った。







 ずる…………ずる…………

 薄暗い廊下に、湿った音が響く。
 鼻を刺す血と油の臭い。

「ジジイ……………」

 ずる…………ずる…………

 手の力だけで這いずる。
 両手の爪はほとんどが剥がれ落ちていた。
 構わずに、指を立てる。
 血で滑る。
 また、指を立てる。
 滑る。
 立てる。
 繰り返し。
 遅々とした進み。無限に思える距離。

 ずる…………

「待って、ろ………………」

 遠くから聞こえる喧噪と悲鳴。
 ささくれだった木の床の感触。

 太い血の筋が、廊下に長く長く残った。


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