衝撃。
覚悟はしてたんだが、結構なモンだった。
ぼふん、となんだか二十枚くらい重ねた座布団のような感触。申し訳程度の弾力が、逆に微妙だ。コンクリートに叩きつけられるよりはマシだろうが、精神的にはこっちの方がダメージがデカい。
男の胸。なんてイヤな響きだ。
浮きはしない程度に一度だけ軽く弾んで、それから俺の体は静止した。
固い物が体を支えている。太い2本の腕だった。
「うぉ」
驚いたことに。
緑髪のこの男はこんな突発的異常事態にも負けず、倒れてなかった。
両足をしっかり地面につけて、ちゃーんと踏ん張ってる。コイツマジか。ビックリ改造人間か。
勿論俺はちっちゃくて華奢っちいな女の子じゃねぇし、身長も、体重だってそれなりにある成人男子だ。どんな鍛え方してんだか、普通の人間なら肩とか抜けなきゃいけないんだぞテメェ。
…………よし、これからこの男をパズーと呼ぶことにしよう。
そこはかとなく混乱する俺には構わず、パズー(仮)は俺を見下ろしてきっぱりとこう言った。
「丁度良かった」
はい?
俺は、かなりダイナミックに首を捻った。
この場では思いっきり不自然で場違いな台詞。『丁度良かった?』だと?
……………………………Thinking.
ああ、俺が落ちてきたところに丁度アンタがいて、受け止めてやれて俺に怪我がなかったから、丁度良かった?
なんだ、ツラに似合わず善人なのかこの男。
まあいいか。取り合えず俺は納得した。ああ、なんか痛ェと思ったらガラスの破片であちこち切ってやがる。パズーは平気だったのか?
地に足を着けようと地面の方を見る。
しかし、俺がソイツの顔から視線を逸らしたと同時に、男はしっかりと俺を支えていた腕を、あっさりと、降ろした。
え?
死ねよニュートン。そう思った。
またまた、衝撃。でもさっきの比じゃねぇ。
俺の腰は全体重を引き受けてコンクリートとの相性を良くした。友好条約に調印。歴史的。
「あ」の形に口を開け、俺は声も出せずに身をよじる。なんともいえない、じぃんと響く痺れに近い痛み。
誰だコイツを善人なんて言ったのは。
蒙古斑でも出来ていようものなら一生かけて呪ってやる。
ちょっとだけ気が遠くなった俺の視界の隅っこを、何だか黒っぽい物体が素早くよぎった。良すぎる俺の動体視力は、こんな時でもしっかりとその正体を見極めた。
ごつい、大きな、銃。何だその展開。
がぅん!がぅんっ!
腹に響く重い音。
遥か頭上で悲鳴が上がった。
顔を向けると、窓から身を乗り出していた黒スーツがのけぞって倒れ込むのが見えた。良かった、ココに落ちて来ねぇで。
俺は視線をそこから少しだけ下げた。
目に入ったのは映画のように決まったポーズ。見間違いじゃなく硝煙を上げる黒い塊。
俺は悲しい気分で男のあだ名を変更することにした。
だってパズーは銃なんて連射しないもん。
素人の俺から見ても見事な動作で、男は銃を腹巻きの中へ戻した。イヤ格好悪ィけどな腹巻きだから!
極めて混乱した頭で考える。
ナニ、コイツ?
当たり前だがどんなに俺の常識を検索しても答えは出ない。
大体が俺、考えたら(考えなくても)今この男がめっちゃ容赦なく撃ち倒した黒スーツの素性すら知らねぇし。なんで俺が追われてたのかもわかんねぇし。更に言うなら俺の部屋が爆発した理由とかホントマジ誰か教えろよってカンジだし
………ああ、多分。今この瞬間、俺、戻ってきたんじゃね?
ただいま、至極真っ当な俺の精神ワールド。
ようやく俺は、反射以外で物事を考えられるようになって来たらしい。
しかしだ。
さっきまでは俺、現実逃避ってたからパニックになんなかったんだよな。じゃなきゃもっと取り乱してるっての、自慢じゃねぇけどめっちゃ小市民にカスタマイズされてるし。お星サマに向かって「平穏無事」とか三回願うし。野望はアレだ、お嫁さんと白い犬と一戸建て。
でも、とりあえずの命の危険は去ったから。
ようやく帰り着いた筈の俺の至極真っ当な以下略は大混乱だ。
………ソレって全く意味ねぇ。
待て俺落ち着け俺冷静になれ俺。
この状況を考えろ、命の安全を第一に最優先に、俺の普通世界に戻るには?
キーポイントとしては。
・俺を追っかけてきた謎の黒スーツらは行動不能。
・何処をどう見ても警官には見えない怪しい男が銃を所持している。
・男は善人ではないと言うことがわかった。
簡単だ。
アレだ、鎖のついてない猛犬種とバッタリ、ってパターンに対しての対処だ。
注意を引かない態度で(でも可能な限り速く)逃げろ俺。
俺は「大抵誰にでも通用する人畜無害な笑み」を浮かべると(勿論背中には冷や汗をかつてないくらいにかいてたが)そろそろと立ち上がる。
手櫛で髪を整えながら、こっそりと一歩下がった。
「いやぁ助かったよお兄さん」
可能な限り「特に特徴のない何でもない声」を使い、言葉を高速かつ連打で押しつける。
気合いだ。必要なのはソレだけだ。
「本当に本当に本当にアリガトウゴザイマシタ変な人たちにつけ回されて困ってたんスよ話題古いけどストーカーって奴みたいで感謝してもしきれないなァ何かお礼をしなきゃいけないんだろうけど生憎ナニも持ってなくてさイヤ俺マジでノーマネーなあげくノー金目の物だから襲っても何の得もなくてコレ信じてね本当だから重要ポイントだから!病弱な母さんと7人の兄弟が俺を待ってるんだお腹を空かせてってか母さん危篤だからマッハで帰らないと死に目にあえないし親不孝だしでとにかくアンタにはめっちゃ感謝してる感動してる愛してる(から逃がして下さい)」
笑顔を張り付けたまま俺はくるりときびすを返した。
Run away.
がしっ。
……………ああ。わかってた、わかってたよ。
こうなるんじゃないかと思ってたんだよな。何故かはわかんねぇんだけどな。
男は無言で俺の体を持ち上げた。
ひょい、って。アンタ。
俺はナニ?この扱いはナニ?荷物か?そしてお前は黒猫ヤマトの回し者なのか?
肩に担がれた俺は、取り合えず当然のアクションをしてみた。独創性なんてのはこの際無視だ、無視。
「ぎゃああああああああああっっ!ひ、人さらいっ!!」
朝靄の中に、俺の悲鳴だけが虚しくエコーした。
男は無言で歩き出した。
ノーリアクションかよ。
よーしサイボーグだ。俺は結論付けた。
サイボーグが相手じゃ泣き落としは通用しねぇだろなァ………
ダメじゃん。
当たり前だけど俺ん中、サイボーグ相手の行動パターンなんて登録されてねぇし、こんな大人になってから誘拐されるとか考えたことも、ねぇ。
………や、ソレを言うなら部屋大爆発→人造人間に誘拐されコンボもかなりぶっ飛んで予想外だけどよ。こんな自伝とか、読んでも「ハイ、嘘」ってカンジだしな。ってか俺だったらそう言うし。
「ちょっ、オイ!降ろせよっ!!」
でもま、一応抗議してみた。落とせ、じゃねぇぞ降ろせだからな!?
じたばたと手足を動かしてもみた。俺の全力を使って、固い背中をばしばしと叩く。空を蹴って、身をよじる。息まで切らせて、暴れて、それなのに。
全っ然、動じもしないで一言。
「………………クロールの練習か?」
カッチーン。
頭にキた。
目覚めてから今までに溜まりに溜まっていたフラストレーションがリミットを振り切ったカンジだ。格ゲーなら最終奥義が出てるトコだぜコレは。
But.
善良なる一般市民の奥義は、他の職種とはちょっと違ってくる。
我慢。そして忍耐。
銃を持ってる危険人物に噛みつく勇気なんざ、俺にゃナイっての。そういうのは、そう言う役割の奴にやらせとけ。俺、あんパンじゃねぇし。
さんざ抵抗して暴れて、そんで銃声一発でGAME OVERなんて。
ありがちすぎて笑えねぇだろ?少なくとも俺は笑わねぇ。
―――がぅんっ!!
びりびりと震える空気。
ここ十数分でいきなり親密度がアップした音だ。耳の痛みは親愛の証か。
………ああ勿論、銃声を認識出来た俺は生きてる。いちいち確認するコトじゃねぇ筈なんだケドよ。
自分の感覚を信じるなら、その破壊力超満載な鉛の塊は俺の右耳横数十センチのトコを抜けたっぽくて。や、ついさっきの状況に比べれば危険度は低かったんだろよ、でも言いたいのはそんなコトじゃなくてな。
俺は、そんなに自信のない背筋力をめいっぱい活用して、のけぞって後ろを見た。つまり、サイボーグが向いている方をだ。
………………まだいたんかい。
黒スーツ。イヤさっき俺を追いかけてたヤツらとは別人なんだろうが、全体的な印象に変わりはねぇ。
増殖?
ひとり、ふたり、さんにん、よにん、ごにん、ろく…………
ぐえ。
俺が数え終わる前に、視界がぐるんと回った。横に百八十度。脳みその血液が一瞬左側に偏る。
まあつまり、簡単に言えばサイボーグが回れ右した、ってコトだ。
「っっ!!」
度重なる銃声。
つ、と俺の頬からなま暖かい物が滑り落ちた。イヤ、汗じゃねぇからな?
コイツが後ろを向いたってコトは、俺が黒スーツ達の方を向いたってコトで。
バッチリ目が合いました。
Hello,everybady.
ああ、こんな時にも笑顔が出てくるのは悲しい習性ってヤツですか?
んなコト考える暇もなく。
がくん、体が揺れる。
パワフル高性能なサイボーグは、俺を担いだまま走り始めた。
当然、俺の体は後ろ向きで大暴走。尋常じゃねぇ速さ。ターボだ。
「…………ぅわああああああああああむぐっっ!?」
当然の如く舌噛んだ。
右にG。
硝子が派手に割れた。
左にG
ポリバケツの蓋が欠けた。
右にG。
壁に穴が開いた。
左にG。
黒スーツが一人こけた。
右に………
…………気持ち悪くなってきた。
テメェら、人事だと思ってパンパン撃ちやがって。
俺の命は一個っきゃねぇんだっての。
上下にバウンド、左右に捻り。
とどめに銃弾シャワーのサービス。
追われるサイボーグ。追う黒服。運ばれる俺。
今更だけど。めっちゃ今更だけど言わせてくれ。
何で俺、こんな目に遭ってんの?
悲しくなって目を閉じた。
ひとつ賢くなったぜ俺は。ナメんな。
ココから先の人生があったら、今度から荷物は丁寧に運ぼうと思った。
奴らにもきっと、沢山言いたいことがあるに違いないからだ。