クルガンは、眠ることが嫌いではない。もう少し肯定的な表現をしてもいいくらいである。
しかし、仕事があれば眠るわけにはいかない。それが二日だろうが、三日だろうが、あるうららかな昼下がりだろうが、書かなければならない署名がある限り。
目の前にあるのは木簡と羊皮紙の山脈である。
クルガン、という綴りなら、おそらくクルガンはもう眠っていても書ける気がした。
眠りながらでも書けるというのに眠りながら書いてはいけない理由は何なのか、どうしても見つけられないまま、また署名する。目を通して、署名。目を通して、署名。目を通して、署名。目を通して──差戻し。
「こちらも」
短い合図と共に、副官がさらに山脈に峰を積んでくる。
うんざりしたが、副官が、差戻しとなったほうの書類の丘を見て舌打ちでもしそうな顔になったのを見ればその気持ちも失せた。彼の場合は、各所を叱咤した上でこれらの書類を期限までに作りなおさなければならないのだから、クルガンの腹を刺してこないのが不思議である。
「────」
それでも副官は大人しく差戻しの書類を取り上げると、こう言った。
「一刻、仮眠の時間を頂きます」
「どうぞ」
「後、第三方面からいつものが届いてますから、御勝手に」
副官は、どん、と音を立てて小さめの木箱をクルガンの机の上に置いた。
役目は果たしたとばかりにさっさと遠ざかっていく背中を追わず、クルガンは木箱を開けた。中身は珈琲豆である。
クルガンの率いる第四軍第二大師団は一万人規模──当然、その大半は皇都には常駐せず、国土に散っている。第三方面といえば、第二大師団の第三師団──ハイランド南西、フラベルク領及びトラスタ領辺りに根を張っているクルガン揮下の師団長のことを指す。
上官に物を贈るのは下らない慣習である。クルガンには贈答物を基準に部下の扱いを変更するという柔軟な機能はないのでなおさら不要である。しかし、何のルールがあるのかわからないが、第二大師団の場合、各師団長から順繰りに珈琲豆が届く。それに対する副官のコメントが「合理的です」であるからには、もしかして「贈るなら無駄にならないものにしろ」とでもこっそり言い含めてあるのかもしれない。補給物資の意味で捉えることにしている。
ドアがノックされ、湯の入った大きなポットが運び込まれた。
給仕が部屋を出て行くのを確認すると、クルガンは珈琲豆を皿に一掴み置いた。電撃で適当に焦がし、異臭を放ち始めたところでそのまままるごとポットの中にざらざらと投入する。しばらく放置しておけば、墨を煮詰めたような色の液体が完成するはずだ。
「────」
豆の種類がどうとか、香りがどうとか、淹れ方がどうとか、そういったことはクルガンには関係ない。とにかく、泥水に近いほうがいい──必要なのは、眠らないための刺激だった。