負け犬。




「足は要らないと言ったな?」

 ああ。
 サンジは頷いた。

「じゃあ足だ」

 ガン、と酷い衝撃が体に響いた。

「ぐぁあああああああっ!!?」

 眩む視界を動かして足を見下ろしたら、靴の上から大きなナイフが。
 ビックリするくらいの量の血がだらだらと。
 ショックを受ける間もなく、もう片方も。

 サンジの心臓が、どくんと鳴った。

 大丈夫、例えばナミさんがこんな目に遭うことを考えたら。
 全然マシな方だ。
 だからこんなコトは全く気になりはしない。

「……………………………!」

 サンジは歯を食いしばった。
 ヴィクトは頬にまで飛んだ血を拭い、また新しいナイフを抜く。

「痛いか?」
「―――自分で試してみたらどうだ?その方が、わかりやすい……ぜ」

 足下から奇妙に冷えていく感覚。
 ヴィクトが、片足をあげてサンジの右足を貫いているナイフを擦った。

「ぎぁ………………!」

 濁った音が勝手に唇から滑り出る。
 痛みには大概強い方だとは思うが、したたり落ちる脂汗は根性で止められる類の物ではない。

「痛いんだろう?俺に跪けよ」
「く………………は」
「俺の方がお前より強い。お前に残ってるのは役に立たない小さな意地だけだ」
「……………………」
「強がれば強がるほど、逆効果なんだよ」
「…………ぐう……う……」
「お前さえ折れれば、もう痛いことはしないし……仲間を裏切っても、報復行為もないだろ?」
「……………ふ、ざけろ」

 ヴィクトの目が煌めいた。
 ナイフを振り上げる。

「手も要らないと言ったな?」

 ああ。
 サンジは頷いた。

「じゃあ手だ」
「――――――ぁああああああああぁあああっ!!」

 ぶつん、と、今度は隅々まで体を伝うような繊細で強烈な痛みだった。
 手の神経がいくらか切れたかも知れない。
 磔のキリスト?そんな大層なモンじゃなかった。

 手のひらに突き立つ大きな刃。
 冗談じゃない程の痛み。
 サンジの肩が震えた。

「…………あ………あ……」

 手のひらに空いた大きな穴から俺の命が流れ落ちていく。

 何でこんなに痛いんだ。

 そういえば、手を怪我した事は……汚した事は、あまり。
 なかったんだ。

 ……大丈夫、例えばこの男に負けを認めることを考えたら。
 全然余裕なカンジだ。
 だからこんなコトは俺を傷つけない。

「……ベットが高くなればなる程、勝利の快感は大きい」

 ヴィクトは酔ったように呟いた。
 高い山ほど崩したくなる。
 壁にナイフで留められた、サンジ。
 その前に立つヴィクトの髪は、流れ落ちる血と比べても全く遜色ない。
 倒錯的な絵画のようだ。

「どうだ、緩やかに死んでいく気分は」
「…………………………」
「このまま放っておいても、きっと出血多量で死ぬな」

 少しずつ、少しずつ削られていく命。
 体の重みで、手も足も少しずつ切られていく。斬る、のではなく。
 間断のない、痛み。

「まだ続けるか?この辺りまで来ると、みんな落ちるんだが」
「………………………」

 サンジの頭ががくんと落ちる。
 頷こうとしたのだ。

「命も要らないと、言ったな?」

 ああ。言ったよ。

「どうした。怖いのか?震えてるぞ」

 ヴィクトは五つ目のナイフを、見せつけるように振りかざした。
 壁に縫い止められたサンジ。
 鮮やかに笑うヴィクト。

「今ならまだ間に合うぞ?助けてくれ、と言えば見逃してやる」
「………くたばり、やがれ」
「ふふ…………その根性は本当に気に入ったな、勿体ない」

 ヴィクトはナイフの背をぺろりと舐めた。
 血のように赤い舌が妖艶にうごめく。
 ああ、綺麗だな、とサンジはぼんやりと思った。

「海賊にとっては、裏切りなんて日常茶飯事だと思っていたんだがな」

 ヴィクトはサンジの髪を撫でた。

「俺は負けたことがないんだ」
「るせぇ…………自慢、は聞き、飽きた」
「まだそんな口が利けるんだな?そろそろ、嫌になってきたんじゃないのか?」
「……………………………」
「――――もしかして、仲間を賭の賞品にしたのは間違いだったかもな……もうちょっと、捨てやすい物にすれば良かったか」

 ヴィクトは溜息をついた。
 ナイフの刃を、サンジの頸動脈の上に当てる。
 どく、どく、と脈が伝わる。

「これが、賭を降りる最後のチャンスだ」