そんなにタフではない男。
another side
「『ピラカンサ』?おいおい、テメェそんなクソバケモノ銃まで使うのかよ」
煩い。
ゾロは銃の分解整備をする手を一瞬休めて、眉間に皺を寄せた。
肩越しに覗き込んでくる金髪を吹き飛ばすか吹き飛ばさないか、真剣に悩むのもこれが何度目だろう。
ゾロにはいつも腹巻の中に持ち歩く銃がある。それも三つ。
回転式拳銃M16『ピラカンサ』、日本製の自動拳銃M11『雹月』、そして古びたSmith&Wessonの22口径。
全てハンドガンだ。長距離狙撃や爆薬などの分野はゾロは不得手なのである。無造作に引き金を引くだけが簡単で良い。
一番使用頻度の高い『雹月』の整備は終わり、次に移ろうと『ピラカンサ』を手に取った途端、後ろから首が伸びてきた。
先程まで他人の家のソファーに我が物顔で寝転がり、先週あたりの新聞を読んで暇を潰していたのではなかったか。いつの間にか背後に回っていた。
ゾロが整備に集中していたのを差し引いても、この男わざと気配を消して近づいて来たに違いない。
「気に入ってんの?あんま必要ねぇだろそれ」
『火の棘』と言う名を授けられた、世界最高クラスの威力を誇るそれ。
その分重く、反動も激しい。連射をすれば手首が壊れる。まず特殊な状況でしか必要とされないその銃は、扱いにくさでも折り紙つきだ。
素人が撃てば、的に当たらないだけではなく、取り合えず転ぶ。腕の骨を折るのも珍しくない。女子供では、何より先に構えられない。
暴れ馬だ。ゾロもそうは思うが、『ピラカンサ』無しでは乗り切れなかった場面というのも軽く十はあげられる。
邪魔な頭を押しのけると、ゾロは事実をそれなりに読み上げた。
「お前には撃てない。俺には撃てる。それだけだ」
「………言ったなこのクソ野郎」
かちん、とすぐ近くから幻聴が聞こえた。
「テメェに出来るモンが俺に出来ねぇワケがねぇ」
「お前は相当のアホだな」
ゾロの素直な感想に、ゆらり、と背後から黒いオーラが立ち昇る。
だが男は、『ピラカンサ』を貸してみろ、とは言わなかった。
自分の銃を他人に触らせるわけが無い。腐っても同業者なので、そこのところはよく弁えているようだ。
ぶすくれた声が背後から聞こえてくる。
「信じてねぇだろ」
「別に」
慎重な手つきで一つ一つ部品を外す。
銃身にゆがみが無いかを確認。
「テメェみてぇに馬鹿みたいに筋肉つけなくてもコツがあんだよ」
「それは良かったな」
脊椎反射で答えを返す。
その後(これもまた反射で)蹴りの気配を探ったが、予想に反して踵は降って来なかった。
幸いの原因を考えても仕方ないので、ゾロは整備を続ける。
「……………」
さして問題は見つからず、ゾロは組み立てなおした銃を腹巻の中に収めた。
Smith&Wessonは手入れも点検もしない。必要が無いからだ。
女性でも手ごろに扱える、ポピュラーなロングセラー銃。持っているだけで、ゾロはそれを使わない。一度も分解整備していないそれは、薄く錆付いている。暴発の危険も高いだろう。
持っているだけ。それだけで構わない。
一応、銃弾は込めてある。
もう何年取り替えていないかわからない銃弾。
それはきっと、『ピラカンサ』よりも扱いにくいのだ。
+++ +++ +++
がぁん!!
脳髄が揺さ振られる。
───誰だ、こんなのなんでもないなんて言ったのは。
俺か。
その日、ゾロが仕留めたのは。
まだ若い女。裏組織を抜けて逃げた、依頼人の元愛人。
強烈な既視感。走って逃げ出そうかと、本気で考える。
薄い膜が張った瞳が、ぼんやりと此方を見上げていて。
ありふれている、こんなのは。
───誰だ、そんな事言ったのは。
+++ +++ +++
「んだよ、そのツラ。悪人成分三十パーセント増量中か?」
何故ここにいる。
部屋に明かりがついていたことすら気がつかなかった数秒前の自分に有り得ないほどの苛立ちを覚えた。
立ち込めるスープの香りも、食欲どころか憤りを増進させる役割しか果たさない。
ゾロは、短く丁寧に発音した。
「帰れ」
何かが、至極あっさり、ぷつんと途切れた。
ここはゾロの部屋で、ゾロの部屋にこの男は必要ない。それは単純明快なこと。
殴る気も無かった。
只、この男がこんな台詞だけで言う事を聞くのなら、そもそも一瞬で付き合いは終わっていた筈なので、ゾロはもっと実際的な手段をとることにする。
自分が出て行こう。
勿論常識的に考えるなら、家主が部屋を出て行かねばならぬなどということは有り得ないのだが、ゾロはそんな道理を押し通す手間が煩わしかったので。
くるりと方向転換し、閉じたばかりの扉を又開ける。
その背中に、予想通りの言葉が刺さった。それは既に、ゾロの情緒を全く揺らしはしないのだけれど。
「待てよ」
一秒たりともゾロは待たず、戸外へと一歩踏み出した。
引きとめようと伸びる手を、振り返らずに気配だけで叩き落す。
この男が、ゾロの部屋に入り浸るのもこの男の自由だと諦めよう。それならば。
「何処へ行こうと、俺の自由だ」
低い声。喉を鳴らしたそれは、何故か冷たくはなかった。
それに少しだけ驚く。冷たくない。勿論暖かくも無い。徹底的な平坦さ。
とうとうここまで来たか、と他人事のように思う。
この男に対して、ゾロはもう何を感じることも無いだろう。
慣れ親しんだ諦めの境地にゾロは再び舞い戻ってきた。この男の騒がしさに、少し忘れかけていた場所。
何かが追ってくる前に、ゾロは扉を閉めた。
何もかも全て、関係ない。
───などという事を思い出しながら、ゾロは迫りくるその刃先を見つめていた。
たった数十分前のことが、酷く遠い。
降る霧雨は体温の殆どを既に奪い去っていて、動作を束縛する。全てスローモーションで映る、暗い世界。
避ける気には、何故かなれなかった。避けてどうする?
殺意の乗ったナイフを叩き落して殺意の薄い引き金を引くのか。面倒臭い。
何の為に避ける。
目の前の少年は、自分の姉の敵討ちの為。とてもわかりやすい。見るからに自分は悪人面らしいから、尚更わかりやすい。
では自分は?何の為だ。全くわからない。
そんな訳なので、ゾロはじっくりとそのナイフを見詰めるに留めた。その方が、理に適っている。
少年は両手で、まだ幼さの残るそれには全くそぐわない、凶悪な形状をした刃を支えていた。
狙いは腹部。目には殺意。別に衝動でもなんでもなく、考えた結果なのだろう。刃先は震えていない。
こういう無駄な事を考えているのは、馬鹿なのだろう。
反射的に殺意に反応するようにしていれば(そう、昨日までの様にオートコントロールで)、少なくとも状況を把握する前に凶器は地に落ちていた。
馬鹿は碌な事にならない。当たり前の事なので、ゾロはわざわざ抗う気にもなれないのだろう。
一センチ進むのに一秒かかるようなゆったりとした擬似的な時間の流れの中で、ゾロはいつも通りに普通だった。
覚悟なら、決める必要は無い。気合を入れるようなことではないのだ、いつもこういう風に生きていたのだから。
どずっ
ボロ袋を貫くような音。
血は飛び散らなかった。
次の瞬間砂袋を叩くような音がして、少年の体が崩れ落ちる。
まるで動揺は無かった。もしかしたら予想していたのだろうか。
こうなる事を?
ゾロは、何事も無く元通りに戻った世界を前に、溜め息を吐いた。
震える声が鼓膜を灼く。
お前は馬鹿だ。
「何処へ行こうと自由だと………?」
男の手のひらに突き刺さった殺意。
貫通はしなかったようだが、骨は傷ついているだろう。薄い肉に支える力は無く、ナイフはそのまま重力に従って落ちた。
「テメェにそんな自由なんざねぇんだ」
血脂に塗れたそれを蹴り飛ばして、夜に溶け込む黒いスーツ。
ゾロは本当に、もう沢山だったのに。何処までもしつこい男だった。
道理に適っていない。
少年は気絶している。まあ、一晩置いておいても風邪はひくだろうが凍死はしないだろう。
まかり間違えばストーカーに近いその男の顔は、まだゾロからは見えない。
「何をしてもお前は自由」
「…………………」
「何処に行っても構わないと」
別にここにいても、いなくても。
何をしても、しなくても。
貴方が死のうが生きようが。
私は貴方に干渉しない。
「そう言われたら、嬉しいのか………?」
ああ。
「───その方が、楽だ」
ゾロは二歩下がって壁に寄りかかると、思ったままに答えた。
神経をすり減らす事も無く、煩わされる事も無く、何処までも自由。
野垂れ死にが出来ない束縛は、嫌悪すべきもの。
関係がないと言う事は、責任がないという事だ。
自分の命にすら責任がないというのは、とても楽な事なのだ。
それなのに、まだこんな罠に引っかかりそうになる。
この男は自分への嫌がらせの為に生きてるんじゃないかと、たまにそう思う。
「………何の為に俺に構う」
全くわからない。
何の義理もない。利害も損得もない。だからわからない。
何か特別な理由があったのなら、この男をここまで邪険にしなくても良いのだろうに。
お願いだから。俺の前から。
「消えてくれ」
初めて、この男に向かって命令ではなく懇願の言葉を使ったかもしれない。
ゆっくりと、男が振り返る。そこだけは闇に混じらない金の髪。
それにあわせて、ゆっくりと左腕を上げる。
構えたのは、Smith&Wesson。
「どちらかと言えば、俺はお前を殺したくない」
多分、それは真実の言葉。
この男は大分ゾロを苛つかせ、踏みにじりはしたけれども、何故か今はそんなに腹も立たない。そんな器官は麻痺しているらしい。
どちらかと言えば、殺したくはなかったが、自分の前からは消えて欲しい。何処か遠くで、当たり障りなく元気にしていて欲しい類の人間だ。
ぴたりと、正確に急所にポイントする。
「………それ、暴発すんじゃねぇの」
『ピラカンサ』にしろよ。男は微動だにせず、そう言って返した。
その指摘は正しく、引き金を引けばゾロの手の方が吹き飛ぶのかもしれない。ゾロは薄く笑った。
どうでもいいんだ。
いつか、誰か殺したくない奴を撃つときに、使おうと思っていた。
男の手のひらから流れる赤は、いつかのあの時と同じくらい鮮やか。
この男が傍にいて、わかった事は少しある。
この男は至極真っ当で、だから自分が惨めになりすぎる。
誰にだって、プライドというものはあるのだ。
只生きていればそれで良いなどとは、言えない。
笑顔で俺を踏みにじるな。
ゾロは穏やかな気持ちで吐き捨てた。
「嫌悪や怯えならまだ許せる。だが、テメェが俺に与えるのは同情だ」
誰にでも平等に施される綺麗な愛など恵んで貰いたくはなかった。
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