another side






ゾロは、別に、あの男を捜しにいこうと、そんな事を思っていたわけではなかった。
ただ、こんな真似をしてくれた男に、主張したい事があっただけだ。

「っ……!!」

熱風に頬が炙られる。バックファイアを逃れる為に背にしていた壁だけが冷たい。
今投げた手榴弾が幾つ目かは覚えていないが、ラストであることは確かだった。舌打ちを一つ。

マシンガンに対抗するには、拳銃では荷が重い。
捕捉されないうちに場所を移動しなければならない。ゾロは身を翻した。

走る。
ゾロは、自分が行きたい場所など知らない。
『アルマニャック』の本部に突入した目的は、別にあの男に会うためでも、恨み言を言う為でもない。大体、あの男がここにいるかどうかも定かではないのだから、期待などする筈がない。

ただ、示してやろうと思ったのだ。ゾロは誰にも変えられたりしないと。
こうまですれば、耳に入らないわけがないだろう?

何処に逃げても、許すものか。

「……げほっ」

口の中に溜まった灰煙を吐き出して、ゾロは、細いけれども袋小路ではなさそうな通路を選んで走った。
曲がり角に現れた人影を、向こうが引き金を引く前に撃ち倒す。
まるで八つ当たりだ。わかっている。

「……は」

右肩は既に使えないが、足はまだやられていない。
こんなことをしてどうなるのか?そんな頭の悪い質問には、ゾロは答えたくなかった。

無論、死ぬだけだ。
ゾロは脱出のことなど、ちっとも考えていない。

そんな事よりも、この怒りをぶつけ、紛らわす方が重要だった。
ゾロは、ぐだぐだと色々なものを引き摺って、割り切れない日々を過ごすのはもう御免なのだ。

「っ!」

角を曲がって、ゾロは失策に気付いた。吹き抜けに出てしまった。ちらりと見えた階下には、銃器を手にした男たち。撃ち合うにはゾロは有利な場所に居るが、ここで足を止めるわけにはいかない。
背後からは複数の足音。まずはこれを片付けなくてはならなくなった。無論、時間がかかれば挟み撃ちになってしまうから、出来る限り迅速に。
ゾロは角に陣取って、タイミングを計った。3、2──
自分で呟いていたでたらめなカウントが終わる前に、飛び出す。

熱くなった銃身に構わず、左手を構えて、通路に躍り出る。相手が狙いを付ける前に──

がうんっ
がんっ
がうんっ
がうんっ

「──」

まずい。
ゾロの放った弾は二人の人間を撃ちぬいたが、身に走った衝撃に三人目を外した。
わき腹。防弾チョッキのおかげで血は出ないが、きついボディーブローを食らったも同然だ。

よろめいて体勢を崩したゾロは本能的に床を転がり、元の位置に戻った。
距離を詰められたのは確かで、見えた限りでは相手はあと二人はいる。宜しくない状況だった。
ゾロは起き上がった。

「!!!」

向こうも必死なのだろう、場所を確認したときには、もう触れ合うくらいの近さに居た。
間に壁はない。

がうんっ
ずががががががっ

胸を撃ちぬかれた男が持っていた機関銃が、でたらめに弾を吐き出す。

「────!」

やられた、と思った。ゾロの右の太ももから左のすねに掛けて、ミシンにでもかけられたように点々と穴が開く。

立っていられない。
その筈だったが、ゾロは倒れなかった。手の力で壁にしがみつく。ここで崩れたら、もう動けない。
一瞬後のことは考えていなかった。
それよりもまず、この一瞬を処理できなければ、次はない。

角を曲がってきた二人目の銃口が、ゾロの頭を狙う。撃ち返したかったが、今から腕を上げている暇はなかった。
避けろ。本能が命じる。さて、どうやって?

「──」

瞬間的に足の傷からの出血量が増えたのがわかる。
ゾロは渾身の力を込めて地を蹴り、手すりを越えた。

そして、落ちる。

「!!」

ゾロは、丁度そこに居た男の一人の上に墜落した。
ゾロにとってはやや幸運、男にとってはとてつもない不運。
ぼぎ、ばぎ、という聞きたくない音が、いろいろなところから聞こえた。ゾロの体から、男の体から。
そんな事には頓着せず、ゾロは動く上半身に力を込めて、身を起こし──

「っ!!」

がん
がんっ
がうんっ

そして、銃弾が降り注いだ。
勿論ゾロに、そして巻き込まれた男にも。

腹、胸、そしてこめかみ、とにかくいろいろなところに衝撃。
息が詰まって、ゾロは仰向けに倒れた。

やられたか、と、他人事のように思った。

「……」

しかし、死んだのに痛みがあってそれを感じ続けているのはおかしい。
ゾロの呼吸はまだ続いていた。致命的な部分は何処も壊れていないようだ。
悪運だけは強い。ただまあ、寿命は何秒か延びただけに過ぎないと思うが。

ざわ、と空気が動く音がした。
ゾロに近寄って、息の確認をしようとしていた『アルマニャック』達が、一歩下がる気配。
なんだろうとゾロは思い、霞む目の焦点をあわせた。

ひょい、とゾロを覗き込んだ顔。

「……」
「あーらら、ホントに『デアデビル』じゃねぇか」

ごろりとゾロを蹴り転がしてそう言った男には覚えがある。
『カルヴァドス』でだってその名は聞こえている、『アルマニャック』の腕利き、得体の知れない笑顔であっさりと人の命を奪う──

「──『ファイアブランド』」

ごきん

男はゾロの左手首を容赦なく踏み砕いた。ゾロとしても、当然の対応だろうという感想だ。
ゾロに反撃の手段を残しておくなど、余程の馬鹿でなければやらない。まず首を砕かれなかった方が疑問だ。

「ロロノア・ゾロ、お前何しに来たんだ?パスティスと真っ向からやりあう気なのかいそちらサンは?」
「……組織は関係ない」
「はァ?そんな言い訳が通用するかよ」
「知るか」

ゾロは吐き捨てた。
『カルヴァドス』には迷惑がかかるだろうが、知った事ではなかった。

『ファイアブランド』は面白がるように目を細めた。
そして、首だけ後ろに振り返って声を投げた。

「こちらそう言ってるけど、信用していいのか?」
「──残念ながらソイツにゃ、嘘吐くなんて高等な機能ついてねェよ」

かつ、かつ、と床に響く足音。
ゾロは視線をそちらに向けた。胸は全く高鳴らず、石のように強張っている。

「…………」

いつもと全く変わりない小憎らしい表情を見ても、何の感慨も沸かなかった。
別れてから一日と経過していないはずなのに、そんな風にはとても思えなかった。遠い。そして、近寄って欲しくもない。

「よお。テメェ、何しに来たんだよ」
「……」
「恨み言でも言いに来たのか?それとも事実の確認か?」
「……」
「そんな女々しかったかよ、テメェ」

その言葉に、『ファイアブランド』がいぶかしげな表情を作った。

「随分気合入れた友情築いたんだな。情報収集と暗殺だけだろう?」
「バーカ、このマリモが思った以上に純真だっただけだ。寒ィ事言うな」
「偉そうなのはなんでかね、殺すの失敗した癖に」
「煩ェな」

わずらわしげに、その男は吐き捨てた。

「……結局コイツはここで死ぬんだから、いいじゃねェか」

その様子に、『ファイアブランド』は首を振った。
苦笑を作って、同僚に優しく語り掛ける。内容は辛辣だったが。

「良くねぇよ、それじゃ済まねェさ。建物の修理もそうだし、結構殺られたし。上にどう言い訳する気だ?お前の責任だぜ?」
「……わかってる。けじめはつける──取り合えずソイツ、俺に始末させろ」
「わかった」

『ファイアブランド』は頷くと、、周囲の男達を見て、顎をしゃくった。

「俺は先に死傷者の確認に行ってくるから。オイ、三人ついてきてくれ」
「悪ィな」

取り巻きを連れてゾロから離れる『ファイアブランド』。
代わりに近付いてきた存在に、ゾロは何の反応も示さなかった。
ただ、その指がゾロの手からこぼれた『ピラカンサ』を拾い上げるのには虫唾が走った。触るな、と思った。

「……ホント、テメェ、何しに来たんだよ。何で俺に、これ以上手間かけさせんだ」

うんざりしたように言う声音。細長い指が、銃倉に込められた弾薬の数を確かめた。
『ピラカンサ』の威力は凄まじい。
銃弾が次の瞬間自分の頭を微塵に砕くとしても、ゾロは、言いたい事があった。
勘違いされたままでいられる事には耐えられない。

「ざまあみろ」
「……そりゃ、どういう意味だ」

ゾロは、鼻先でせせら笑った。
随分と血が流れていて、体温は下がり、だるくて仕方ない。だが、胸の奥の方がもっとずっと冷えている。

「俺は命なんざ惜しまねぇ」

青い目が、僅かに揺れた気がした。ゾロにはそれで十分だった。
こう言ってやりたかったのだ。実際、それは命なんかよりとても重大な事だった。


「お前の作戦は、失敗だ。テメェが何でも出来ると思ったら、大間違いだ」


俯いた金の髪がさらり、と揺れた。

「……テメェは、真性の馬鹿だな」

乾いてかすれた声。それはゾロの耳に心地よかった。
自分の思う通りに何でも物事が進むわけではないと、思い知るといい。

「ていうか馬鹿じゃ足んねぇ。もうどう言ったらいいのかわかんねぇ」

どこかぼんやりした様子で、彼は腕を上げた。
とても重いその塊を、揺らしもせずまっすぐ構えている。撃てると言っていたのは、嘘ではないらしい。

「どうやったらなおんだよ、ソレ……」

その声が泣き笑いのように聞こえたのは、ゾロの気のせいだと思う。





がうんっ!
がうんっ!





「……ホント、どうしたらいいんだろうな」

轟音が響いたが、ゾロは死ななかった。
銃弾は、ホールの監視カメラを破壊したのみだった。

「なっ!?」
「っつ!」

続いて、事態を見守っていた『アルマニャック』二人の手から銃器が弾き飛ばされる。
次の瞬間には、彼らはみぞおちと首に蹴りを食らって昏倒していた。

真面目な顔で、男は言った。

「『俺が何でも出来ると思ったら大間違い』、か……なあ、意外に俺がタフだって知ってたか?」
「──は?」
「結構何でも出来たりすんだ」

ぐい、と襟首を掴んで引き起こされる。
忘れていた痛みが、ゾロの脳天を貫いた。

「ぐっ……!」
「まあちっと、我慢しろやハゲ」

男はゾロの傷を検分すると、舌打ちした。
そしてゾロの下の死体から容赦なく衣服を剥ぎ取り、引き裂いて包帯の代わりにしてしまった。
その手際の良さにゾロは少々呆然とする。

「テメェ、どういうつもりだ」
「どうもこうもねェさ」

気楽な調子で応急処置を終わらせ、男はゾロを荷物のように肩に担いだ。
勿論優しさは欠片もない。ゾロは吐き気をこらえるのに必死で口を閉じた。ぼたぼたぼた、と固まりかけた黒ずんだ塊が床を汚した。

「──俺は、どうしても俺の思う通りに物事を運ばせてェんだよ」

ゾロは冷えていた筈の胸の奥から、再び激情が吹き零れる音を聞いた。
どうしようもなく気持ちが悪かった。そういうところが嫌なのだ。

「ざけんな……!」

殴りたいが、腕が動かない。いつもこうだ。まるで、運命がこの男に味方しているかのように。
しかし、ゾロはそんな世界は許せない。

「何のつもりだ!意味ねぇぞ、こんな事……!」
「──」
「今更そんな風にして、俺がお前に感謝するとでも、思ってるのか……!」

なんて傲慢さだ。何度思ったか知れないが、その度に一々程度が酷くなっている。
胃の奥が引き攣れる。叩き潰したい、本当に、叩き潰したい。

「殺せ……!」

ゾロは呻いた。
夢物語は終わったのだ。だからもうゾロには、何も執着するものなんてないのだ。

「無駄だ……!俺は、例え助かったって、またここに来る!」

お情けで生き延びたとて、それがなんだと言うのだ。
それが優しさだと勘違いしているのなら、今すぐ頭を交換したほうがいい。

「……無駄だっつってんだろうが!」

男は、ゾロの言葉は全く無視して、とても効率的に動いた。
エレベーターの前でぎょっとした顔をした男を無言で蹴り倒し、声を上げようとした警備の者の顎を容赦なく砕いた。流石己の本拠地というべきか、迷いなく的確にルートを選んでいるようだ。
それでも、彼の異常な行動は当然だがとても目立ったらしく、再びエマージェンシーコールが鳴り響き、彼らの位置は逐一放送される羽目になったが。

「……ホラ、諦めろ。ここまで大事になったら今更引き返せねェから」

男はゾロを担いで走りながら、事態に全く見合わない台詞を吐いてゾロの神経を苛んだ。
こんな男に馬鹿呼ばわりされるのは本当に酷い罵倒だったのだと、ゾロは今更再認識した。
枯れた喉から、憎しみを搾り出す。

「なんでだ」

ぐちゃぐちゃに乱れている。こんな精神状態は相当な苦痛だった。
ゾロは自分の無力を突きつけられることが本当に本当に本当に嫌いなのに。

こんなことになって、もうこの男だって無事ではいられない。
『アルマニャック』には戻れない。『カルヴァドス』だって同じだ。
そもそも、そんな先のことよりも──今、命の保証がない。

その呻きが聞こえたのか、ようやく男が反応を返した。
いつもゾロをからかっていたように、こんな時でさえ、その通りに気軽に放たれた言葉。

「……例えばさ。俺がテメェを庇って、死んだとしたら」

それがいつもゾロを傷付ける。傷付けて、痛みを与えるのだ。
この男に会って、ゾロは損ばかりしている。ゾロは何も感じないまま、何処までも自由に振舞えるはずだったのに。

「テメェは俺の命を背負うんだ」

その、重みを、ゾロは想像した。
地獄の苦行の方がまだましな気がした。

それを簡単に手放せるか?と、男は容赦なく笑った。

「死ねなくなるだろ」

だから全然、無意味なんかじゃねぇよ。
そう言って笑った。

顔は見えないのに何故そんな事はわかってしまうのだろう、とゾロは不思議に思った。
どうしたらいいのか、本当はどう思っているのかは全くわからないのに。

「ま、俺は死なねぇけどさ」

ゾロを抱えなおすと、男は窓を開け放った。
通路の両側から、スーツを着た男達が駆けてくる。

「っ……!」

一刻の猶予もない。彼は迷いなく、空中へ飛び出した。
放たれた銃弾が、金色の髪を掠める。
がしゃああああん、と、ガラスが音を立てて砕け散る。

夕闇の中を、落下する。
ゾロは恐怖は感じなかった。それよりももっと怖い事を知っている。

沢山のガラスの欠片が僅かな光を弾いて、きらきらと落ちる。
ゾロは一瞬、それに見蕩れた。

途端、酷い衝撃が来た。