戦場において、騎兵は花形といわれる。

その突進力、貫通力において騎兵に勝るものはなく、勢いに乗って直進する騎兵隊は全てを粉砕しながら進む地獄の機械である。──反面、小回りが利かない、力が地形に左右されるといった欠点も多い。

クルガンは騎兵に憧れたことはなかった。理由は単純で、不便だからである。

どれだけ馬の扱いに慣れようが、馬に乗っている状態で地に立っている状態より自由に身体を動かせるわけがない。長距離の移動という視点を除けば、騎上ではとにかく「常より不自由」なものなのだ。可動部でいえば、腕の上げ下げ、首や腰の曲げ伸ばしくらいしかできない。跳躍や回転ももってのほか。鎧すら好まないクルガンにとって、馬はほとんど拘束具の一種である。

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だからといって、馬に乗れなくてよい、とはならない。
騎兵はもちろん、荷運び、伝令、工作、あらゆる場面において軍隊に馬は必需品である。剣の手入れよりも馬の世話の方が重要なほどだ。

運んできた木桶を馬の前に置くと、馬はすぐさま首を突っ込んで、むさぼるように飲み始めた。

人間と違い、彼らは好きなときに水筒を出して飲む、というわけにはいかない。また、運動量も人間より多くなる。だから脱水に陥るのはたいていの場合、人より馬が先であって、水場と水場の距離が広い場合は特に、細かく面倒をみてやらねばならなかった。

脇に抱えてきた干し草を解いて地面に置いていると、もう水を飲み終わってしまったらしい馬が首をあげてクルガンをみた。
おそらく、「足りない」という意思表示だろうが、ないものは用意できない。馬一頭分の割り当て以上、兵士一人分の割り当て以上、それ以上の物資など、軍には存在しない。

クルガンは、自分の分──「兵士一人分の割当て」を馬に分けてやるということもしなかった。当たり前である。馬も人も、極論すれば「最低限生きて活動ができるだけ」の割当てしかないのだから、己に対する補給活動もほぼクルガンの義務のようなものだった。

馬に水を飲ませるための桶ですら、まだ待っている者がいるはずである。クルガンは早速桶を馬から取り上げると、給水所へ戻しに行った。

とって返してみると、馬は諦めたように、少量の干し草をもそりもそりと食べていた。そんなことでは他の馬に奪われるのではないかと思うが、他の馬も同じようにもそりもそりとやっている。どうやら共存意識がはっきりとしているようだ。あるいは、無駄な体力を使うべきではないと本能的に察知しているのか──知能は低くとも、明らかに人間より賢い。

馬との関係を良好に保つためには、手ずから餌をやり、親身になって世話するのがよいというが、クルガンは面倒だった。また、馬のほうも人間との付き合いなぞ面倒なのではないかと思っている。

だから、クルガンは持ってきたわずかばかりの干芋も、干し草と同じように地面に置いた。これはクルガンに割り当てられた食料の余分だ──クルガンは、平均的な兵士に比べ、あまり食べなくとも動けるから。

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もし、クルガンが馬を戦場で使うとすれば──騎馬隊を任せられる地位に立ったとしてだが──弓馬兵がいい。

馬上弓術に習熟した兵を育成するのは一苦労だろうが、弓の部隊であれば、前提は長距離攻撃となるから不利益をあまり考えなくともいいし、馬の損耗も抑えられる。それに、敵から距離を遠くとるといった意味で機動力が活かせる。

腰を下ろして思考に耽るクルガンの頭に、馬が鼻面を突きつけてぐいぐいと触れてくる。
邪魔なので、クルガンは後ろ手に馬の顔を押しやった。