another side







目の前の男の行動を考え、その動機を考え、そしてその結末を目の当たりにして、コーザはこう言った。

「……馬鹿かお前は。一体何を考えている」
「あんなァ……そんなんいっつも咄嗟にやっちゃうモンなんだよ。致命的に馬鹿な事ってのはよ。考えてやらねぇから、馬鹿になるんだろがよ」

壁に背を預けて座り込み、十数個の銃口に晒されながら、それでもその男の態度は変わらなかった。
その脇には、先ほどまで男が担いでいた死体が放り出されている。てっきり『デアデビル』だと思っていたのだが、闇夜のせいもあってかダミーに惑わされたようだ。

いつから摩り替わっていたのかは定かではない。
この男には散々引き摺りまわされたから、別れた場所の特定も難しい。
それがわかったとして、最早その場所には居ないだろうな、とコーザは考えた。
しかし──『デアデビル』は満身創痍だと聞いている。では、この男を助けに来るなどという事もありえないだろう。ならば、人質として生かしておいても仕方がない。

裏切り者の末路はいつも同じだ。
その事実はコーザの情緒をなんら動かさなかった。だが、自分と同じ穴の狢の異常な行動の理由は気にかかる。

「何故、『デアデビル』を助けた?」
「なんでって、なァ」

その男は、咥えていた煙草を器用に上下に動かして、コーザを見上げた。
表情は、わからないとごねる子供に辛抱強く足し算を教える教師に近い。ちり、と不快感が胸に渦巻いた。

「助けたかったからだろ」
「くだらん」

コーザは引き金を引いた。
男の右肩がはじける。急所は狙わない──組織の裏切り者は、そう楽には死ねない。

純粋な気持ちでコーザは問いかけた。

「『デアデビル』は救うに値する人間なのか?」
「……」
「俺達は、そんなのじゃないだろう」

薄暗い路地裏で生きてきた人間、薄暗い路地裏で殺してきた人間は、薄暗い路地裏で、死ぬのが定めだ。
だから、コーザはこの男を苦しめて止めを刺す事に躊躇を覚えない。
自分達の運命は知っていた筈だ。つまり、この末路の覚悟があって、選んだ行動なのだろうから。

「……下手な情が身を滅ぼす」
「なんだよ……テメェにゃそういうの、ねェってのか?」
「それ以前にまずそんな相手がいないな」
「後ろにずらっと控えてんのは?」
「これはただの同僚だ」
「何が違う」
「躊躇いもなく見捨てられる。逆もまた当然だが」
「はーん」

馬鹿にしたように、男は鼻で笑った。コーザの眉が寄る。

「んなフカシこいてられんのも今のウチだぜ?俺は予言する」

煙草を吐き捨てて、ぴっと人差し指をコーザに突きつけて見せた。

「いつかテメェの目の前に、その馬鹿さ加減を放っておけない大馬鹿が現れるよ。テメェの全てをめちゃくちゃに引っかき回した挙げ句、根こそぎ奪って、溢れるくらいに与えてくれる。わかるか、お前はソイツを殺せない。ああ、絶対にだ。ちゃんと覚えとけよ?俺の台詞は必ず当たることになってる」

しあわせになれる、はずなんだよ。
男はそう言った。

「その日を指折り数えて待ちな、Baby」





+++ +++ +++





痛い。苦痛の中、食道を通って口に遡って来た苦くて生臭い液体を吐き出した。
聞こえてくる硬い声は、別に不愉快なモンじゃなかった。この有様は、俺が選んだ道の結果だ。

「……一度一線を越えたら、もう戻れない」

そうだ。そう思ってたさ。
コーザ、お前が今自分に言い聞かせているように。

「それくらい、わかっていた筈だがな」

わかってた。
俺達の業はどれだけ深い──生きていたいだなんて、臆面も無く言える奴がいたら尊敬するよ、マジで。

「汚れきった人間が、いまさらこの世界を抜けて何処へ行く気だった?」

コーザ、お前、想像した事もねェんだろ?
自分が幸せになれるかどうかなんて。

「何処へもいけないさ。生きても地獄だが……死んだところで、地獄行きだ」

幸せになってもいいかどうかなんて。

「そんな人殺しが、何処で生きていける?」

許すのは俺の役目じゃないし、お前でもない。そう、そんなものは誤魔化しだ。
だってお前も間違ってる。俺も間違ってる。アイツだって間違ってる。
みんなみんなみんなみんな、この世界はどこもかしこも間違ってる。

俺はうっすらと笑った。

「さあなァ……料理屋でも、開くさ」

だから頑張るしかねェんだろが。
それ以外に何があるんだ。

「知ってたか?人殺しだって……輪切りくらいは出来る」

笑う事が出来た。楽しかった。
お前だって知れば、きっと惜しくなる。

やり直せるかもって、夢、見るだろう?

「誰かのために、泣ける」
「────」
「……幸せになれる、筈なんだ……」

どん、という音がして、体が跳ねた。
耳鳴りがする。あえぎのような呼吸音と混じって、頭が痛い。
目が、見えなくなる。

妙な液体がぼたぼた垂れ落ちた。
みっともねぇ顔を見せたくなくて、俯く。

嫌だ。

「死にたく、ね……」
「──自分は散々殺しておいて、それは都合が良過ぎるだろう」

わかってる。今更、俺が何言ったって言い訳にしかならない。
自分のときだけ誰かが大目に見てくれるなんて奇跡、起こりようがない。
強い願いなら叶うなんて法則があったら、世の中不幸になる奴はいない。

「諦めろ」

嫌だ。
放っておけない、約束したんだ。置いてきちまったけど迎えに行く。
──でもわかってる、本当はそんなんじゃなくて。それだけじゃなくて。

「死にたくねえっ……!」

アイツの為とか、それよりも。
本当は、何より──俺が。死にたく、ない。

幸せになれるんだ。
幸せにしてやったら、俺だって幸せになれるんだ。
誰かの幸せを見てたら、俺だってそうなれるんだよ。
アイツが幸せになったら、俺だってそうなるんだよ。

「──無理だ」

煩ェ黙れ。
そんなの知ってた。
俺は本当は、卑怯で、臆病だった。
いつも、所詮こんなモンだろって小賢しく納得して、クールな振りしてただけだ。
まっすぐに苦しむより、『仕方ない』って割り切る方が楽だったんだ。

それでも罪悪感って奴は消えなくて、どれだけ隠しても俺自身はそれから逃れられなくて。
奪った代償に、与えたかった。誰より自分を許して欲しかったからだ。

けど本当は、聖人君子じゃなくて、頼りになる強い男じゃなくて、役に立つ優しい人じゃなくて──俺を、必要として欲しかった。
いつも願っていた。
誰かが、なりふり構わずに、俺を、他の誰でもないこの俺を、求めてくれたら。
それが理由になるから。
誰か、俺が必要だと言ってくれ。生きていていいと──言ってくれ。

『幸せになれる』と、言ってくれ。

「コーザ……コー、ザ……」
「──何だ」
「お前……『死ぬな』、って……言われた事、ねェだろ」

今ならわかる。
あいつに言った言葉は全部、俺こそが欲しかったものだ。
生きる為に生きたかった。それを肯定して貰いたかった。

「ハハ……馬鹿に、すんなよ。結構、良いモンだ、ぜ?」
「────」
「言うのも、恥かし、話……けど、さァ」
「────」
「俺、あんな嬉しかった事、他に、ない……」

俺だって、別にそんな強くなくて、
どうしたらいいのかわかんなくて、
余裕の顔の裏はいつでも怯えてて、
テメェに失望されんじゃねェかって、
怖くて、
ホントは優しくなんかなくて、
ヒーローなんかじゃないって、
死にたくないって、
でも、テメェが死ぬのだって嫌だって、

そう言いたかった。
俺はなんでそう言わなかったんだろう。

言って──そうしたら。そうしても。
もしかしたら、テメェは、それでも、俺を見限らなかったかもしれないのに。





























夢を見ていた。
馬鹿みてぇに幸せな夢だった。

俺にゃ絶対ェ届かないような世界を、俺は眺めていた。
俺はある平凡な一般市民で、別に喧嘩なんか強くなかったけど、俺にとっては、それは。
指一本で簡単に命を奪うより、ゴミ捨てをするヒーローより、格好良く思えた。
きらきら光る星を眺める気分だった。

──俺も、こんな風に、生きれたら、なァ。

『死ぬな』

こんな風に、生きたいなァ。

『死ぬな』

こんな風に、生きてみようかな──

『死ぬな』

「……うん」

ガキみてぇに、俺は頷いた。
奇跡ってのがあるなら──俺にとっては、これだろう。
全く色気のねェ奇跡だけど。
これ以上なんか、ない。

目の前に、あの馬鹿の慌てた馬鹿面が見えた。

俺は笑った。
ありがとうと言った。
涙が零れた。