狂。




「ちょ、ゾロ…………落ち着けよ」
「落ち着いてる」
「嘘つけよ!」

 ゾロは、ふらふらとよろめく足を、地面に打ち付けるようにして無理に歩こうとしている。エースの言葉には耳を貸さず、むしろ遮るかのようにゾロは口を開いた。

「コイツは敵なんだろう?」
「俺達をずっと騙していたんだ」

 そう、自分は落ち着いている。
 先程までの混乱が、嘘のように。

 目的が、ちゃんと見えている。
 この男が、全て悪いんだ。

 サンジは笑いながら、ゾロを見つめていた。まとっているのは晴れ晴れとした雰囲気。
 それに引き寄せられるように刀を抜きかけながら進むゾロ。
 エースは横を通り過ぎようとするその肩を掴む。

「止せ!返り討ちにあうのがオチだろっ!!」
「うるせぇ」

 止まろうとしないゾロに、エースは舌打ちをひとつして、今度はサンジに呼びかける。

「サンジ!止めろ!」

 サンジは、ちらりとエースに視線を流した。
 苦笑して、首を振る。小太刀の切っ先はまた上がっていた。

 止める気はないようだ。

「――――まったく、どいつもこいつも…………!」

 エースはテンガロンハットの中に手を突っ込んだ。
 マッチと、細長い、導火線付きの筒を取り出す。
 器用に片手でマッチの箱を開け、点火する。

「何を……」

 サンジの問いかけを遮り、ひゅるひゅると、か細い音が響く。

 ぱぁん!!

 エースの打ち上げた、狼煙代わりの簡易打ち上げ花火は夜空に真っ赤な花をさかせた。地上の炎により、それほど目立ちはしなかったが、それでも注意を引くには充分すぎる光だった。
 ゾロも亀より鈍い歩みを中断し、思わず上を見上げた。
 眉を寄せて、サンジが呟く。

「何の合図だ」
「―――俺の部下は全ての作戦を放棄、集合」

 にやり、とエースは笑った。

「取引の続きといこうぜ?どうせ、さっきも承諾しようとしたんだろ」

 サンジはエースを見つめ、こくりと頷いた。

「エース!」

 ぎらぎらと目を光らせたゾロの抗議の声は黙殺する。
 代わりに力を込めた一瞥をくれた。



+++ +++ +++



 数分も経たないうちに、第二番隊の兵士全てがその場に集合した。
 サンジを逃がさないように、ぐるりとまわりを取り囲む。勿論全員が剣を抜いていた。

「隊長」

 そのうちの一人が連れてきた馬に、エースは苦労してまたがった。その足に、部下が布をまいて素早く止血する。
 暴れかけたゾロは、部下に命令して拘束し、馬の後ろに載せている。怒りの気配が伝わってくるが、流石にもう暴れ出したり騒いだりする気配はない。

「もう刀を降ろせよ、サンジ」

 サンジは黙ったままだ。
 その手にはまだ、小太刀が握られている。

「隊長、あの男に何か?」

 部下の一人がいぶかしげに訊いてくる。

「捕虜だ。乱暴するなよ」
「…………………」

 あっさりと部下は引き下がった。
 何故急に奇襲の中止命令が下ったのかすら訊かない。

 サンジはゆっくりと顔を巡らせて、自分を取り囲む北軍兵士達を見渡した。
 その視線に晒された兵の背中に、ぞっ、としたものが走る。
 血に濡れた小太刀を持っているだけの若い男に、大半の兵士は気を呑まれて硬直した。

「サンジ」

 再びのエースの呼びかけにサンジは答えず、ただまわりの兵達に視線を走らせる。いや、むしろその目は、兵士の持っている武器に注がれていた。

 エースの頭に、ちらりと不安がよぎる。

 サンジの肩が震えだした。
 抑えようとしてはいるが耐えきれないように、だんだんとその揺れが大きくなる。まわりの兵は気味悪げに顔をしかめた。

「くっ……………」

 苦しげに息を呑む音。
 悪い予感がどんどん大きくなる。エースは部下達に下がるように命令しようと、口を開きかけた。

「あははははははははっ!!」

 サンジがいきなり大きな声で笑い出す。
 先程までの穏やかな微笑みとも、朗らかな笑いとも違う。

 エースはそこでやっと気付いた。
 サンジは、北軍の武器を見ているわけではなかった。

 そこに付いている、血を。
 見ていたのだ。

 サンジがゆっくりと、右手をあげた。
 無理矢理笑いを押さえ込むように、口元を抑える。

「エース………お前達、おめでたいな」
「下がれ!」

 エースの声が飛ぶ。
 部下達が一斉にとびすさった。サンジを中心とした円の半径が広がる。
 サンジはそれにはかまわず、うっとりと呟いた。

「俺が、俺の民を殺した奴を」

 右手を口から離し、見せつけるように掲げる。


「許すわけがないだろう」


 瞬くほどの速さで、小太刀が走った。





 ざんっ!





「……………あ」

 誰が発した音か。短い、間抜けな母音が飛んだ。
 そして、途方もない沈黙が、その場に落ちる。
 誰も……例外なく全員が同じ物を見つめていた。

 ぼとり、と音を立てて落下した。
 サンジの右手首。
 それを。

 綺麗な切断面から滴る血を。

 綺麗に笑いながら自分の手を切り落とした。
 綺麗な髪を持つ男を。




+++ +++ +++




「何、してんだよ………」

 サンジは少し驚いたような顔をした。
 その言葉を発したエースに視線を投げる。

「お前はかからなかったのか、エース―――」

 楽しげに笑うと、小太刀を鞘に収める。

「俺の術に」

 砂の上に赤い液体がぼとぼとと落ちた。
 その色が、この光景が現実だと伝える。

 ――――心が。
 一瞬でも、無防備になれば。
 その全くの空白に、自分は付け込むのだ、と。

 だから、この間はゾロを斬って見せたのだけれども。
 仕方ないから、非常手段だ。

 サンジはそう呟くと、自分の手首を拾い上げた。
 呆然とするエースの前で、それにキスをする。


 小さな声で、命令した。



「殺し合え」



 ――――――狂っている。

 ざっ、とお互いに武器を構えた部下達。その目にもはや意志の光はない。
 自分の右手首を携えて、悠々と囲みから抜けるサンジ。

「オマエら」

 狂っている。


「………………目ェ覚ませーーーーーーっ!!!!」


 自分の口から聞こえている筈の馬鹿でかい叫び声が。
 その時のエースには、やけに遠くに思えた。



+++ +++ +++





 ―――私は泣かない。 
 私は少しも悔やまない。 





       エリック・サティ:『JE TE VEUX』        

          冷。 花。 NOVEL