一区切りついたので、書き物をしていた手を止めた。

士官になるには、読み書きができなければならない──そんな規則を知らなくとも、クルガンは文字を覚えただろう。知識を得る、ということが、彼は嫌いではなかった。いや、積極的に、飢えていた、といってもいい。

喜怒哀楽ですら、それを「知る」以前には存在しないのだ。動物は涙を流さない。誰も教えないからだ。親を失った子が、親の屍骸に寄り添うこと──それを、「そういうこと」ではなく、「悲しい」ことだと名付けた瞬間、泣くようになるのだろう。

彼は、他と比べ、己に多くのものが欠けていることを知っている。それを埋め合わせるためには、他より努力するほかはない。その「他」と行動するためにも、彼は、己の無知を極力殺していかなければならなかった。

今ではおそらく、他よりも書ける。

「────」

己の書く字が整っているということを、彼は幾人かからの指摘と、他者の作成した書類を読むことで知った。他者の書く字は大きさが不揃いだったり、ひしゃげていたり、文字の一部が省略されていたりした。クルガンには、そのような工夫はとてもできなかった。
クルガンは一冊の模範的な教本──文字を初めて学ぶ者が使う見本──からほぼ独力で文字を学んだのだが、そこには、文字というものを「どの程度いい加減に書き崩していいのか」ということは紹介されていなかったのだ。
結果、クルガンは基本に忠実である。今になって、わざわざ他の字体を真似る意味もない。

「────」

クルガンは作成した書類をざっと読み返すと、その薄い木板を重ねて脇に置いた。瑣末な記録に羊皮紙などを利用することはできないので、ここで使うのは磨いた木板と先の尖った棒だ。それでも上等であり、クルガンには全く文句はない。

足りないものがあるとすれば、別のものだ。

現状、皇国語と共通語は一通り掌握した。
次はハルモニア語とハルモニア古語に手を伸ばしたいのだが、教本や資料がなかった。書物は貴重なものであり、皇都ならまだしも、このような地方の砦にハルモニア語など存在しない。この砦にあるのは、兵達の娯楽としての絵本か、戦の譜がほとんどだ。
ハルモニア語の辞書など──仮に金を積んだとしても、ここでは手に入らないだろう。

足りないものを無理に欲する、ということを、クルガンはしない。
なければないで、クルガンはどうとでも生きていかなければならない。ひとつのことに執着しては足をとられる。

終わった書類を退けて空けた空間に、クルガンは黴臭いにおいのする湿気った書物を据えた。これは、砦の地下の物置から見つけたもので、この地方の古い方言を使って書かれている。

書を捲り、すぐに没頭しはじめたクルガンは、己が朝から何も食べていないということは意識していない。
彼がもし笑っていれば、「楽しいのか?」と教えてくれる者も誰かいただろうが、ろくに使われない彼の表情筋は強固だった。