戦場で刺激されるものは、視覚ではなく、まず嗅覚だ。
人間の体は、心臓が止まり、血液が巡回しなくなった途端にすぐ腐り始める。全く、容赦も、余裕もなく、本当にすぐに。外側の腐敗ではなく、内側の腐敗──どういうわけかは分からないが、内臓から腐るのだ。死の臭いは、空に向かってぽかりと空いた口の中から漂ってくる。それを嗅ぎつけて、蝿どもが何処からか湧き集ってくる。
そして、大体の場合、人間は死ぬ瞬間に排泄を行うから、戦場には排泄物も巻き散らされることになる。排泄物の臭いは、血の臭いよりもずっと強烈で、すぐに鼻を麻痺させてしまう。
つまり、人間は、美しく死ぬことなんてできないのだ。何百回も死を見送って、クルガンはとっくにその事を理解している。
誰でも同じということなので、あまり悲観もできずに納得してしまっている。
死体は穢れの塊だ。
死体に触ったものは、大抵の場合、病に掛かった。これも、理屈はわからないが、クルガンが経験的に理解したことだ。戦友の死体を抱き締めたり、その傍にずっと座っていたり、墓を作るために戦場に長時間残ったりした場合、その人物の傷は腐る。血も膿む。そして、そうなれば死は避けられない。
また、死体は鼠を生み、蝿を生み、戦場の傍にある村には、伝染病が流行る。
死は伝染するのだろう。
「────」
そう思いながら、クルガンは死体の足を持って引き摺っていた。
戦場の後始末も、クルガンの役割なのだ。
死体から穢れが移るのだとすれば、それとの接触時間は出来るだけ短くするのが良かった。クルガンはいつも、死体の穢れが広がらないよう、まず、死体を一所に集めることにしていた。それから、離れた場所に大きな穴を掘り──近くで作業をすれば、穢れの傍にいることになる──迅速に死体を穴に入れる。
「──『天雷』」
クルガンが、数年がかりで貯めた報酬で最初に手に入れたものが、剣でもなく、馬でもなく、防具でもなく、低級紋章だったとき、傭兵仲間は皆一様に呆れたような顔をした。
紋章など、近接戦闘では役に立たない。使うだけでも訓練が要る。使いこなすには才能が要る。皇国軍の精鋭だけが試せる趣味だ──金をどぶに捨てるようなものだ。
「──『天雷』」
──きゅぼ、と音を立て、屍骸が灰になる。
その上にもう一体乗せれば、自然に火が付く。
体を損なわせるなど、死者に鞭うつ仕打ちだという。ましてや、形を失わせてしまうなど。しかし、そうしなければ、埋めきれないのだ──クルガンが紋章を望んだ最大の理由は、戦闘にはなかった。「処理」のためだった。
炎の紋章では肉が残る。骸を消し飛ばすには、雷の紋章がいい。
生者を巻き込むくらいなら、死者には体を諦めてもらいたい。
死ねばただの──「食べられるもの」だ。
腐臭に満ちた空気には、灰の味がした。