大きな桶に四杯分の芋の皮剥き──大体それがクルガンの日課である。後は、人参や玉ねぎなどが一杯分加わるときもある。

木箱に腰掛けて、左側には土のついた芋の入った袋を置き、右側には皮剥きの終わった後の芋を入れる桶を置く。膝の間で山になる芋の皮は、家畜の飼料になるので捨ててはいけない(食べてもいけない、らしい)。
使い慣れたナイフですいすいと芋の皮を剥いている時間は、実はクルガンは嫌いではない。雑用係と馬鹿にされることもあるが、新入り、あるいは若輩(クルガンは両方当てはまる)が雑用をすべきという集団の決まりごとには頷けるものがあるし、元々、自分で食べるものは自分で用意しなくてはならないのだから、その量が何十倍かに増えたところでどうということもなかった。
それに、人と離れていられる。

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芋の皮向きの途中で、大鍋に水を満たした。
鍋は大きく、水を湯にするのには時間が掛かるためだ。鍋の下に薪を幾本も蹴りいれ、火を付ける。

子供が隠れ鬼に使えるほどの大きさのこの鍋は、皆の大事な共有物だ。
鉄製品なので高価である上、そうそう何処でも買えるものではないらしい。『交易路』の中心都市に行くか、『ドワーフ』の国まで出向くか、それこそ、『皇都』の大きな店で注文して、長い間待つことになるかするそうだ。
つまり、明らかに重要度はクルガンより鍋の方が上なので、この鍋を焦がすようなことがあれば傭兵どもの血が上りやすい頭はすぐに破裂するだろう。クルガンは慎重に火の勢いを調節した。

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餌の時間は、朝と夜の二度。
つまり、料理をするのも毎日のことだが、クルガンはあまり、料理上手というわけではなかった。作ることのできる品は、芋などの野菜を湯で煮込んで塩を混ぜたもの、ただそれだけである。
今までに受けた料理指導は一度──最初、鍋の中に全く塩を入れずに出したところ、最初に汁を口にした者に頭を壁に叩きつけられた。「味がない」、というのがその理由だったが、クルガンにしてみれば、どうして芋や人参や湯に味がないというのか、理解できなかった。空気を吸うのと、茹でた芋を齧るのと、舌に感じるものは全く違うではないか?

クルガンにとって、塩は希少な贅沢品であり、薬であって、大量に消費するものと考えたことはなかった。しかし、団体生活には団体生活の流儀があるものだ、と納得し、今では、大体、その他の食べ物のかさに対して百分の一程度を目安に、塩も食材と数えている。

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鍋の気配を探りながら、芋剥きを再開する。

いくら経っても全く代わり映えしない品に文句が出ないのは、誰も、この生活にこれ以上の料理などは期待していないからだ。しかも、クルガンが餌を作れば、芋と玉ねぎと人参のほかに、肉や山菜、きのこ、香草などが鍋に追加投入される確率が上がる(それはこの集団におけるクルガンの価値を大分高めているらしい)。
どんな場所に移動しても、食べられるものをそれなりに見つけてくるということが、ある種の「技能」である事をクルガンはそこで知った。

役に立っているうち、邪魔にならないうちは、排斥されずに済む。

クルガンは、毎日芋を剥きながら、その実習っているのは料理ではないのだった。それは、「集団でいる」ということなのだった。



なお、この後、クルガンは鍋の中に芋虫を山ほど投入し、二度目の「料理指導」を受けた。