another side
その男は思った通り、少し風変わりな人間だった。
三度の飯より煙草が好きで、そしてその煙草よりも三度の飯を作る方が好き―――そしてそれを他人に食べさせるのが好き。
料理が下手なら大迷惑な趣味だろうが、男の腕前は相当なものだと、特別な舌を持つわけではないがそれくらいはゾロにもわかる。
雑草に肥料をやる、と称しては勝手にゾロの家(下の中あたりの貸家)にやってきて、勝手にキッチンを整え、勝手に冷蔵庫を購入し(しかもゾロの財布から金を抜いた)、勝手に料理をし、勝手にゾロに食べさせる。買い出しだけは、ゾロも引き回されたけれど。自分が何を食べてるのかくらい、知っておかなければ駄目だというのがその理由だ。
気に障る男だった。
スタイルはモデル並み、髪は蜂蜜色で、ホストのようにスーツ姿でしかもそれがよく似合う。陽気に笑い、面の皮が厚い。外見上の全ての美徳と相殺するくらいに、致命的に口が悪い。いちいち動作に格好を付ける。
ゾロの相棒だと周囲に目されていた、死んだあの男と同じようにお節介。なおかつ始末の悪いことに、本当にゾロが嫌がることもする(死んだ彼は、ゾロが本当に一人でいたいときはそっとしてくれたし、ゾロの持ち物を勝手に触ることもなかったのに)。女尊男卑を徹底し、軟派極まりない。
中でも一番気に食わないのは、それをどうにかする手段がないということだった。
何度か本気で殺してやろうと思ったが、その全てが失敗に終わった。
相手をしないと五月蠅く、相手をすると更に五月蠅く、受け答えを間違えると蹴りが飛んできて、酒の量を勝手に制限される。
ゾロのストレスは溜まる一方だ。
外見は述べた通り、一撃で首の骨が折れそうな優男。
だがしかし、この男はそれさえも武器にして相手を挑発し、舐めてかかったところを返り討ち、踏みつけ存分に嘲笑うというような性格の悪さだった。
愛用の銃は全自動射撃機構で、それに見合った早撃ちと連続撃ちが得意。
死んだ男の代わりに、彼と仕事を組まされることが多くなったのだが、その中で見る限りでも実力だけはまあ確かだろう。それくらいは、ゾロも不承不承認めている。
そう、そう言えば、あの男が初めて勝手にゾロの家を訪ねて来、勝手に食事のリクエストをすることを要求してきた時はまだ、只のお節介パート2で済んでいたのだが。
ゾロはトントンと軽快な音が響きわたるキッチンの入り口に立って、彼には魔法のように見える調理行程を見つめていた。
「テメェはなんつーか、味覚が単純なんだよな。大ざっぱに作るものほどよく食べるし、腕のふるいがいがねぇっつーか。でもま、妙にお綺麗なの作っても、肥料にゃ勿体ねぇけど」
憎まれ口とは裏腹に、彼は非常に楽しそうだ。
フルオート拳銃を包丁に持ち替えて、丁寧に、かつ手際よく作業をこなしていく。
それは、趣味の料理、という範疇には収まらない技術のように思えるのだが、やはりゾロには区別が付かない。
「そんなもん何処で覚えたんだ」
裏家業に、足を突っ込むどころか首まではまっている、ゾロと同じ穴の狢のくせに。料理などを覚える余裕のあった人生なのか。
「この歳になりゃ、普通はレシピの一つくらい身に付くと思うぜ?」
彼は鍋の蓋を開け、中身を少し掻き回した。謎の葉っぱを放り込み、謎の粉を降りかける。
成る程、とゾロは簡単に納得した。
「……………そうだな。俺も輪切りくらいは出来る」
「ソレは料理じゃねぇ」
彼は調味料の棚に手を伸ばすと、そこで少しひらひらさせた。
それは料理にどんな効果があるのかとゾロが眺めていると、いきなりぱたりとその手を落とす。
「しまった」
「……………動作を間違えたのか?」
「一度目ェ覚ませ馬鹿マリモ。そうじゃねぇ、クソ、かなり致命的にうっかりしてた」
彼は包丁を置いて、くるりと振り返った。
ゾロと視線が合う。
「ソイ・ソースがねぇ」
+++ +++ +++
紙袋を小脇に抱えたまま、ゾロは溜息を吐いた。習性としていつも利き手はあけておくのだ。
最寄りの食料品店に寄った帰り道。
「調味料一つにしちゃ、やけに荷物が多いぞ」
「特売だったんだから仕方ねぇだろ」
特売と買い込みにどういう関連性があるのかわからない。ゾロの胃袋は常に一つである。まあこの男のことだ、腐らせはしないと思うが。
…………ふとした思考でも彼がゾロの食事の世話をするのが日常化していることに気付いて、気分が悪くなった。
「チャ~ァミ~ィグリーンをつっかうとぉ~」
坂道にさしかかった途端いきなり喚きだした迷惑男に、ゾロの眉間のしわが深くなる。
「気でも狂ったか」
元からだ、と言われたら、それは正常なのか異常なのか。ゾロはそのような事を考えた。彼に知れたら蹴り一発では済まないだろうが。
「馬鹿だなテメェ。二人連れで坂道、紙袋を抱えてたら、コレはお約束だ」
「…………行動基準がちっともわからん」
「手をっ繋ぎたっくなあァ~るぅ~」
そこまで口ずさむと、ふと気付いたように彼はゾロに向かって言った。真顔で。
「俺チャーミーグリーン使ってねぇしお前はマリモだから手は繋がねぇぞ」
「要らん」
「ええと………次の歌詞なんだっけ。イヤ歌詞なかったっけ?ハミング?」
「知らん」
「トゥルットゥトゥットゥトゥットゥトゥ~ルル~ル~」
どかっ
鈍い音が微かに響いて、二人はちらりとそちらに視線を移した。
建物と建物の隙間のような細い路地の奧。ゴミが山と積まれて行き止まりになっているその前。
いかにも、といった様子で人生を少し踏み外している少年達が、薄汚れた中年男を蹴り回している。
あまりにもありふれてくだらない光景。
少し気をつければ通りから見える場所だが、少年達を妨害する存在はない。警察に通報、などと考える者もいないのだろう。したとしても、どうせこの辺りにはくたびれた駐在が一人派遣されるのがおちなのだ。
止めに入ったところで、少年達のサンドバッグが一つ増えるだけ。
ああ、くだらない。しかも、面倒臭い。
よく見れば少し足を止めてその様子を窺っている人間もいるが、何か行動を起こす様子はない。向かいの露店の留守番も、目に入れずにはいられない位置だがそっぽを向いている。たまにちらちらと少年達が外を睨み付けるからだ。
別に、そんなことには何も思わないけれど。
なにも期待しないけれど。
「お」
ゾロは目を瞬かせた。
少しばかり予想外な事に、「見ないふりの観客」の一人が、動いた。
不良達とあまり歳が変わらないくらいの少年。傍目にもわかるくらい何度となく躊躇した後、息を吸って路地裏に足を踏み入れていった。
ゾロは興味を引かれてその背を目で追う。
はっきりいって、もやしのような体型である。武道などを習っている様子もない。しかも、実験前のラットのようにぶるぶる震えている。ゾロは、養命酒でも勧めてやろうかと思ったほどだ。
怯えた足どりで不良達に近づき、全員で睨み付けてきた彼等に一言二言、何事か言った。
ごっ
いきなり顎が鳴るほど殴られたせいで、それ以上は続けられなかったようだが。
よろめいた少年は路地の壁に頭をぶつけ、不良達は「わかりきったことを注意された」腹立たしさに機嫌が悪くなったらしい。
様子を見ていた者達は、あまりに予想通りの末路にそれぞれの反応を示した。
やはり止めに入らなくて良かった、少しの同情は抱くが自身の判断の合理性を確認する者。正義感ぶった馬鹿だ、と嘲りで自分の罪悪感を覆う者、自分には何もできない、と無力感を噛み締め去って行く者。
少年は地面に倒れた。それをつま先で蹴り上げるように攻撃を加えている。
ああいう行動をする人間は、どこをどうしたら人が死ぬのかわかっていないので、本当に殺してしまうことがあるのだ。
「………………」
ゾロは止めていた足を路地の方に向けて、進もうとした。
その肩を、しなやかな指が掴んで引き留める。
振り返れば、蒼い目の彼がゆっくりと首を振った。
ゾロはいぶかしげに目を眇める。
「三十秒で終わらせる」
「…………そうじゃねぇよ」
彼は、一度路地の中を見て、それからゾロに視線を合わせた。
普段は聞かない穏やかな声が、その唇から洩れる。
「俺は、ああいうのをカッコイイ奴だって思うんだ。ああいう風に、俺はなりたい。だから、俺はあのガキを助けない」
「………何だそれは」
あんな人物になりたいというなら、さっさと自分で止めに入ればいい事ではないか。
彼なら、不良のグループくらい、数秒で教育し直してやる事が出来る。
あの少年よりも、余程効率よく鮮やかに問題が解決できる。
彼はまた首を振った。金色の髪が揺れる。
「俺は強いよ、そこら辺のヤツよかちょっとはな?でも、でもさ」
柔らかく唇をつり上げ、少し笑う。
「強いヤツが弱いヤツを助けるのはイイのさ、むしろそうしなかったらヤなヤツだからな。バットマンでもスパイダーマンでも、みんな正義の味方だろ?ガツンとパンチ喰らわせて、適当にピンチになって、でも最後には勝てる」
多分、ほとんどの人間は自分の身の程、ってのをわきまえてるから。
俺は別に、あのオッサンを助けに入らなかったその他大勢を軽蔑したりなんかしない。何故なら彼等にはそうする義務や責任、義理も得もなんにもないからだ。
ほら、助けられるのを助けないのは罪悪かもしれない、けど、助けられないのを助けられないのは仕方ないだろ?なあ、仕方ないだろう?
だから、俺も、誰も、彼等を責めるヤツなんかいない。
だからあのガキは絶望的に要領が悪いんだ。はっきり言って、馬鹿だ。
彼はそう言った。とても、愛しそうに。
「わかるか?負けるってわかってて、見ない振りして見捨ててもマイナスポイントはまるでない、それでも出ていくことの勇気ってのが。きっとお前や俺には、一生わからない。何故なら殴り合いっこに強いからだ。不幸な事にな」
「だから、お前が出てってゴミ捨てより気軽に事態を収めても、そりゃゴミ捨て以上の美学はねぇんだ」
ゾロはまた、溜息を吐いた。
長口上の間に路地の中でのイベントは終わり、適度な運動をこなした少年達がそこから出てくるところだったのだ。
丁度、良いタイミングで。
片腕で紙袋を抱え直す。
「あのガキは、かっこいいよ」
「惚れたか」
「少し」
ゾロは路地を少し塞ぐような形で立っていたので、不良達はすぐ二人に絡むことが出来た。下から見上げるように、妙に姿勢の悪い立ち方をする。
何て拳を叩き込みやすい位置に急所を晒すのだろうと、少しばかり感心した。
ゾロは別に彼等と遊ぶのに、路地裏に引き込む手間はかけなかった。
それは彼も同様だったようで。
ソイ・ソースの瓶は割れなかった。
何故か少し、残念に思えた。
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