幕舎の中には、むっとした熱気がこもっている。

いくら軍団長といえど、気温や湿度から逃げることはできない。美々しいマントなど羽織っていればなおさらである。しかし、威厳を脱ぎ捨てて裸でいるわけにもいかないだろう。

今日は特に蒸し暑く、ソロンは額にみっしりと汗をかいている。先ほどから水を大量に飲んでいるが、それでも鎧を脱ぐなどということは頭にないソロンの精神構造は根っから武人だった。

そのように、しっかりとしたなりを見せて軍団長のつとめを果たしているソロンとは対照的に、傍でみているクルガンのほうはまるで軍師か文官のありさまである。鎧どころか、剣も帯びていない。よって、初対面の者はもちろん、皇国兵ですら大半が、クルガンが純粋な参謀役であるものと誤解する。都合がいいので、訂正する気はない。

それなりに好き勝手できる地位になって以降、クルガンが鎧を身につけたことがないのは──暑いからとか、面倒くさいからとか、そのような理由を除けば──単純に、鎧を着ていないほうがクルガンは強いからである。手間がかかるので、説明する気はない。

「────」

心なしか、ソロンに恨めしげな目で見られているような気もしたが、クルガンは気にしなかった。クルガンが解放されていることと、ソロンが蒸されていることの間に因果関係はない。

「兵站商から予定より七日前後程度遅れる旨の連絡がありましたので、全体の行軍速度を落とします。本設営地に留まり、明日は休息日とします」
「よかろう」

戦略や戦術以外のこと──つまり、軍事活動のほぼ九割を占める部分のこと──をソロンに伝える際、クルガンは提案ではなく報告という形をとる。何故なら、クルガンが責を負う任務だからである。

言ってしまえばこういうことだ。
軍を人間の体に例えた場合、司令官であるソロンは頭の役割を果たす。だが、頭は、いちいち「心臓を動かせ」とか「血液を循環させろ」などという指令を体に下すだろうか? あるいは、仮に頭がそのように命じれば、体は汗を流すのを止めるのか?
軍隊の活動においても、「頭が掌握できない部分」というものはある。あって当たり前なのだ──第四軍において、クルガンは神経系統の役割を果たしている。瞬きをするとか、呼吸をするとか、消化をするとか、熱いものからは反射的に手を離すとかそういった類いのこと──活動の大前提を整える職責を負っている。よって、決定時項のほぼ九割を任されているというわけである。


補給、進軍指揮、情報収集・伝達、物資分配、記録。
全て、独創力や発想力ではなく、忍耐力と緻密な計画が必要とされる任務だ。

クルガンは面倒な事は嫌いなのだが、嫌いだからできない、ということにはならなかった。おそらく第四軍の中では一番向いている。
しかも、クルガンが負担しているといっても、その負担のそのまた九割程度は実質的に副官に投げ下ろしているので──褒めたことは一度もないが、クルガンの副官部(第一席を筆頭に現在十二人体制)は優秀である──クルガンが「面倒だ」というわけにはいかなかった。

そして、そのようなクルガンの任務は散文的だ。
たとえば、今、クルガンの報告を聞きながらソロンが飲んでいる水を見てクルガンが考えねばならないことは、「喉が渇いた」ではなく、「現在部隊が運搬している水の量は約一万二千樽十日分、現在地点から最も近い水場は南方面二里、東方面四里」ということである。また、ソロンが食べている白パン──最上級の糧食──の残りはあと七食分であり、次回の補給からは胡桃パンに替わる、ということもついでに出てくる。

行軍中、クルガンは食べ物のことばかり考えているといってもいい。

「ふうん。あ、団長、それ食べないなら貰います」

あと七食──六食──五食。
クルガンは頭の片隅で、わざわざマナーに反した上でクルガンの補給計画を邪魔したりしない将はいつ用意できるか検討したが、当てはなかった。