負け犬。




 ヴィクトが、手に少し力を込める。

「喉を掻き斬る」

 息を吸っても血、吐いても、血。
 ぱくぱくと口を痙攣させて、目が飛び出し金魚のようになって死ぬ。

「悲惨だぞ?」
「………………だから?」

 霞む意識の中で、サンジは呟いた。

「俺が、心配してんのはよ………テメェがちゃんと約束を守るのかって……事だけだ」
「それは心配ないな……俺は、美しくないことは嫌いだ」

 ヴィクトはうっとりとサンジを見つめた。
 その表情は恍惚として、サディストの悦びと言うよりも、コレクターの達成感に近いように見える。
 サンジは目を閉じなかった。

「お前………怖くないのか」

 感心したように、ヴィクトが呟く。

「俺の勝ちだ」

 ヴィクトを睨み、そう、宣言する。


 俺の、勝ちだろ?


「………………………………」


 全然怖くなんか、ない。

 ……畜生。
 畜生。

 俺に、力があったら。
 こんな奴くらい、簡単に倒せるくらいの力があったら。

 もっと、強かったら。

 畜生。

 力が欲しい。

 死の覚悟くらい、余裕で決められる、力が。


 死の覚悟?
 何でそんなことを考える?

 決まっていなかった、のか?

 何故?


 俺は 怖い  の    か 


 足は震えているか?
 目は閉じていないか?

 怖いのか………?


 これまでの全てが一瞬で終わる。
 積み重ねてきた物が跡形もなくなる。
 時間が止まる。

 俺が、いなくなる。

 ………惜しんで、いるのか?命を。
 俺は、そんな男じゃねぇ筈だ。


 みっともねぇ。
 みっともねぇよ。


 俺は、弱いのか…………?


 そんなのはイヤだ。
 認めねぇ。

 認めたら、終わりだ。
 俺は。
 ホントに、終わりだ。

 ダメなんだ。


 欲しい。
 スゲェ欲しいよ。


 最後まですっぱりと未練を残さないで。
 綺麗に死んでいけるような力が、欲しい。


 そんな力が。

 あったら。


 そんな。
 力が。

 あったらきっと。






 ………あったら?





 もっと強くて。
 格好良くて。

 それで。

 勝つのか?
 勝つんだよ。

それで?

      だから
            どうだって、
                            言うんだ?












『粋がるなよ、ガキが』







 風が吹いた。






「………確かに、最期まで命乞いをしなかったのは、誉めてやるよ」
「それがお前のプライドか」

「潔かったぜ。…………賭は、確かにお前の勝ちなのかもしれない」

 何故だろう、本当はお前に負けを認めさせたかったんだが。
 今ではそんなことをされなくて良かったと思っている。

 むしろ、お前のプライドを崩すよりも。
 そのまま残しておきたくなってきたんだ。

 俺は、真っ直ぐで、綺麗なものが好きだから。

 そう言うヴィクトこそ、文句のつけようもなく完璧だった。
 赤い髪、目。返り血。
 整った曲線と直線。強さのにじみ出る風格。
 カリスマ、と言っても良かった。
 サンジは、そう感じた。これは、綺麗な生き物だ。

「だから、お前を殺す」

 ヴィクトの言葉が、耳を素通りする。

「………………………………」


 俺は何をしてる。

 俺は何をしてる?







 俺は、何がしたい?






「最期に言い残すことは?」

「その手を離せ、クソ野郎が」