某月某日。
俺の朝の目覚めはクソ最高だった。







『ある平凡なる一般市民の非日常生活』







些細なコトだ。そう、ホントにな。
地方の新聞記事の片隅に、ほんの少しだけ居場所を確保するくらいの出来事。毎朝それを読むその他大勢に取っちゃ、さほど注目するに値しない。
へえ。ふうん。そうなの?その三単語で、事件達は脳内の『どうでもいいこと』の棚へとファイルされる。最後の仕上げにタイトルシールをくっつけりゃ完成だ、『特に何事も起こらなかった平凡な日々』。

All right.

俺だってその言葉はダイスキだ。スリリングな人生なんて、NOVELかMOVIE、疑似体験で充分だろ。細く長くは俺の信条。
万歳、高低差3センチの人生。適度に楽しく、たまには落ち込む。幸せって奴だって、それでそれなりに掴める。希望死因は老衰、もしくは腹上死だ。

クソ、足が痛ェ。

きっと、窓から飛び降りたときの着地が原因だ。
あ、勿論俺はちゃんとしたマナーの備わった常識人だから。部屋の出入りにはドアを使うぜ?いつもはな。
だが今朝は―――

ばんっっ!

気の抜けた音を立ててすぐ脇にあったゴミ袋が弾けた。
結構な速度でかこんと頭にぶつかったのは空き缶。
目の下に張り付いたのはなんか粘着質な物体。クソ、俺はキレイ好きだってのに。
払い落としている余裕なんか一グラムもありゃしねぇ、俺は遠心力に振り回され、体を妙なカンジにひねりながら角を曲がった。曲がりきれずに横手の壁に一度激突したが、足は止めなかった。

もうわかってるとは思うが。
俺は今、必死なんだよ。






唐突に―――そう、ホントに唐突に。
俺の部屋が今朝方、爆発した。

キモチヨク熟睡してたのをいきなり爆音で叩き起こされて。爆風に飛ばされて窓から落っこちかけた。まるでスラップスティックコメディのノリだが、やってる当事者はたまったモンじゃねぇ。
運良く窓が開いてなかったら(夜、寝苦しかったから開けておいたんだ。VIVA俺)全身ガラスまみれ、速攻血塗れ、最短記録でThe endだったに違いない。やっぱ、スプラッタよりはコメディの方がまだマシ。

抱えてた毛布の端っこが窓の下に飛び出た釘にひっかかって、一瞬だけ体を支えてくれた。が、俺の重みですぐ裂けちまった。万有引力の法則ってのはいつでも何処でも誰にでも、平等に働きかける。ニュートンに罪はねぇんだよな、多分。

だからまあ、飛び降りたと言うよりは飛んで落ちた、と言った方が正しい。

俺はパン屋の二階に下宿してるんだが、部屋はもうきっと再起不能だ。ドア側の壁吹っ飛んでたしな。高価なモンは置いてなかったが、持ち物もほとんど全滅だろうよ。アフターサーヴィスも期待出来ねぇよ泣けてくる。

なんで?ってのは俺が訊きてェ。
後ろからしつっこく追っかけて来てる、いかにもな黒スーツの二人組に訊いてくれ。

「待ちやがれ!」

待つか馬鹿。

走る走る走る。
俺はいわゆる、脚力には相当自信がある。
百メートルは十秒フラット。
それに任せて、曲がりくねった細い道を選んで逃げ続けてる。朝っぱらからよくやるね?キミタチ。第二の俺が右斜め後ろで囁く。

うるせぇよ。

大体が俺、半裸なんだよ。昨日は疲れてて、上着を脱いだらすぐベッドにダイブしたんだっつーの。夢も見てねぇっつーの。だからボロッボロに擦り切れたジーンズに、何故か靴をかたっぽだけ履いてる。走りにくいコトこの上ねぇよ。
多分足の裏、砂利やガラスの破片なんかで悲惨なコトになってっんだろーな………ま、幸運なコトに、ただいまバリバリ興奮中の脳味噌サマには痛みが伝達されて来ねぇ。ちょっとピリピリするくらい。捻った足首も、なんとか我慢出来てる。
朝靄にけぶるダウンタウンを、ビックリするくらいの速度で駆け抜けていく俺。
何かにつまづいてコケかけて、頭上を鉛玉が掠めた。金色の髪が千切れて、はらはらと舞う。

絶体絶命、天国まで後百センチ。

ぱぁんっ!

鋭い、とはいえない。なんか変に間の抜けた音。
丁度踏み出したつま先当たりの地面がえぐれる。
どくん。心臓が口元までせり上がった。

マジ死ぬ。

ええと………ヒロインの大ピンチには必ずヒーローが駆けつけてくれるモンだよな。
んじゃソレが、何の変哲もない平凡な一般市民(男)の場合は?
ジブンデナントカシマショウネ。タニンヲタヨッチャイケマセン。
嗚呼、やっぱ人生ってノンシュガーだ。イヤかなり前から知ってたけど。

カミサマ。俺は何かそんなに悪いコトをしましたか?

当たりかけた銃弾と、捻った足首のせいで姿勢を崩して前につんのめる。
足を止めたら終わりだって、思ってたのにな。

こりゃ、今日はバイトにゃ行けねェみたい。ホントゴメンね、マキノさん。

反射的に手のひらを突き出した。
がつんとそれが地面と衝突する感触。慣性に従って、ふわり、足が浮く。
俺はそのまま飛び込み前転しようとして―――

肘がぐきっと折れて後頭部を派手にぶつけた。

「ハハ…………」

くわんくわんと世界が回る。
大体そんなスタントマンみたいな真似が出来るか!今更そう思った。遅ぇ。
しりもちをついたまま、何とか頭を起こす。頭の後ろっかわに平たい痛みがへばりついて、平衡感覚を危うくしている。思わずソコに手を当てて。

「クソ、格好悪ィ」
「そうだな」

俺は、ばっと肩越しに振り返った。急激すぎてGを感じるくらいに。
ひたり。俺の額にポイントされた銃。ワーオ、こんな間近で本物見たの初めてだぜ。

「手こずらせやがって………」

憎々しげに毒づく。
ごくり、と俺は唾を飲もうとしたが、舌までカラカラに渇いてやがる。
もう一人の男は、銃を脇の下のホルスターにしまい込むと、代わりに胸ポケットを探って煙草を取り出した。
しゅぼ、とジッポで火を点ける。見せつけるように深々と息を吐き出して。

「お、お疲れさまデス………」

俺は取り合えず友好の証に、へらりと笑って手を振って見せた。
仲良くしようぜ、Brother.

ぱんっ

その返答はこんな音。
人類皆兄弟。そんなの嘘っパチだ。

股の間の地面に、人差し指を突っ込んだ位の穴が開いてる。
つつ、と冷や汗が背中を滑った。

「お悔やみの時間をやる」

………今時、素でこんな台詞言える奴いたんだなァ。
俺は変なところに感心しながら、お言葉に甘えるコトにした。
反転して奴等と向き合うと、かくりと首を垂れさせて大人しくする。
煙草の男が、つまらなそうに相棒に促した。

「おい、とっとと終わらせて―――」
「ぐ、がはっ!!………ぐぎゃっ?!」

喉を押さえ、俺は唐突に咳き込んだ。
身をよじり普通でない勢いで足をバタつかせる。
俺の急変に、男達も驚いて身をかがめた。

「なんだ………!?」

ばっ

俺はこっそり掴んでいた道路の砂利と細かい砂を、二人の目を狙って投げつけた。
こういうシンプルな手段が、一番効果的だよな。
結果を見届けることもせず、弾かれたように立ち上がって駆け出す。
背中の向こうで罵声が上がった。
こんな単純な手にひっかかるとは思わなかったぜ。
まあコレで、今度は一瞬も遊ばずにブチ殺されるってのは決定したな。
第三の俺が、左斜め後ろでまた呟いた。

急いで角を曲がる。
どうにかして人通りのあるトコに出られれば、いきなり撃ち殺されることはない―――なんて事はない。
なんてったってココはダウンタウンだ。見ざる言わざる聞かざるは、長生きする秘訣。ミッドタウンまで逃げられれば、そうでもないんだろうが流石にそりゃ無理だ。
考えれば考えるほど………実はお先真っ暗じゃねぇか俺?
激しい自分自身の呼吸音に紛れて、復活したらしい男達の足音が聞こえる。

「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」

もう一度違う路地に飛び込んで、今度は崩れかけた廃屋の中へ逃げ込んだ。よく考えたら、コレで外に出る場所なかったら終わりじゃん。
飛び込んだ玄関。一歩進んで右に向かって横っ飛びに転がる。受け身も取れずに肩から突っ込んだ。ばん、ばん、と外れかけたちょうつがいの木の扉に、穴が開く。一瞬遅かったら死んでた?気にしないことにしよう。

ああ、また足捻ってる。

悪態をついている暇はない。
立ち上がると、短い廊下を進んだ。二歩ほど走る。
俺のむき出しの肩や腕には細かい傷がいっぱい付いていて。突き当たりに置いてあった割れた鏡にソレが映っていたのが一瞬見えた。
横手の部屋に走り込むと、開いた窓。
考えている暇はない。窓のサッシに俺が足をかけるのと、部屋の入り口に追っ手が立つのがほとんど同時だった。
で、撃つんだよな。きっと。

がしゃああん!

窓硝子が割れる。
俺はきらきらと光るそれらと共に、為す術もなく落下した。
第三者が見たら、こういうのって結構綺麗な光景だけど。
何の慰めにもならないことを考えながら、俺は目を見張った。

飛び出した窓の先には、地面がなかった。

イヤ、あることはあるんだが、かなり下の方にあんだ。
何だってこんなめちゃくちゃな作りしてんだ、ダウンタウンって奴は!

「う、わああああああああああっっっっっっ!?」

本日二度目のフリーフォール。
丁度俺の落下地点と予測される場所には、一人の男がいた。
一目で尋常な生命体ではないとわかる、緑色の髪の毛。尋常な思考形態ではないとわかる、緑色の腹巻き。
そんな時間はなかった筈なんだけど、こういう時ってスローモーションだろ?全部。細かいトコまで観察出来た。
マヌケに口をぽかんと開けて、目を丸くして。落ちてくる俺を見上げてる。

ああ―――なんというか。
俺は笑ってしまった。余裕があれば爆笑したかった。






なにやってんだかね。






よぉ、ミドリの兄ちゃん。アンタも災難だぜ。

言っとくが、いくら空から降ってきたって、俺は天使じゃねぇからな。



GO!