another side






「『パスティス』が人狩り!?」

無駄に大きな声に鼓膜が痛む。ゾロは僅かに眉を寄せると、腕を振って派手な黄色の頭をはたいた。
スイッチOFFの動作のつもりだったのだが、騒音は余計に大きくなる。
こうなることはちょっと考えればわかっていたの筈なのだが、つい苛つきが先に立ってしまった。
心の中で反省しながら、丸テーブルにどっかりと肘を付き、罵言を聞き流しつつ、視線でナミに助けを求める。

年に一回くらいのボランティアデーだったのか、チャーミングな情報屋はにこりと笑ってこう言ってくれた。

「少し静かにして貰える?」

その一言がゾロの拳の一万倍以上の効果を簡単に発揮するのが、どうも納得できないところではあるのだが。
ナミは自分の蜜柑色の髪の毛の一房をくるくると指先で弄びながら、噂話の続きを口にした。

「なんかね、この頃ダウンで人が消えるんだってさ。それも、目に付かないような、戸籍のない奴ばっかり」
「神隠しか……単なる都市伝説じゃねえのか」
「まあ、確証がある話じゃないわね。怪談みたいなものかも」
「しかもなんでパスティスなんだ、訳がわからねえ。臓器売買からは手を引いた筈だし、人体実験でもやるってのか?」

軽口で叩いた筈の言葉に、金茶色の目がこちらをじっと凝視したので、ゾロは居住まいを正した。

「……何か気になる事でもあるのか」
「──ううん。今、ちょっと気になる事が出来たの」

そういうと、ナミは落ち着けていた腰を素早く浮かせた。
言いつけ通りずっと沈黙を保っていた忠犬にウィンクだけ残すと、ヒールの音を響かせて足早に店を出て行く。

扉を開ける瞬間、思い出したようにこちらを振り向いて、一言だけ付け加えた。

「それ、噂だから。ちゃんとした情報が欲しかったら、お金払ってねv」

その時、確かに嫌な予感はしていたのだと思う。







+++ +++ +++






そんな記憶も薄れ掛けた頃。
扉を開けるとソファの上に物凄い仏頂面が転がっていて、ゾロはいつだったかの予感が的中したことを悟った。

「どうした」

薄々見当は付いている。
多分、自分宛のメッセージを勝手に受け取り、何か余計なことを聞いたのだろう。

「……何でテメェ黙ってたんだよ」
「何が」
「ざけんなバッくれんな。ジドルの彼女が攫われたらしいじゃねェか」

更に知り合いが巻き込まれたのか。ゾロは本当にそこまでは知らなかったのだけれども、内心舌打ちした。
大分まずい流れだ。

どうにかやりすごさなければ、笑えないことになる。
考えをまとめる前に、唇が動いた。なんでもないことのように言う。

「──売春婦が客と消えるなんざ、ありふれた話だろうが」

きん、と耳元で、鼓膜が痛むほどに尖った音。
風を切る音は、鋭くなり過ぎるとそういう風に金属質なまでになる。

「……」

つい先程までソファの上に長々と伸びていた足が耳元を掠めたのだ。
四分の一秒だけ、部屋の空気が凍ったような感覚。

ゾロは溜息を殺してそれを腕で払った。

「何がしたいんだお前は」

ゆっくりとした動作で上半身を起こしながら、見上げてくる青い視線。
目つきの悪さはいつものことだが、こんな風に殺気立つことはあまり無い。

「俺は、何でテメェが黙ってたのか聞いてんだよ」
「……その話は上から命令されたんじゃねえ。ジドルがそう言ってるだけだろう?」

ゾロはぺたんと床に座ると、ミネラルウォーターのボトルに手を伸ばした。
口の中が乾いている。背中の皮が、嫌な感じに突っ張っていた。

別に、隠そうとしていた訳ではない。

「……『パスティス』が絡んでるってのも噂でしかねえぞ」
「証拠が無ェ、ってか」

薄い唇が馬鹿にしたように笑う。
捻じ伏せるように、ゾロは声に力を入れた。

「証拠も何も、関係ないだろうが。上も動く気はない」
「何だ、一応聞いてはみたんだな?」
「──やけに絡むじゃねえか」

苛々する。ゾロは蓋を閉めなおしたペットボトルを放り出した。
それを伸ばした手で軽々と受け取って、長い指先が弄ぶ。

「言いたい事があるならさっさと言えば良いだろうが。女みてぇに粘着質な態度を取るんじゃねえよ」

嘘だった。本音を言えば、ゾロは聞きたくなどなかった。
目の前にある唇が開きかけて、けれどすぐに閉じた。
思案する数秒。

「……そうだな」
「何がだ」

考えていることが手に取るように読めた。
ゾロの望む結論は、それではないのだが。

「関係無ェよな、ってコトだよ」

別人のようにニコリと愛想良く笑って、跳ね上がるようにソファの上から立ち上がる。
ゾロの背中がびりびりとした。不安ではない。怒りで、だ。

なんてあてつけがましい。
性格の悪さでこの男と競える奴がいたら絶対にお目にかかりたくない。
友人になんて一生なれそうもない。

「じゃ、俺ちょっと買出し行ってくるから」

黄色い頭に、ゾロは今度は平手ではなくて拳を飛ばした。







+++ +++ +++







「行くなっつってんだろうがこの阿呆!」
「俺に命令すんな阿呆って言うなこのカビ頭!」

すぱん!
じゃびしゃ!!

「──っ!」

跳ね散る飛沫。
ゾロはペットボトルが衝撃で破裂するところを初めて見た。
本気の近接戦闘では不利なのはわかっている。どうするか。

ぶおんっ!

一瞬で抜いた『ピラカンサ』を鈍器代わりに使用する。
金色の髪に掠めたが、それだけだった。舌打ちをひとつ。

「危っ……当たったら死ぬだろがっ!!」
「少し死んどけ。つうかさっきの蹴りの方が当たったら死ぬ」

その言葉に、相手の眉が少しだけひくついた。
濃くなるプレッシャーに、負けじと腰に力を溜める。

口元が芸術的な形に捻り上がり、ドスの利いたざらついた低音を打ち付けてくる。

「テメェ……俺がちょっと甘い顔してやってりゃあ調子に乗りやがって」
「誰も頼んでねえ。つか、それを止めろって言ってんだ」

ゾロは、眼差しを尖らせてそう宣告した。
ちりりぢりりと肌が焦げる感覚。鳥肌とは違う。内側に留めきれないものが、皮を食い破って出てこようとしている。

「ソレって何だボンクラ緑」
「その甘ったるい考えだイカレタコ眉毛」

ゾロはむかむかする胸を必死に宥めた。馬鹿みたいな態度、夢みたいな言葉。慣れたつもりだったが吐きそうになる。
──おそらく、気分というより気持ちが悪いのだ。

「虫唾が走る」

ゾロは本気で言ったのに、目の前の男は軽薄な笑みで鼻を鳴らして見せた。
そのにやけた顔面を陥没させてやりたい。二度と戻らないくらいがいい。
腐れ×××野郎め。ゾロは胸中で呪いの言葉を呟く。

馬鹿にした声。わざとらしく肩をすくめるゼスチュア。
殴るには十分な理由だと思う。

「へーえ?」

ぶん、と走った『ピラカンサ』の台尻は、軽い頭に顎を引いて避けられた。
その動きの延長線上、黒いスーツがソファに倒れこむ。反撃はなし。
どうやらこちらの話を聞くつもりになったらしい。

ゾロは、距離をとって壁にもたれると、かねてから思っていた言葉をぶつけた。

「野良犬に餌やっちまう悪趣味も、大概にしとけよ。この気違いが」

これは、重要な問題だった。
『カルヴァドス』と『パスティス』、二つは反目しているが、大規模な抗争に発展したことはない。
どちらかが潰れるまで争うなど馬鹿げた事だ。年中火がつきっ放しの、頭が沸いたストリートチルドレンチーム同士の喧嘩とは訳が違う。
力を持つ程、軽々しく動けなくなるのは道理。

組織同士の争いなど、易々と起こって良いものではないのだ。
現実は映画ではない。売られた喧嘩を言い値で買っていては、あっという間に破綻する。

うまく折り合いをつけていくのが賢いやり方だろう。
組織は仁義やクールさではなく、商売のためにあるのだという事を、目の前の男も知らない筈はないのに。

「妙な義理感情で『パスティス』に手を出すな」

鉄砲玉が飛んでいってヒーローになれる様な場所ではなかった。
人ひとりの責任と裁量で抱えきれるものには限界がある。

薄い唇が開きかけて、けれどさっきと同じようにまた戻った。
自制が出来るほどの理性は、この男にもあるのに。どうしてわからない?

心の底から、傲慢だと思う。

「テメェは何でも出来ると思ってんじゃねえぞ」
「……」

自惚れ屋。自意識過剰。誇大妄想狂。
言いたいことは、少しも形にならない。
何も言い返してこないから、更に調子が狂う。
ゾロは無駄だと思いながら、念を押した。

「…おい。わかったのか?」
「…………」
「おい」
「…………」

じっ、と音がしそうなくらい、見詰められ、見詰め返す。
相互理解のためではない。逸らした方が負けなのだ。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

埒が明かない。仕方なく、出来る限り感情を込めない声で聞いてやる。
頭のいい答えなど期待できないのはわかっていた。

「返事は?」
「──『神よ、私を貴方の平和の使いにしてください』」

予想していたどれとも違う、明後日どころか四次元の方向に放たれた言葉を、ゾロは間抜けな顔をして見送った。
数秒考えてから、問い返す。

「……は?」
「『神よ、わたしに、慰められるよりも慰めることを』」
「……おい?」
「『理解されるよりも理解することを』」
「……」
「『愛されるよりも愛することを望ませてください』」

ゾロを全く無視して放たれたその言葉は、全く荘厳ではなかった。

軽く口を空けたまま、ゾロはまたどこか妙なスイッチが入ってしまったらしい物体を眺めた。
声の調子は普段と同じ。いつだったか説明された、鍋料理のアクを上手に掬うコツの方が、ずっと熱意がこもっていたと思う。
男は無感情というわけでもなかった。それならばまだ解釈の仕様もあるのだが。

「何だその呪文は」
「聖サンフランシスコ」

せいさんふらんしすこ。
ゾロは更に三秒考えて、その言葉を変換した。

「聖……って、お前クリスチャンだったのか」
「いいや。昔隣に住んでた気の狂ったジジイが毎朝唱えてたモンで、覚えちまった」

男は身を起こして、ソファに座りなおした。ゾロも、何となく背を浮かせて、壁に立てかけなおす。
照れたように金髪を掻き揚げて、男は無邪気な表情を作った。

「『与えることによって与えられ』」
「……」
「『すすんで許すことによって許され』」
「……」
「『人のために死ぬことによって』」
「……」
「──『永遠に生きることが出来るからです』」

台詞が途切れる。
しかしゾロはたっぷり十秒沈黙した。

「今の言葉、どう思う?」
「……良く聞いてなかった」

聞き流していたのだ。ゾロは正直に答える。祈りの言葉だとは、思ったけれど。
何だか、話がずれてきている事に気がついたが、それを切り出すより早く相手が口を開いた。
楽しそうな笑い声。本当に、楽しそうな。

「だと思ったよ。俺も、よくわからないうちに台詞だけ覚えちまってた。意味がわかるようになって、俺は良い言葉だなと思った。そう出来たら全部上手くいくような気もする。ピースオブワールド。ペイフォワード。オールニードイズラブ。うん、正しいんじゃねェか?でも──」
「……お前が期待している会話がわからねえんだが」

ゾロは、強い声で台詞を遮った。煙に巻かれている。
そんなことをする男は嫌いだった。誰かが唱えた聖句にも興味はない。それに対する考え方なら尚更だ。
ゾロは真剣に向き合っている。ならば、真剣に返すのが礼儀だろう。

「ふざけるな」
「残念ながら、ふざけちゃいねェよ」

テメェにとっちゃ、そっちの方が嬉しかったかも知れねェけどな?
男は笑顔を消した。いつも皮肉げな笑みをはいていた口元も、真っ直ぐになる。
ゾロは腹筋に力を込めた。誤魔化しや丸め込み、この男が得意なそれに、対抗できるように。

「でも、テメェは、そういうんじゃ誤魔化されねェんだな?」
「…………」
「そういう甘ったりィ、『オヒトヨシ』が言いそうな理由、気に入らねェっつーんだろ?」

多分、違うのだと思う。
動機は問題ではなかった。男がどんな気持ちや意思で動こうとしているかは関係がない。
単純に、行かせたくないのだ。何故か?──面倒なことになるから、それだけだ。

「──うざい。煩い。鬱陶しい。俺がお前に望むのは黙って大人しくしてろって事だけなんだが、そんなに難しいのか」

難しいのかも知れない。
現に、男が黙って大人しくなった所をゾロはうまく想像出来なかった。
二枚あるのかと思える舌を散々ひねくり回すのが、この男の常態なので。そう、こんな風に。

「アラアラ、今日は良く喋るじゃねェの?人が饒舌になるのって、後ろ暗い事がある時なんだって知ってたか?」
「……じゃあ、テメェはいつも何かしら後ろ暗い所があるんだな」












(後から考えれば、この台詞がこの後のゾロの人生を決めた)
(多分、彼は、もう少し優しい終わりを用意してくれていたのだ)

全く持って余計なお世話。











直ぐに、減らず口が返るものだと思っていた。
けれど男はその、普通にしていれば邪気がなさそうに見える目の玉を少しだけ見開いて、感心した表情を作って見せたのだ。

「スゲェな」
「……何がだ」

思わずそう呟いてしまった自分に歯噛みする。いつもそうだ、一番言うことを聞かないのは自分自身だった。

聞きたくない。
聞いてはいけない。

背筋が凍った。恐怖だとは、認めたくなかった。
──何に対しての?目の前の男が、怖いわけではない。そうではなく。

今までの世界を簡単に、根元から崩壊させる言葉を気安く吐く、その口が、恐ろしかった。
多分、その時いっそ殺してしまうのが正解だったのだ。
あんな惨めな思いをするくらいなら。

「ドーブツ的直感なのかな。勘違いはしまくるのに、何でか物事は的確なトコ突いてくるよなァ」
「何言って」

彼はソファから立ち上がると、中指だけちょいちょいと動かしてゾロを呼んだ。
従う気には当たり前だがなれないので、無視する。
諦めたのか男が立ち上がり、ゾロとの距離を詰めた。男が発するであろう次の台詞に、ゾロは全身全霊を持って身構えていた。

だから、避けられなかったのかも知れない。
殺気がなかったのも理由のひとつだろう。

伸ばされる手を、ゾロは避けなかった。
二年前なら、長袖を着ている腕はすぐに振り払ったのに。

とん、と胸に何か当たる。その時になってすら、ゾロは相手の顔しか見ていなかった。
ぞっとする声音なら、素直に受け止められたのに。それは気遣いに満ちていたかもしれない。

おかげで俺ァ、聖サンフランシスコにゃ、なりそこなった

同時。

ばぢぢぢぢぢぢぢぢぢぢぢぢばぢばぢぃっ!!!

ゾロが人生の中で初めて聞く音が、心臓の真上で発生した。
一瞬、視界が暗転。白目を剥きかけたのだと理解。遅すぎる。

全身が硬直。毛細血管がそこここで破裂する痛み。その千倍の痛み。
声帯からは悲鳴すら漏れてこない。

「…………!!!!!!!!!!!」

圧倒的な圧力に、膝が折れた。
痙攣する筋肉。目の前に見えるのは革靴。

とん、と首筋にまた、なにか当てられる。
反射的に身を捩ろうとするが、果たせず。

ばぢいばぢぃぢぢぢぢぢぁちちりちちぢり!!

苦痛を逃がすための息すら吐けない。
視界が歪み、苦痛に肌が粟立つ。こんな種類の痛みは、知らない。

「……なあ、おい、まだ起きてるよな?」

ぼんやりとした声が、聞こえる。鼓膜ががんがんと震えていて、酷く聞き取り辛い。
意識を失えれば良かったのだけれど、ゾロはまだ必死に抵抗している。許せない。

押し当てられているものの正体はそろそろ気付いていた。
スタンガン。動物の調教にも拷問にも使われる。
頭は混乱していたが、痛みは鮮明だった。

電撃は神経を麻痺させる。衝撃とは違い、根性や体力でどうにかなる類のものではない。
男は、蹴っても、殴っても来なかった。その事が、何より致命的な事実をゾロに突きつける。
態度の表明としては、いっそ見事だ。自分は、何を勘違いしていたのだろう。

「テメェさ、俺がこんな事するなんて、夢にも思ってなかったろ。ホント、真っ直ぐに馬鹿だなァ」

びくんびくんとはねる足が、壁を蹴った。どうせならこの男に当たれば良いのに。
男は、ゾロに指一本触れない。小さな機械越しに、電流が流れるだけ。

「なァ、スゲェ残酷なこと言ってやろうか?」

男は、この上なく優しげに、こうのたまった。

知ってるか?
知ってるよな?
こんなん、一般常識ってカンジに世の中に溢れてる真理だから。
当たり前だろ、って言ってしまえるけど。

でも本当に本当に本当に、その事実に直面しねぇと。
こんなん、わかりゃしねぇんだろうな。
甘ったるいのは、テメェの方だぜ?ロロノア・ゾロ。



「なんだって、いつかは終わるんだよ」



そして、居心地の良い夢は壊れて、容赦なく嘘が露呈する。
見事なアンハッピーエンドだった。

何処で選択肢を間違えたのかといえば、多分、最初からだったのだろう。







→『永遠には続かなくても。』