さくさくと乾いた音を立てて、砂を蹴散らす足は速度をゆるめることはない。
視線を真っ直ぐに前に据えて、男は歩いた。
いくつもの岩石が転がる岩石砂漠。
完璧な砂だけの砂漠というのは、むしろ少ないものだ。
立ったまま枯れた草が、熱風に吹き散らされている。
男は日差し避けの黒い布を頭に巻き、険しい視線を上に向けた。
衰えることを知らない太陽。
男は眩んだ目を細めると、手のひらでそれを覆った。
果てを知らない砂漠。
砂は生まれたときから側にあるが、砂だけでは人は生きていけない。
彷徨う人は点在するオアシスのまわりに街を作り、結果砂漠を挟んで北と南に別れた。
国に名前は要らない。対象がお互いしかないから。
砂漠の外に世界があるのかさえ、わからないのだから。
広くて狭い、乾いた土地。
男は北の国で生まれ、北の国で育った。
南には、まだ行ったことがなかった。
そのうち機会もあるだろうと、幼い頃は思っていたものだが。
機会は、やけにあっさりとやってきたと思う。あまり、望ましくはない形で。
男は岩山の上に立ち、視線の先にうごめく人の列を眺めた。まだ一キロほどの距離がある。
その数、およそ百数十人程か。
少ない。
男の加わっている北の国の兵は、数百人はいる。
今回の戦いは、こちらの勝ちで終わりそうだ。
まあ、こちらの方が少なくても勝つつもりではあったが。
男は、腰に下げている三本の刀を撫でた。
足を止め、振りむかずに、後ろに声を投げる。
「エース」
「なんだ?」
男の少し後ろを歩いていたのは大きな帽子をかぶった黒髪の男、エース。
かったるそうに、三本刀男の脇まで、エースは歩いてきた。並んで敵を見渡す。
「なんか問題があんのか?」
「イヤ、そうじゃねぇ」
男はしばらく心の内で考えを反芻する。
「エース」
「だからなんだって」
エースはその場に無造作に腰を下ろした。
腰に下げた水筒の栓を抜き、喉を鳴らしてあおる。
「なあ………俺らの国って、弱ぇんじゃねぇのか?」
「は?」
「この戦争が始まって、もう半年は経つだろ?なのに、まだ決着がつかねぇ」
「あのな」
「だっておかしいだろ。もう何回か戦に出たが、俺の隊は勝ったことしかない」
「自慢かよ」
呆れたように首を振るエースに、男――魔獣と呼ばれるロロノア・ゾロはがしがしと頭を掻く。
「じゃなくて―――」
「そりゃそうだろ、オマエんトコは鍛えてるしなァ………俺ァちょっと同情するね、オマエの部下に。ロロノア・ゾロの地獄の特訓、他の隊にも恐れられてるぜ?」
「そうじゃねぇ、勝つのは、相手が弱ぇからだ。人数も少ない。兵も弱ってる。なのにこの戦争は終わらない。他のトコが負けてるからだろ?何で負けるんだ?はっきり言って、情けねぇぞ」
「なんでってオマエ………オマエの強さを基準にすんな、『魔獣』」
19才という異例の若さで将軍にまで登り詰めたロロノア・ゾロ。
そのゾロの隊には戦法というものがなかった。
まず指揮官が相手の軍に突っ込んで行くからである。
恐るべき強さで敵を切り伏せ、最短距離で敵の大将の首を狙う。
まさに、瞬く間に決着が付いてしまう。
危険を省みないその無鉄砲さと、それを成功させてしまう強さから、ゾロは北から魔獣と呼ばれ、恐れられていた。
「だーかーら、そうじゃねぇ!この前モーガンが五百も連れて戦に出ただろ?なのに、大敗して帰ってきた。聞けば、そんとき南の方は百に満たなかったそうじゃねぇか。これを弱いと言わずになんて言うんだ?」
「ケド、その時はあちらさん、『緋陽』が指揮してたっていうじゃねぇか」
「『緋陽』ねぇ…………」
『緋陽』とは、南の国の王の事である。
全身緋色の衣装に身を包んでいる所から、その名が付いた。
仮面を付け、けして素顔を見せない。男か女かもわからないが、南の国の民は全員『緋陽』に忠誠を誓っていると聞く。彼等の信仰と、どうやら深く関係があるらしいが、それについては詳しくはわかっていない。
そして、『緋陽』がいるときの南の軍は、けして負けたことがなかった。
それが、国力のかなりの差を埋めているらしい。
南の国との国交は少なかったが、ずいぶんと仲良くやっていた。そんな気がするのだが、半年ほど前、突如として攻め込んできた。ほとんど奇襲に近い始まりだ。
しかし、もともと北の方が大きく、技術も発達した強い国なのである。いまだ怪しげな宗教を信じ込んでいる、どちらかと言えば未発達な南など、すぐに押し返せると思っていた。
けれど実際には一進一退の均衡状態で、国境あたりでは既に占領されてしまった街もある。
「だからなんだ?指揮官が王なだけで、五倍の差が簡単にひっくり返せるのか」
「アヤしげな術を使うらしいぜ?」
「噂だろ、ただの」
南の国の怪しげな土着信仰。
ゾロは一瞬でその言葉を切り捨てた。
エースは強い風にとばされそうになった帽子を片手で軽く押さえる。
「噂ねぇ………でもな、モーガンは別に弱ェってワケじゃなかった。オマエの言う通り、指揮官が優秀なだけじゃ、あそこまでコテンパンにやられるはずはなかった………ほとんど全滅だぞ?」
「エース、オマエ本気で信じてるのか?緋陽の伝説を………『緋陽は太陽色の髪を持ち、、数々の使い魔を操り』―――」
「『風を巻き起こし砂を裂き、敵を滅ぼす。国を護り国を治める太陽のしもべなり』……ちゃんと知ってんじゃねぇか、ゾロ」
「………昔馴染んでた南からの行商が、念仏みたいに年中呟いてた。そりゃ覚えるさ」
ゾロはくるりと身を翻した。偵察は終わりだ。
「大体よ、それを確かめるんじゃねぇか。だから俺とオマエが組んだんだろ?」
ゾロの預かる第三十九番隊と、エースの管理する第二番隊は、数ある隊の中でもトップクラスの実力を誇っている。
『火拳のエース』の名を知らない者は、どこにもいまい。
その二人を組ませたのも、今度の戦では『緋陽』が出陣するとの情報を得たからだ。もしもこの二人が敗れたならば、『緋陽』の噂も信じるより他はない。
「太陽色の髪、か………実は美人なカワイコちゃんだったりしねぇかな」
「…………だったらどうにかするつもりなのかよ」
ゾロは呆れた仕草で手をひらひらと振った。
この戦、絶対に勝たなければいけない。
この数年、北の国ではオアシスの水量が減ってきていた。原因は分からない。
飲み水は何とか確保できているが、農業、作業用水は足りなくなっている。砂に浸食される畑も多く、深刻な食糧難に陥っているのだ。
そこへ来て、南との戦争。
北の国の民は疲弊していた。
既に餓死者も何人か出ているという。
――――負けられない。
「作戦は?」
「オマエが突っ込んで、俺がカバーする」
「上等」
ゾロとエースは、もう砂に埋もれかけている自分の足跡を辿って、後方の自軍の待機場所へ戻った。
訓練された部下達が、そろって立ち上がる。
「進軍!」
エースのかけ声と共に、北軍は刀や弓を取り、歩き出した。
ゾロは愛馬にひらりと飛び乗る。
鞘が触れあい、がしゃりと刀が鳴った。
たてがみを撫でて一声かけ、エースの馬に並ぶ。
馬は貴重だ。隊長クラスにしか支給されない。
馬も人も、むざむざ死なせるつもりはない。
俺が『緋陽』の首を取る。
戦場は近い。
刀は鳴り止まない。
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