人斬り=人でなし。
人斬り=人でなし。
と言うわけで、目下ゾロの仕事は留守番である。
「なんか、落ち着かねぇんだよなぁ」
ゾロは無意識に、普段は刀が下がっている筈の脇腹、腰骨の当たりを撫でた。
当てた手に鋭い痛みが走り、ゾロは軽く眉をひそめる。まだ治らない傷の為だが、それよりも。
すかすかする、という表現がゾロが思い付く限りでは一番妥当な物だった。
船においてきたままの、ゾロの三本の刀。
まさに肌身離さず持ち歩いてきたそれがないと、歩くことにすら違和感を感じる。
取り合えず代用品でもいいから刀を手に入れたかったが、ゾロは一文無しだった。実際、自分の持ち物と言えば腹巻きとズボン。靴や上着すらないのだ。流石にそれはラヴィが用意してくれたが、まさか刀までたかる気はない。大体がこの村にそんな物騒な物はぽこぽこ置いていないようだった。
「ん」
ふと他人の気配を感じ、ゾロは顔をあげた。殺気ではない。
玄関の方で、ぱさり、軽い物が落ちる音。
郵便受けはちゃんと家の前についているだろうに、どうしたことか。
ゾロはのろのろと腰を上げると、玄関へ向かった。
そこには、丁寧に細長く折り畳まれた紙が落ちている。
ゾロはそれを無造作に拾い上げた。
「………和紙?」
珍しい。
表には墨で黒々と『果たし状』と書かれている。
「…………………」
ゾロはしばし沈黙した。
まさかラヴィにこんな物が送りつけられてくるわけはない………とは思うのだが、一応彼女に確認を取った方がいいだろう。
九割九分九厘ゾロ宛だろうが、万一間違った場合人の手紙を読んでしまうことになる。それは、許し難い非礼だろう。
ゾロはその手紙を、何とはなしに弄んだ。
「………『果たし状』、ねぇ」
今時こんな物を素面で送りつけてくる奴はそうそういない。
ゾロは取りあえず、「なんとも言えない表情」を作ってみた。誰に見せるわけでもなかったが。
+++ +++ +++
その手紙の趣旨は、至極わかりやすかった。
敵討ちらしい。
差出人の名前はカーダ・テヅカ。ゾロに兄を殺されたそうだ。
狩った賞金首などいちいち覚えていない………と言いたい所だが、『ソーマ・テヅカ』この名は覚えていた。
ゾロと同じ、刀使いだった。ああ、そう言えば賞金首ではない。
世界一へのワンステップ、だったのか。
実力は拮抗していた。相手も同じ野望を持っていた。若かった、多分あの時二十歳を過ぎるか過ぎないかくらいの。
潔い男だった。
それだけ思い出して、ゾロは目を閉じた。
場所は村から離れた山の中。時間は明日の夜。
刀はなかったが、行かない理由もなかった。
目を閉じたゾロはすぐに眠りに就いた。
+++ +++ +++
…………甘かったの、か?
霞む意識の中で、ゾロはそう考えていた。
遠慮容赦など一欠片もなく打ち下ろされる棍棒。これが刃なら、ゾロは既に三センチ角の肉片になっていたことだろう。
なぶり殺しにするなら、むしろ鈍器の方がいい。
半分潰れた目をこじ開ければ、数メートル先にカーダ・テヅカの姿が見えた。
兄とよく似た顔だ。
性質までは、似なかったらしいが。
「あはははははははは!!」
耳障りなけたたましい笑い声。
カーダ・テヅカはニィ、と唇をつり上げた。
「全く、ここまでのマヌケだとは思ってなかったぜぇ、ロロノア・ゾロ。よくもそんなザマで魔獣だとか呼ばれてたモンだ!」
ごふ、とゾロは血を吐いた。
内臓が破裂しているのは確かだ。
―――呼び出しに応じたゾロを待ち受けたのは、降るほどの矢だった。
普段ならば即座に刀を抜いて全て叩き落としただろうが、生憎腰にやった手は空を切った。
首と目、そして心臓はなんとかかばったが、全部で七、八本は受けた事だろう。
もとからあった傷と相まって、常人なら三度ほど死ななければならない状態。
…………そしてこの、十数人が入れ替わり立ち替わりでのサンドバッグだ。
「兄貴の敵討ちだと!?そんなんどーでもイーんだよ、俺が欲しいのはお前にかかったカネだ!カ・ネ!!お前はバカだねぇ、昔の義理でのこのこと!真っ正直に!想像力ってモンがねぇのかい?」
にやけた首を跳ね飛ばしてやりたい。
ゾロは切実にそう思った。
がっ、と鈍い音がしてこめかみに衝撃が走る。
景色がぶれて、酷い吐き気がする。
音頭をとっているのはカーダらしいが、この場にいる人間のほとんどはゾロに恨みを持っているらしい。一撃一撃に、充分な悪意がこもっている。
腕も足も、骨が折れている。鎖骨もか。
赤絵の具を降りかけた雑巾のようなゾロを、カーダは満足げに見つめた。
「―――よし、止めろ」
その声に、名残惜しげに倒れたゾロから男達が離れた。
訝しげに、ゾロは目だけでカーダを見上げた。
「立てよ、ロロノア」
「……………………」
ゾロは、十数秒ほどもかけてよろよろと立ち上がった。立てたのが不思議だった。物理的におかしい。
自身の血が大地を染めているのを、無感動に眺める。
「敵討ちってのも嘘じゃネェってトコを見せてやんねーとな。俺もちったぁ剣が使えるんだぜぇ?」
カーダの背後の木の幹には、ラヴィが縛り付けられていた。ゾロが家を出た後すぐにさらってきたらしい。
ゾロに矢をいかけ、なおかつラヴィを人質に抵抗しないことを要求したのだ。
見事なまでに悪役に徹してくれている。感謝は勿論出来ない。
「もう足掻いてもいいぜぇ、どうせ今の状態じゃ」
殊更に嘲笑うように、カーダはゾロに告げる。
「俺の方が腕が立つしな?ハ、未来のダイケンゴウより強いとなりゃ、自慢になるじゃねぇか」
「…………………」
「ほら。抵抗しろよ」
見せつけるようにラヴィの縄を解く。
人質は解放された。ゾロが動くのは自由だ。
…………動けたら、の話だが。
口を利くのも億劫だった。激痛が伴うのだ。
カーダの狙いはわかった。このまま、あくまで『一騎打ち』という形式をとりながらゾロをなぶり殺すのだ。金のついでに、名声まで欲しいらしい。
そもそもゾロは刀すら持っていないのだからお笑いぐさだが。
ふひゅ、と間抜けな音を立てて、カーダの手に握られた刃が振り下ろされた。
腰が入っていない。握りが甘い。
いくらでも欠点が並べ立てられる動きだが、それでもその一撃をゾロはかわせなかった。胸が浅く裂ける。
ゾロはよろめいて一歩下がった。
憎悪を込めた視線を、カーダに送る。
認めたくはないが、それしか出来ることがない。
………やはり、甘かった。
敵討ち、という言葉の響きに騙されたのか。人質まで取るような奴らを、ソーマの名だけで信用してしまった。
「ぐはっ」
二度、三度。カーダの剣がゾロの胸を抉る。
がくり、とゾロは膝をついた。既に膝も割られていたため、その動作は容赦なくゾロのダメージを増やしたが。
「が………」
痛みが遠のいている。
全身が、震えるほど寒い。
「ははははは」
ぷしゅ、と音がして、なま暖かい液体が肩を伝った。
ゾロの耳が半分ほど切り裂かれたのだ。………首だったら、終わっていたのに。
つくづく悪趣味な男だ。
だがまあ、遠からず殺される事だけは変更不能事項なわけで。
「……………………」
何故、ここまでの虚脱感が全身を襲うのだろう。
ゾロはそう疑問に思った。
何故こんな事が許される?
死ぬ。
負ける。
……………こんな男に、だ。
世界一を志し、同じ夢を持つ人間を踏みつけ、今まで生きてきた。
ソーマ・テヅカも。他の数々の人間も。
忘れたことはない。彼らのあげた血飛沫を。悲鳴を。
粉々に打ち砕かれたときの絶望を。
それを正面から浴びた自分を。
夢同士をぶつけ合い、存分に筋を通して散っていった。ゾロの夢の糧になった。
―――それが、剣士でもない下劣な男に斬られて終わる。
何故そんなことが許される………?
だが、どうにもならない。
腕の感覚は既に無く、目もまともに開かない。
都合良く助けなど来るあても、ない。
しかしゾロは瞼を閉じなかった。
膝をついたまま、目を光らせてカーダを睨みあげる。
普段なら目を瞑っていても殺せるような、ちっぽけな男。
自分より弱い者の前にしか立てない、くだらない男。
――――刀さえ、あれば。この男を、切り刻んでやるのに。
ここまで切実にそれを欲した事が、今まであっただろうか?
ずたずたに土と血に汚れた包帯。それを巻かれたゾロの拳が、ぎゅうっと握りしめられた。絞ったかのように血がこぼれる。
軽蔑すべき人種に貶められることへの怒り。
そのゾロを見下ろして、カーダはこう言った。
「そーだな、刀さえあればねぇ。俺なんか瞬殺出来るのにねぇ!」
…………………あ?
薄れかけているゾロの意識の片隅に、何かがひっかかった。
なんだと………?
この男は、今――――
「ちゃんとわかってあげてるよ、ロロノア。ホントはもっと強いんだろ?ホントはさ!人質がいなくて怪我してなければさ!!あはははははははは!!」
……………この男は今、なんと言った?
それを把握したとき。
か、とゾロの瞼の裏が赤く染まった。
気付いた。
何という愚鈍さか。
カーダに嘲笑されて、今気付いた。
刀 サ エ ア レ バ ………?
俺は、今、そう、思ったか?
痛みよりも憤りの感情が全身を灼く。
無音の叫びがゾロの喉を抉った。
こんな姿は誰にも見せられない。
何故なら。
―――― これは 最大の 恥辱だ。
なんてちっぽけな。
なんてくだらない。
………それは、俺のことだ。
羞恥心で死ねるなら、この瞬間にゾロの心臓は止まっていたことだろう。
「……………ふ、ははははははは」
これはカーダの笑い声ではない。
一方的な攻撃をまわりで見物していた男達が、気味悪げに顔を見合わせた。
牙を抜かれた魔獣が、心底おかしそうに笑い出したのを見て。
「壊れたか………?」
声を潜めて囁き合う。
それを聞いて、ゾロは笑い声を大きくした。
…………自身のこんなざまを許していいか?
認めて、いいのか?
答えは、否だ。