人斬り=人でなし。




「………………まいった」

 何処までも広がる青い空。
 何処までも広がる青い海。

 ゾロが迷子になるのはいつものことだ。が。

 迷子と遭難の違いは何処にあるのだろう、と思う。
 命の危険があるかどうか、ならば。多分これは立派に遭難だろう。

 事の発端はと言えば。

 あんまり暑いので、鍛錬を兼ねて泳ごうと思ったのだ。
 思い立ったら即実行。

 上半身だけ服を脱いで、さばんと海に飛び込んだ。
 勿論GM号は動いていたが、ゾロの体力ならさしてついていくのに苦労もなく。

 どんどん泳いでいたのだけれど。
 確かに水は気持ちが良く、べたついた汗を流してくれた。


 ただし、ここはグランドライン。


 鉢合わせたのはトラとサメを足して2で割ったような生物だった。
 当然刀はおいてきていたので、ゾロは素手でそいつと殺し合いをする羽目になったのだ。
 いくらゾロが化け物並みに強いと言っても、そこは海の中。
 二、三時間にも渡る激闘の挙げ句、危うく腕を持っていかれそうになった。
 今も、ゾロの右腕の巨大な咬み傷からは、じくじくと赤い血がにじみ出ている。

 それはもう、死闘だった。

 トラサメ(勝手に命名)は大きさこそゾロと同程度だったが、巨大な牙を持ち、目は血走って真っ赤。何故か尻尾があったようにも思う。
 刀がないゾロは徹底的に決め手に欠けたが、何度も何度も頭を殴りつけているとやがてぐったりとなったから、多分自分の勝ちだろう。ただし、極度に乱用した両拳は、皮膚がずる剥けて悲惨なことになっていた。海水がしみてひりひりとする。

 トラサメに勝ったはいいが、当然の如くGM号はゾロの視界から消失。ずっと海に浮いているわけにもいかないので、取り合えず真っ直ぐ真っ直ぐ泳いできたのだ。
 丸一昼夜。
 流石に疲れ果て、目が霞んできたところに島が見えた。
 ゾロは最後の気力を振り絞ってその海岸に辿り着き、そこで糸が切れたように眠り込んだ。

 そして今、目が覚めたのだ。

 非常に喉が渇いていた。
 腹も減っている、と思う。

 日差しはさんさんと降り注ぎ、まぶしいぐらい。
 ゾロの肌をじりじりと焦がしている。

「まいった…………」

 自分はただ、涼を取りたかっただけなのだが。
 咬まれた傷はもはや痛くもない。

 深いことはわかっているので治療したいが、取り合えずその気力もない。
 ゾロはぼんやりと空を眺めていた。

 もう一眠りしよう。
 そうしてから、動き出そう。

 ここが栄えた島なのかそれとも人っ子一人いない無人島なのか、それすらわからないけれど。
 水があるのか食料があるのか、それもわからないけれど。
 感覚がない右手はもしかして、神経までやられてしまっているのか、まったくわからないけれど。

 ゾロにとって最優先されるべきは襲いかかってきた眠気を撃退することだった。
 眠気を撃退するには寝るしかないというのが、19年間生きてきたゾロの結論である。

 ゾロは目を閉じた。



+++ +++ +++



 綺麗な黒髪の、その娘の名はラヴィと言った。
 行き倒れていたゾロを拾って、宿を貸してくれた娘。
 にこにこと人の良い微笑みを浮かべ、明らかに堅気でない雰囲気のゾロに対しても友好的だ。全く警戒心がないのはどうかと思うが。

 この島には中規模の港があり、その外れにラヴィの家はある。
 ゾロは、すぐに立ち去ろうと思ったのだが、思いの外深かった両拳と右腕の傷が治るまではと、引き留められていた。
 ゾロにとっても、島を出て何処に向かったらいいのかすらわからないので、ここでGM号の迎えを待つことにしたのだ。勘のいい船長と凄腕航海士なら、この辺りの島を当たってくれるだろう、と楽観的に。

 ラヴィには親はなく、ベビーシッターの真似事のようなことをして金を稼いでいるのだという。
 居候の分際で喰ってばかりいるのは気が引けるが、手が使えないので手伝いもできない。昔に戻り、賞金首でも見かけたら狩ってやろうかとも思ったのだが、平和そうなこの島ではそれも難しい。刀もない。

 自然、ゾロは手持ちぶさただ。
 鍛錬もできない、ストレスも溜まる。

 ぶらぶらと港をうろつき、ラヴィに捜され保護して貰う日々が、四日ばかり続いた。家族というものに縁がなかったので、弟が出来たみたいで嬉しい、とラヴィは言った。無愛想な19の男に、弟役を割り振るのはどうかと思うが、家に帰った時にただいまを言う相手がいるといないのでは大違いらしい。
 ラヴィは特にゾロに構うわけでもなく、こじんまりとしたその家の居心地は悪くなかった。なんとなく、気が引けるだけで。

平和だ。

こんな生活もあるのだな、と思った。



 しかし、困ったことにゾロはあまりきちんと認識していない。





 自分がどんなに恨みをかいやすい性質であるかという事を。

 そして、その緑の頭がどんなに目立つかという事を。



 薄暗い路地裏で蠢くような奴らは、どんな小さな街にでもいる。