負け犬。




 サンジは、今度も全く躊躇しなかった。
 ひざまずいたまま舌を床に着ける。
 ヴィクトの目が、意外そうに瞬く。
 控えている男達も、少しどよめいた。

「勿体ねぇ……」

 潰された葡萄。食べ物を粗末にしやがって。

 こんな事くらい、簡単だ。

「…………………………………」

 何でもないことのように、サンジはヴィクトに踏みつぶされた葡萄を食べる。
 むしろ、ヴィクトの方が拍子抜けしたようだった。

「お前、本当にプライドがないのか?」

 サンジはつまらなそうにヴィクトを見上げた。

「テメェ如きに使うようなのはな。ホラ、次は何だ?何をすれば満足だ?」

 見下ろされているのに、自分の方が上にいるような態度。
 ヴィクトはサンジの顎を蹴り上げた。
 黒スーツがもんどりうって床の上に転がる。

「…………………そうか」

 その様を見、ヴィクトは納得したように言った。

「お前、俺に負けると思っていないな」
「当たり前ェだ」

 サンジが毒づく。

「仲間を人質に取られてなければ、拘束されてなければ?」

 サンジはヴィクトにひざまずいているのではない。
 仲間の命に服従しているのだ。

「俺自身を、お前が認めていないようだ………それじゃ、負けを認める筈はないな」

 溜息をつき、ヴィクトはあごをしゃくった。
 わざとではないのだろうが、やることなすこと全て芝居がかって見える。しかも、それが似合う男だ。
 勝利という名にふさわしい、鮮やかな情熱の色。

「錠をはずせ」

 命令することに慣れた声。
 さ、と男が一人、すばやくサンジの背後に回った。
 後ろ手に拘束された腕を取り、がちゃりと手錠を外す。
 きつく縛っていた鎖も、じゃらじゃらとはずされる。
 サンジはこきこきと手首をひねった。違和感はない。痛めてもいない。

「……………………なんの真似だ?」

 どがっ

 サンジは立ち上がりざま、後ろ足で男を吹き飛ばした。
 どぉん、と大きな音を立てて男が壁にめりこむ。
 ヴィクトは、ぱちぱちとおざなりに手を叩いた。

「腕に少々自信があるようだ」
「足だよ。腕には違う意味で自信はあるがな」

 ふん、とヴィクトは腕を組んだ。

「その自慢の足で、俺に勝ってみたらいいと思ってな」

 負けることなど一欠片も思考の範疇にないのだろう、余裕の表情。
 構えもしない。
 そんなヴィクトに、サンジは鼻を鳴らした。

「気に入らねぇ………地獄で後悔するなよ、優男」
「後悔………ね」

 ヴィクトがクスリと笑う。
 だん、と地面を蹴り、サンジは地を駆ける肉食獣のようにヴィクトに向かった。







 ばん、とものすごい力で壁に叩きつけられる。
 首を掴まれ、サンジの喉が鳴った。
 足が宙に浮いている。
 ゼンマイの切れかけた玩具みたいに、サンジはもがいた。

「俺を認めるか?」

 ヴィクトの声。
 サンジは衝撃で霞む目を凝らした。
 ものすごい努力をして、無理矢理、唇に笑みを載せる。

「死んでも嫌だぜ」
「頑固だな」

 ヴィクトは、強かった。
 サンジは軽くあしらわれた。ただの一撃も、赤に掠ることはなかったのだから。
 まるで、子供扱いだ。

 自分の力が、全く役に立たないなんて。
 そんなことは、今までなかった。
 その事実が、サンジを痛めつける。

 みしみしと首の骨が鳴る。
 スマートな体格に似合わず、万力のような握力。

「が……………」
「認めれば、楽にしてやっても良いが」
「死………ね……………!!」
「弱い犬ほど、よく吠えるんだ」

 ヴィクトが紅い唇をサンジの耳元に近づけて囁く。

「ほら、お前は何が出来るって?」
「…………………あ……ぐ」
「仲間と引き替えに、何が出来るんだよ」

 サンジは飛びそうになる意識を抑えて、霞む赤を睨み付けた。

「なんでも………っつった……ろが………ボケ!」

 ふ、と手が離れた。
 サンジは壁に背を預けごほごほと咳き込む。

「じゃあ、順に確かめていくか」

 ヴィクトはにこりと笑って、サンジの腹に拳を打ち込んだ。
 鈍い音がする。

「本当に命までいけるかどうか」

 ヴィクトの手には、いつの間にか巨大なナイフが握られていた。




「俺は、お前に命乞いをして欲しいんだ」



「自分の無力さにうちひしがれて俺に許しを乞うか」
「くだらないプライドを捨てて、仲間を見捨てるか」




「格好つけて突っ張っている奴が、そういう風に堕落するのを見るのが好きだよ」